Question | Answer | Age |
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古代の人類の流れ(4) | 二本足・道具:猿人 →アウストラロピテクス 石器・肉を食べ脳が大きく →ホモ属 火を使う:ホモ・エレクトス 狩猟生活 →ネアンデルタール人 現代人の祖先 →クロマニョン人 ヨーロッパに現れた |
01.先史時代 |
旧人と新人の違い、代表 | 剥片石器(木の棒につけたりする) 洞穴に住み、埋葬の習慣(宗教的な儀式) →ネアンデルタール人(アルタミラ洞窟) 精巧な剥片石器、骨角器 →クロマニョン人(ラスコー洞窟)、周口店上道人 |
01.先史時代 |
猿人と原人の違い 代表的な種類 |
猿人:打製石器(礫石器)→ただの石 アウストラロピテクス(南の猿) 原人:ハンドアックス→ちょっと鋭利にしてる ジャワ原人 北京原人(火の使用) |
01.先史時代 |
旧石器時代の洞穴壁画2つ | アルタミラ(北スペイン) ラスコー(南フランス) alter mirror |
01.先史時代 |
最初にできた文明と川 | メソポタミア文明 ティグリス・ユーフラテス川 |
02.古代オリエント |
メソポタミア文明の人種 | シュメール人 | 02.古代オリエント |
世界最古の物語 | ギルガメシュ叙事詩 シュメール人の都市国家ウルクの王を語ったもの ノアの洪水の祖型を含む |
02.古代オリエント |
シュメール人が滅んだあとの文明国家 | 古バビロニア王国 都市バビロン |
02.古代オリエント |
古バビロニアの王が作った法 | ハンムラビ法典 もっともなことを言っているシュメール人の法を参考にした 目には目を歯には歯を 太陽神から授けられた設定 ルーブル美術館にある |
02.古代オリエント |
エジプト文明の川 | ナイル川 | 02.古代オリエント |
エジプト文明の3時代 | 古王国:クフなど巨大なピラミッド 中王国:貿易が盛ん 新王国:ファラオなど |
02.古代オリエント |
エジプト中王国:_がシリア方面から侵入 →新王国 |
ヒクソス 馬の戦車など →エジプトが真似して再び統一(遊牧民) エクソシスト (⇔ヒッタイト:古バビロニア) |
02.古代オリエント |
アッシリアを倒したのは | 新バビロニア メディアと協力 (リディア、エジプト) |
02.古代オリエント |
新バビロニアが征服した人と、その行為 | ユダヤ人(ユダ国) バビロン捕囚 |
02.古代オリエント |
シュメール人の都市からあった新バビロニアの建物 | ジグラット(聖塔) | 02.古代オリエント |
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に影響を与えた宗教 | ゾロアスター教 (ペルシア語:ツァラトゥストラ) |
02.古代オリエント |
新バビロニアで作られた壮大な建物 | 空中庭園 ネブカドネザルが作った城壁も七つの景観に入ってる |
02.古代オリエント |
新バビロニアの王 | ネブカドネザル 庭園では眠けど寝ざる |
02.古代オリエント |
ジブラルタル海峡を抑えていた カルタゴの人種 |
フェニキア人 マニキュアを輸入 |
02.古代オリエント |
灌漑農業とは | かんがいのうぎょう 天水に頼らず用水やため池などによって水を得る高度な農業。メソポタミアやナイル川などの流域や中国黄河流域の華北で発達した |
02.古代オリエント |
紀元前3000年頃のシュメール人 ・代表的な都市国家:_ ・祭壇の聖塔:_ |
ウル ジッグラト 目がウルウルしてるから ジグザグラット |
02.古代オリエント |
シュメール人の文化 _進法に基づく時間や方位の観念、 太陰暦や閏年、_の発達 |
60、占星術 | 02.古代オリエント |
メソポタミア最初の統一国家、王 | アッカド王国(アッカド人) サルゴン1世 シュメール人の国はバラバラだった |
02.古代オリエント |
ハンムラビ法典 ・_の原則(目には目を歯には歯を) ・身分法(身分に応じて刑罰に差がある) ・文字_の使用 |
復讐法 楔形文字 アッカド人の力による統治→法による統治 |
02.古代オリエント |
エジプト王の称号 | ファラオ | 02.古代オリエント |
エジプト 古王国時代からの神で、死者の審判をおこなう冥界の神 |
オシリス お尻す | 02.古代オリエント |
エジプト 碑文・墓室・石棺に刻む |
神聖文字(ヒエログリフ) | 02.古代オリエント |
エジプトでナイルの氾濫に対応するために発達したのは | 太陽暦 | 02.古代オリエント |
エジプト 霊魂の不滅と死後の世界を信じてミイラを作る _に神聖文字で書いた「_」とともに埋葬 |
パピルス、死者の書 | 02.古代オリエント |
エジプト 古王国の首都 |
メンフィス イケメンスフィンクス |
02.古代オリエント |
エジプト 中王国の首都 |
テーベ 地獄先生てーべ |
02.古代オリエント |
エジプト 新王国の首都 |
テル=エル=アマルナ テルマエ・ロマエ |
02.古代オリエント |
エジプト新王国 当時は_信仰が盛んでしたが、王_が唯一神_信仰を強制し、 _へ遷都、自らを_と改称 写実的な_美術を生んだ。 |
アモン=ラー アメンホテプ4世、アトン イクナートン アマルナ 雨んポメプ アトム。 |
02.古代オリエント |
_人は、前1200年頃から_を中心に、内陸都市を結ぶ中継貿易(内陸貿易)で活躍しました。 結果、_語は国際商業の言語として広く使われ、ヘブライ文字・アラビア文字などの文字の起源になった。 |
アラム人 ダマスクス、アラム アラム人、フェニキア人、ヘブライ人 |
02.古代オリエント |
地中海のセム語系民族3つ | ・アラム人 ・フェニキア人 ・ヘブライ(イスラエル)人 |
02.古代オリエント |
フェニキア人は、シリア沿岸に_・_など都市国家や、北アフリカの_など植民都市を建設し、地中海貿易で活躍しました。 フェニキア人がつくった線上の表音文字_は、のちに_文字になり、今日のアルファベットの起源になりました。 |
シドン、ティルス(シドンのしっぽステルス) カルタゴ(軽タル) フェニキア文字、ギリシア文字 |
02.古代オリエント |
出エジプトの後、ヘブライ人はパレスチナに王国を立て、国王_とその子_のもとに栄えました | ダヴィデ王 ソロモン王 →その後イスラエル王国とユダ王国に分裂 →アッシリア王国に滅ぼされる |
02.古代オリエント |
ユダヤ教の教典 | 旧約聖書 | 02.古代オリエント |
アッシリア後オリエントに分立した4つの国 | ・メディア:イラン高原で領土大 ・リディア:小アジア(アナトリア) →世界で最初の金属貨幣 ・新バビロニア(カルデア):バビロン捕囚、空中庭園 ・エジプト |
02.古代オリエント |
_がアケメネス朝ペルシアを建国しオリエントを再統一/_のとき全盛期 ・都_/新都_を建設 ・_を派遣/_という監察官も派遣 ・駅伝制を用いた「王の道」 |
・キュロス2世(チュロスだいすき) ・ダレイオス1世(サトラップ、王の道で初めて国が安定して続くように) スサ/ペルセポリス 知事(サトラップ)/王の目・王の耳 被征服民族への寛容な統治 |
02.古代オリエント |
王の道の起点 | スサ(都市) ダレイオス1世が建設を始めた祭祀用の首都 |
02.古代オリエント |
前3世紀、セレウコス朝から自立したギリシア人が_を建てました。 同時期に、イラン人の族長_(中国名:_)がカスピ海東南部に_を建てました。 前2世紀半ば、領域をイランからメソポタミアまで広げ_を首都とし、東西交易を独占しました。 |
バクトリア アルサケス(安息):パルティア クテシフォン sellセレブ超す→バクテリア パルテナ、食って、シフォン |
02.古代オリエント |
紀元3世紀、イラン人_がパルティアを倒して_(首都_)を建国しました。 団結のため_を国教に定めました。 →イスラーム勢力との_にて滅亡 |
アルダシール1世 ササン朝(首都クテシフォン) ゾロアスター教 ニハーヴァンドの戦い ササミ セレウコス朝→パルティア→ササン朝 |
02.古代オリエント |
ササン朝2代国王_は、シリアにてローマ軍を破り、 ローマ皇帝_を捕虜としました。 全盛期の王_は、トルコ系遊牧民_と結び、 中央アジアの遊牧民_を滅ぼしました。 |
シャープール1世(シャワープール) ウァレリアヌス(割れアヌス) ホスロー1世 突厥(とっけつ)、エフタル ユスティニアヌス帝(東ローマ帝国)とも戦う |
02.古代オリエント |
ササン朝の2つの宗教 | ・ゾロアスター教 ・マニ教(ゾロアスター、仏教、キリスト教 の融合) →ゾロアスター教が国境なので迫害 →中国などに広がる 神のまにまに |
02.古代オリエント |
アッカド王国の滅亡後_人が_を建国しました。 _が全メソポタミアを統一しました。 |
アムル人 バビロン第一王朝(古バビロニア王国) ハンムラビ |
02.古代オリエント |
_人が小アジア(_)に建国 バビロン第1王朝を滅ぼしました。 →北側:_王国、南側:_人の国 |
ヒッタイト:史上初めて鉄製武器、馬と戦車を使用 アナトリア ミタンニ、カッシート →アッシリアにより征服 |
02.古代オリエント |
アケメネス朝ペルシアの保護された宗教_ 経典_ 善悪二元論(_vs_)→善神の勝利_ |
ゾロアスター教 アヴェスター 善神アフラ=マズダ/悪神アーリマン 最後の審判(ユダヤ教より先) |
02.古代オリエント |
_が初めてオリエントを統一しました _のときに最大領土を実現し、都_に大図書館を造営 属州を設置し、総督を派遣して統治 |
アッシリア(あ、シリア) アッシュル=バニパル ニネヴェ 強制移住、重税など過酷な支配を実施し、反乱から崩壊 |
02.古代オリエント |
アレクサンドロス大王の東方遠征 ・_の戦い:アケメネス朝を破る ・アルベラの戦い:ペルシア王_を破る →アケメネス朝の滅亡 |
イッソスの戦い ダレイオス3世 |
02.古代オリエント |
前10世紀、最古のアフリカ人の国、クシュ王国が成立し、エジプトを支配しました。 クシュ王国はアッシリアの侵入をうけ、ナイル川上流域へと後退し、_を都に定めました。 4世紀 、エチオピアの_に滅ぼされました。 |
メロエ アクスム王国 |
02.古代オリエント |
トロイの木馬の戦争の中身 | トロヤvsギリシアの連合(アテネ、スパルタ) →ギリシアの勝利 |
03.ギリシア世界 |
ペロポネソス戦争(ペロポネソス同盟 vs _同盟) _がペルシアの支援を受けてアテネに勝利 _がこれを破り覇権掌握 |
デロス同盟 スパルタの勝利 テーベ 本当は仲良くペロッ! ・アテネはペリクレスの病死 →デマゴーゴスの登場 |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの_は、「エジプトは_のたまもの」と評しました。 前5世紀の歴史家で、ペルシア戦争を描いた『_』を著述 |
ヘロドトス(ドロドロ ナイル 歴史 |
03.ギリシア世界 |
エーゲ文明3つ | ・クレタ文明(クレタ人、ミケーネに滅ぼされる) ・ミケーネ文明(ドーリア人に滅ぼされる) ・トロヤ文明 グレたみけ猫トロいや |
03.ギリシア世界 |
クレタ文明の発見者 | エヴァンズ(イギリス人) 文字:線文字A(未解読) グレたエヴァ達 |
03.ギリシア世界 |
ミケーネ文明の発見者 | シュリーマン(ドイツ人) ホメロスの叙事詩を信じて発掘 線文字B(解読済み, Aの改良版) threeマン、みけねこを褒めろす |
03.ギリシア世界 |
ミケーネ文明の滅亡後、暗黒時代のギリシア人3種 ①イオニア人 バルカン半島南東部や小アジア西岸に定住したギリシア人一派 ②_人 小アジア西北部に定住したギリシア人一派 ③ドーリア人(鉄器もち) バルカン半島南部やエーゲ諸島に定住したギリシア人一派 |
アイオリス 暗黒の中のIOリスオーヤマ |
03.ギリシア世界 |
前8世紀、各地の有力者の指導の下、ギリシア人の定住が促されていき、 城山_を中心に集住(シノイキスモス)する都市が現れました。 |
アクロポリス →ここにポリスが現れ、暗黒時代が終わる アクロバット ポリス |
03.ギリシア世界 |
ポリス時代のギリシアの代表的な植民市 | ビザンティオン→あとで東ローマ帝国? マッサリア→南フランス、マルセイユの前身 ネアポリス→南イタリア、ナポリの前身 ビザ、マサにリアル(セイユ) |
03.ギリシア世界 |
古代のギリシア人は、 ・中部ギリシアの聖地デルフォイでの_神の神託 ・4年に1度開かれるオリンピアの祭典 を通じて同一民族の意識をもち続けました。 |
アポロン | 03.ギリシア世界 |
古代ギリシア人は自分たちをヘレネス(ギリシア人)と呼んだのに対して、 異民族を_(訳の分からない言葉を話すもの)と呼んで区別しました。 |
バルバロイ バトルライバロリ |
03.ギリシア世界 |
アクロポリスのふもとにあり、市場や集会が開かれる公共広場 | アゴラ アゴら |
03.ギリシア世界 |
アテネの人種 | イオニア人 IOニア |
03.ギリシア世界 |
アテネの政治 貴族政→財産政治 に進めた2名 |
・ドラコン 慣習法を成文化→貴族による法の独占を防ぐ ・ソロン 財産に応じて参政権、兵役義務を定める 負債を帳消しで債務奴隷の解放と禁止 ソロドラゴン |
03.ギリシア世界 |
アテネの政治 財産政治→僭主政治 やった人 |
ペイシストラトス 平民の支持を得て、非合法的に僭主(せんしゅ)と呼ばれる独裁者となる ・亡命貴族の土地、財産を貧民に分配 ・中小農民を保護 payeasy トラストレス |
03.ギリシア世界 |
アテネの政治 僭主政治→民主政への過渡期 やった人、内容 |
クレイステネス ・デーモス(区)の設置 ・陶片追放(とうへん、オストラキスモス)を開始 僭主になる心配のある人物の名を市民に陶器の破片オストラコンに書かせ、6000票以上集まれば10年間追放する 僕にもくれ椅子テネス 陶器の破片 |
03.ギリシア世界 |
スパルタの人種 | ドーリア人 ドドリアさん |
03.ギリシア世界 |
奴隷の違い アテネとスパルタ | アテネ:個人所有 スパルタ:市民共有 |
03.ギリシア世界 |
スパルタは穀物自給を行い閉鎖的な国家体制を取りました。 ・完全市民(スパルティアタイ) ・_(半自由民):服属した町で農業・商工業に従事 ・_:服属させられた側の奴隷農民 |
ペリオイコイ ヘイロータイ ヘイホーローネクタイ 農民だからペリッおい来い |
03.ギリシア世界 |
ヘイロータイは、数で市民を圧倒的に上回り、しばしば反乱を起こしました。 →立法者_の指針で、市民は貨幣使用や商工業活動を禁止され、ヘイロータイの反乱を防ぐために軍事訓練に専念しました。 |
リュクルゴス 奴隷こわくてリュークゴスロリ |
03.ギリシア世界 |
ペルシア戦争 _植民市の反乱がきっかけ、中心地_ ①前490年、_でギリシア側が勝利 ②前480年、_で_(人)がアケメネス朝を打破 ③前479年、_でギリシア側の勝利がほぼ決定 |
イオニア、ミレトス マラトンの戦い サラミスの海戦、テミストクレス プラタイアの戦い マラソンしてミストくれ、サラミ食べる (海なら勝てるから) |
03.ギリシア世界 |
アケメネス朝の再侵攻に備えて、諸ポリスは軍事同盟_(盟主_)を結びました。 アテネでは、軍艦の漕ぎ手を務めるような財産の少ない市民が参政権を得て、 前5世紀半ば、将軍_の指導の下、民主政が確立しました。 →死後_と呼ばれる扇動政治家が登場。アテネ堕落へ |
デロス同盟、アテネペリクレス ペリクレス、デマゴーゴス(衆愚政治) 同盟の金庫が、当初デロス島に置かれたことに由来 ペルシア来たら出ろっす、ペリッくれす |
03.ギリシア世界 |
ペリクレスの提案に従い、両親ともにアテネの生まれの18歳以上の男性は、貧富に関わらず平等に参政権を得ました。 青年男性市民が参加する集会_がアテネの政治の最高機関で、役人は一般市民からの抽選で選ばれました。 |
民会 役人の責任は、弾劾裁判などで厳しく追及されました。 (⇔平民会:ローマ) |
03.ギリシア世界 |
_:マケドニアの勢力を拡大した人 _の戦いで_軍を撃破 諸ポリスを_(_)同盟に集め支配 |
フィリッポス2世 カイロネイアの戦い, アテネ・テーベ コリントス(ヘラス, スパルタを除く) フィリピンカイロ こりん星から来たトスするヘラクレス |
03.ギリシア世界 |
アレクサンドロス大王の急死後、領土は_(後継者)と呼ばれる将軍らに争われ、やがて次の3つの国に分裂しました。 ・_:小アジアを本拠とした王朝 ・_:シリアに開かれたギリシア系王朝 ・_:エジプトに開かれたギリシア王朝 |
ディアドコイ アンティゴノス朝マケドニア セレウコス朝シリア プトレマイオス朝エジプト アンチ5の巣 sellぇヴ超す put |
03.ギリシア世界 |
東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの約300年間を_と呼びます。 | ヘレニズム時代 hellニズム |
03.ギリシア世界 |
ヘレニズム時代 ・各地に_市を建設 ・ペルシアの儀礼、習慣を導入 ・_(共通ギリシア語)の公用語化 |
アレクサンドリア コイネー |
03.ギリシア世界 |
ヘレニズムの科学 _:アレクサンドリアにある王立研究所 ・館長, 地球の周囲の長さを測定した人物 ・平面幾何学を大成 ・地球の公転と自転を主張 ・浮体の原理を発見 |
ムセイオン(Museum, 博物館 エラトステネス(偉いトスする エウクレイデス アリスタルコス アルキメデス |
03.ギリシア世界 |
_:ヘレニズム時代以降の哲学主義、創始者 ・_:禁欲を理想とする ・_:持続する精神的な快楽を重視する |
世界市民主義(コスモポリタニズム) →ポリス市民という枠を越えた生き方を理想とする ゼノン(ストア派) エピクロス(エピクロス派) いつもクロスする お店に行っても禁欲ゼロ |
03.ギリシア世界 |
ギリシア神話では、_を主神とするオリンポス12神が崇拝されました。 この神話は、多神教で、神は人間と同じ姿や感情を持つとされました。 |
ゼウス | 03.ギリシア世界 |
ギリシアの文学、著者と著作 ・_:トロイア戦争での英雄の活躍を描いた叙事詩 ・_:勤労の尊さ_・神々の系譜_ ・_:恋愛を題材とした詩 |
・ホメロス イリアス(トロイアの別名)、オデュッセイア ・ヘシオドス 労働と日々/神統記 ・サッフォー いいアリス、オデッセイ オドシシを褒める |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの自然科学 ・_:万物の根源を水と考えた人物 ・_:万物の根源を数と考えた人物 ・ヘラクレイトス:万物の根源を変化(火)とした人物 ・_:万物の根源を原子と考えた人物 |
タレス(誰す? ピタゴラス デモクリトス |
03.ギリシア世界 |
アテネの祭典では悲劇や喜劇のコンテストが催され、鑑賞することはアテネ市民の義務でもありました。 三大悲劇詩人 |
アイスキュロス ソフォクレス エウリピデス アイスチュロス sophoくれす エ?ウリピー!です! |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの演劇 『女の平和』『女の議会』などの喜劇作家 |
アリストファネス ⇔悲劇詩人 (モノマネ系お笑い芸人) |
03.ギリシア世界 |
_:弁論に勝つことを重視し、時に事実に反する詭弁を教える職業教師 _:「人間は万物の尺度」で知られる |
ソフィスト プロタゴラス(人それぞれの考え方でいい) ⇔ソクラテス:哲学者(真理) |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの哲学 ・_:ソフィストの考えに対する批判者として現れた →絶対的な真理の存在を主張 ・_:弟子, イデア論の主張 ・_:弟子, 現実主義や経験論的 |
ソクラテス プラトン アリストテレス |
03.ギリシア世界 |
「歴史」でペロポネソス戦争を叙述した人物 | トゥキディデス これが築地の歴史です |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの建築 アテネの女神神殿パルテノン神殿は_式の神殿です。 |
ドーリア |
03.ギリシア世界 |
ギリシアの彫刻 パルテノン神殿のアテナ女神像などを作った人物 |
フェイディアス 銅像の fade 明日みる |
03.ギリシア世界 |
・ペルシアの再来に備えたギリシアの同盟 ・対立から生まれた同盟 |
デロス同盟:アテネの帝国化 ペロポネソス同盟:スパルタが率いる |
03.ギリシア世界 |
サラミスの海戦では_市民が_の漕ぎ手として活躍しました | 無産市民 三段櫂船(さんだんかいせん) |
03.ギリシア世界 |
アテネでは商工業が活発化し、富裕市民が出現 重装歩兵を構成し、_(長槍密集隊形)で国防を行いました |
ファランクス | 03.ギリシア世界 |
ギリシアの医学 病気の原因を科学的に解明した人物 |
ヒッポクラテス | 03.ギリシア世界 |
ヘレニズム時代の彫刻2つ | ミロのヴィーナス ラオコーン |
03.ギリシア世界 |
カルタゴが抑えていた 大西洋の出口 |
ジブラルタル海峡 ゼブラ |
04.ローマ世界 |
ローマとカルタゴの戦争:_ 第1回:ローマが_を獲得(初の属州) 第2回:ローマの_がカルタゴの名将_を撃破 |
ポエニ戦争 シチリア島(シチュー スキピオ、ハンニバル マニキュアしてるジブラポニーの輸出入したい! |
04.ローマ世界 |
ローマの初代皇帝 | アウグストゥス(オクタウィアヌス) アントニウスと喧嘩して勝利。カエサルの養子 10個アヌスがある |
04.ローマ世界 |
カエサルと戦って エジプトに逃げたのは |
ポンペイウス お腹ポンポン |
04.ローマ世界 |
五賢帝時代のあとにすべての自由民に市民権を与えたのは | カラカラ帝 | 04.ローマ世界 |
キリスト教を公認したこと | ミラノ勅令 | 04.ローマ世界 |
ミラノ勅令を出した皇帝 | コンスタンティヌス帝 | 04.ローマ世界 |
前1000年頃、古代イタリア人がイタリア半島に定住しました。 ティベル川のほとりに都市国家_が建設されました。 ローマは、はじめ先住民_に支配されました。 |
ローマ(ラテン人) エトルリア人 →追放、共和制となる 先住民 江戸 浄瑠璃 亜 |
04.ローマ世界 |
ローマの身分2つ | 貴族(パトリキ) 平民(プレブス) 鳩力 preブス |
04.ローマ世界 |
ローマの国政:貴族政治 ・最高機関_:任期終身のパトリキで構成構成 ・最高政務官_:2名が任期1年。民会によって貴族から選出する執政官 ・独裁官_:非常時の臨時職 ・民会:プレブス(平民)&貴族 |
元老院 コンスル ディクタトル |
04.ローマ世界 |
前5世紀、ローマ平民(プレブス)の重装歩兵部隊の活躍で以下の機関が形成 ・_:平民出身から選ばれる役職。元老院やコンスルの決定に拒否権を行使可能 ・_:民会の1つとして新設、平民だけで構成 |
・護民官 ・平民会 |
04.ローマ世界 |
ローマの民主化 ・貴族による法知識の独占を破り、旧来の慣習法を成文化 ・コンスルのうち1人を平民から選出する/大土地所有の制限 ・平民会の決定が、元老院の承認なしに国法となることを認めた |
十二表法(アテネ:ドラコンの立法と同じ) リキニウス・セクスティウス法(素人選出系 力ニウス) ホルテンシウス法(掘る天シウス) |
04.ローマ世界 |
古代ローマ:戦費自弁での長期間の従軍、中小農民の陥落→捨てられた土地で、戦争捕虜を使って大規模に農業経営 | ラティフンディア ラティオスの糞でやる |
04.ローマ世界 |
ローマ:内乱の1世紀 無産市民への土地分配→自作農創設による軍の再建を目指した人 |
グラックス兄弟 あいついで護民官になり、大土地所有者の土地没収と無産市民への分配を考えました。 しかし、この改革は反対にあって失敗しました。 グラードンX |
04.ローマ世界 |
ローマ:内乱の1世紀 反乱した剣闘士 |
スパルタクス | 04.ローマ世界 |
ローマの内乱を武力で鎮めた3人 | ポンペイウス カエサル クラッスス |
04.ローマ世界 |
カエサルが現在のフランスに遠征してるときに書いたもの | ガリア戦記 ガリガリになったから |
04.ローマ世界 |
第二回三頭政治のメンバー | アントニウス レピドゥス オクタウィアヌス repid us |
04.ローマ世界 |
ローマ帝国のような、政治・軍事の実権を握りつつ、名目的には元老院などの共和政の伝統を尊重する帝政 | 元首政 | 04.ローマ世界 |
ローマ帝国の約200年間の時代 | ローマの平和 | 04.ローマ世界 |
五賢帝の1人_のときにローマの領土は最大となりました。 ローマ風の都市が国境付近まで建設され、 ロンドン/パリ/ウィーンなど、後に近代都市になったものも多くありました。 |
トラヤヌス帝 でかすぎる虎屋ぬすんで |
04.ローマ世界 |
五賢帝最後の治世末期、 奴隷の供給が途絶え、没落した自由農民やかつての奴隷などで構成された_を用いるようになりました。 この生産体制を_と呼ぶ |
コロヌス コロナトゥス 太陽を力corona us |
04.ローマ世界 |
3世紀末、ローマの分裂を回避しようとし 専制君主制への転換や四分割制を行った人物 |
ディオクレティアヌス帝 分割(デュオ)してくれてアヌス |
04.ローマ世界 |
ディオクレティアヌス帝が行った治世は2つ | 四帝統治(テトラルキア) 帝国を東と西に分け、それぞれの正帝・副帝が統治 専制君主政(ドミナトゥス) 皇帝を神として礼拝させ、専制君主化 →キリスト教を迫害 |
04.ローマ世界 |
ローマ帝国を東西に分割して 2子に分け与えた人 |
テオドシウス帝 手を脅し薄める |
04.ローマ世界 |
テオドシウス帝が分割した東西の国 | 東:ビザンツ帝国(首都コンスタンティノープル) 西:西ローマ帝国(首都ローマ) ビザでローマへ |
04.ローマ世界 |
救世主(メシア)のギリシア語訳 | キリスト | 04.ローマ世界 |
キリスト教の伝道活動をした2人 | ペテロ、パウロ →ペテロ:一番弟子 →パウロ:いろんな地域に布教した。 |
04.ローマ世界 |
_会議 _が正統教義とされ(神・キリスト・聖霊を同一視する_説) キリストを人間とする_が異端とされた |
アタナシウス派:三位一体説 アリウス派 ニケーア公会議 あなた神us 蟻us nike イケア ⇔エフェソス:ネストリウス |
04.ローマ世界 |
アタナシウス派キリスト教を 国教とした人 |
テオドシウス帝 →公認:コンスタンティヌス |
04.ローマ世界 |
異端とされたキリスト教2つ | アリウス派 ネストリウス派 蟻 nest |
04.ローマ世界 |
ネストリウス派が異端とされた会議 | エフェソス公会議 唐代の中国に伝わり「景教」と呼称 アリの巣にエフェクトソース |
04.ローマ世界 |
ローマ人の話した_は、近代まで聖職者や知識人の共通語でした。 | ラテン語 | 04.ローマ世界 |
ローマが様々な習慣をもつ多くの民族を支配するようになると、万人が従う普遍的な法律が必要になりました。 _が成立し、はじめはローマ市民だけに適用されました。 →やがて対象を拡大し、帝国に住む全ての人民に適用される万民法となりました。 →6世紀、東ローマ帝国の_が『_』を編纂させました。 |
ローマ法 ユスティニアヌス大帝 ローマ法大全 use ビクティニ アヌス |
04.ローマ世界 |
ローマの暦 エジプトの太陽暦を受け継いで、_は太陽暦の_を作りました。 のちに改良を加えられ、現在も用いられる_になりました。 |
カエサル ユリウス暦 グレゴリウス暦 |
04.ローマ世界 |
ローマの歴史 ・_:ゲルマン人の生活・習慣を描く『ゲルマニア』を著 ・_:政体循環史観の提唱 ・_:ガリア戦記 ・_:「ローマ史」 ・_:「対比列伝」 |
タキトゥス(焚き火とus ポリビオス カエサル リウィウス(李 uiu s プルタルコス |
04.ローマ世界 |
ギリシア・ローマの英雄的人物を比較評論した『対比列伝』を著した人物 | プルタルコス pull 樽超す |
04.ローマ世界 |
ローマのストア派哲学 ・_:ストア派理念に基づく『自省録』を著 ・_:「幸福論」, ネロ帝の師 ・_:もとはギリシア人奴隷 |
マルクス=アウレリウス=アントニヌス セネカ エピクレトス |
04.ローマ世界 |
ローマの自然科学 ・_:地球中心の天動説を唱えた人物 ・_:「地理誌」 ・_:「博物誌」 |
プトレマイオス ストラボン プリニウス(プリウス、プリン |
04.ローマ世界 |
神と教会への信仰が瀕死のローマ帝国を救うとする 『神の国』を著したローマ帝政末期の人物 |
アウグスティヌス (アウグストゥスの偽物) |
04.ローマ世界 |
中国沿岸~アフリカ東岸にかけて展開された海上交易ルートを「海の道」と呼びます。 ・_:1世紀にギリシア人が書いたインド洋近辺における海洋貿易についての記録書 ・_:インド関わった代表的な王朝(前3世紀~13世紀) |
エリュトゥラー海案内記 チョーラ朝(チョー裸 →宋に使節を派遣 |
04.ローマ世界 |
ローマ:内乱の1世紀 閥族(ばつぞく)派・平民派の代表者 |
スラ(元老院中心を維持) →後継者 ポンペイウス マリウス(民会を基盤に政界に進出) →後継者カエサル |
04.ローマ世界 |
オクタティアヌスとアントニウスの戦い | アクティウムの海戦 アクアリウム |
04.ローマ世界 |
ヘロドトスの著書と扱った内容 | 「歴史」ペルシア戦争 |
04.ローマ世界 |
ギリシアとローマの歴史家 | 04.ローマ世界 | |
ペルシア戦争、オクタウィアヌス それぞれの海戦 |
サラミスの海戦(テミストクレス) アクティウムの海戦(アントニウス) |
04.ローマ世界 |
ローマ5賢帝 | ・ネルウァ帝 ・トラヤヌス帝:最大領土 ・ハドリアヌス帝:帝国各地を巡遊し安定化 ・アントニヌス=ピウス:平和 ・マルクス=アウレリウス=アントニヌス 自省録:ストア哲学 |
04.ローマ世界 |
_公会議では、イエスに神性のみを認める_が異端とされました | カルケドン 単性論 |
04.ローマ世界 |
イエスはパレスチナに生まれ、当時浸透していたユダヤ教の_派と対立し、十字架による処刑を受けました | パリサイ | 04.ローマ世界 |
キリスト教迫害の歴史 _:ローマ大火の責任を転嫁 _:大迫害 _:キリスト教が認められた後に迫害。背教者と呼ばれる →キリスト教徒は_と呼ばれる地下墓所に避難し、信仰を守りました |
ネロ帝 ディオクレティアヌス帝国 ユリアヌス帝 カタコンベ |
04.ローマ世界 |
パクス=ロマーナの繁栄(1~2世紀頃) _:「ヒッパロスの風」を動力として海上を進み、インド洋を横断する交易 |
季節風貿易 サータヴァハナ朝などと交易 |
04.ローマ世界 |
ラテン文学 ・_:ローマ建国の歴史, 著作 ・_:ラテン語散文の模範 ・_:「叙情詩集」 ・_:「転身譜」 |
ウェルギリウス「アエネイス」 キケロ ホラティウス オウィディウス(甥に転身 |
04.ローマ世界 |
ローマの建築 ・_:円形闘技場 ・凱旋門 ・_:シュシュの神をまつった神殿 ・_水道橋(南フランス) ・浴場, _のものが有名 |
コロッセウム パンテオン(万神殿) ガール水道橋 カラカラ帝 |
04.ローマ世界 |
・ローマ共和政の世紀 ・ローマ帝国の世紀 |
前5世紀~前1世紀 前1世紀~2世紀 |
04.ローマ世界 |
バラモン教を否定する動きに対して、バラモン教に改革運動が生じました。 祭式至上主義から内面の思索を重視する探究_が始められました。 |
ウパニシャッド →輪廻転生など |
05.インドの古典文明 |
インドの4王朝 | ・マウリヤ朝(仏典結集) ・クシャーナ朝(ガンダーラ美術, ヘレニズム文化) ・グプタ朝(仏国記) ・ヴァルダナ朝(大唐西域記) |
05.インドの古典文明 |
南インドでは、_系の_語による文芸活動が盛んになった | ドラヴィダ タミル |
05.インドの古典文明 |
インダス文明の川 | インダス:古代文明&クシャーナ ガンジス:パータリプトラ、ナーランダー |
05.インドの古典文明 |
14世紀、デカン高原にヒンドゥー国家_が、成立しました。 インド洋交易で綿布や香辛料を輸出/大量の馬を輸入 17世紀、イスラーム勢力との抗争で衰退 |
ヴィジャヤナガル王国 |
05.インドの古典文明 |
インドの最古の文明_:_人が築いた 優れた都市計画が_や_などの遺跡に残っています →_人が侵入。雷や火などの自然神を崇拝、賛歌の集成が_ |
インダス文明、ドラヴィダ人 モヘンジョ=ダーロ/ハラッパー(インダス文字未解読) アーリア人:リグ=ヴェーダ →農耕技術が発達、ヴァルナ制の発達 |
05.インドの古典文明 |
アーリア人の定住が進む過程で生まれた人々を4つの基本的身分で区別するもの、構成 | ヴァルナ制 ・バラモン ・クシャトリヤ:戦士 ・ヴァイシャ:一般庶民 ・シュードラ:奴隷 不可触民 |
05.インドの古典文明 |
インドの古典文明では、ヴァルナ制に応じて職業が固定される _が生まれ、今日のカースト制度が形成されました。 |
ジャーティ | 05.インドの古典文明 |
カーストという言葉の由来 | ヨーロッパ人による呼び名 (「血統」を意味するポルトガル語) |
05.インドの古典文明 |
前6世紀頃、城壁で囲まれた都市国家がいくつかインドに生まれました。 その中から_国、その後ガンジス川流域を統一した_国が有力となりました。 |
コーサラ マガダ コールスローサラダ |
05.インドの古典文明 |
マガダ国が保護した宗教2つ | 仏教 ジャイナ教:苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教 仏教ジャナイ どちらも反バラモン |
05.インドの古典文明 |
ジャイナ教の創始者 | ヴァルダマーナ ヴェーダ聖典の権威やバラモン教を否定し、苦行と不殺生を強調 苦行ガンヴァルダまぁな |
05.インドの古典文明 |
アレクサンドロス大王の侵入を受け、インドに統一の機運が生じ、 前4世紀末、_がマガダ国を倒し、 インド最初の統一王朝_を建てました。 首都を_に置きました。 |
チャンドラグプタ王 マウリヤ朝 パータリプトラ ドラチャン マラリア パターしてリプ虎 |
05.インドの古典文明 |
マウリヤ朝は、_の治世下で最盛期を迎えました。 | アショーカ王 マラリア消化王 |
05.インドの古典文明 |
アショーカ王は、武力に訴えることを止め、_(法、社会倫理)による統治を目指しました。 | ダルマ | 05.インドの古典文明 |
アショーカ王は、_の編纂をしたり、 多くの布教師を周辺の国々に派遣しました。 |
仏典結集(けつじゅう) 伝えられた説法を整理して統一を図る |
05.インドの古典文明 |
マウリヤ朝が衰退すると、インドには多民族が侵入を続けました。 1世紀、イラン系遊牧民がインダス川流域(インド北西部)に_を建てました。 2世紀半ば_の治世下で最盛期を迎え、 現在のアフガニスタンからガンジス川中流域までを支配しました。 |
クシャーナ朝 カニシカ王 カニしか食べないムシャーナ |
05.インドの古典文明 |
クシャーナ朝とならんで有力だったのが、_でした。 インド洋を利用した海上交易で反英、遺跡からローマ金貨が出土している |
サータヴァーハナ朝(ドラヴィダ人⇔イラン人) 両朝とも、ローマ,後漢との交易 サタンのバーみたいな鼻 |
05.インドの古典文明 |
従来の仏教は、厳しい修行をおこない自身の救済を求めるものでしたが 自身の救済とともに人々の救済を目指して修行する 信仰_が広まりました。これは_と呼ばれました _(_)は、空の思想で理論を固めました。 |
菩薩信仰 大乗仏教⇔上座部仏教 ナーガールジュナ, 竜樹 流るる自由な 全て存在するものは固定的な不変の実体をもたないとする考え |
05.インドの古典文明 |
従来ガウタマ(仏陀)は恐れ多いものとして、具体的な像が造られませんでした。 _文化の影響をうけ、インド北西部の_を中心に、仏像・仏教美術が生み出されました。 |
ヘレニズム ガンダーラ |
05.インドの古典文明 |
クシャーナ朝→4世紀、ガンジス川中流域に_がおこりました。 _の治世下で最盛期を迎え、北インド全域を統治する大王国になりました。 |
グプタ朝 チャンドラグプタ2世 |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝の統治下で仏教やジャイナ教が盛んになり、中国の僧_が最盛期のグプタ朝を訪問しました。 しかし、バラモンが再び重んじられ、バラモンの言葉である_が公用語化されました。 |
法顕(ほっけん) サンスクリット語 発見! グプタ朝は、中央アジアの遊牧民エフタルの進出や地方勢力の台頭で衰退し、6世紀半ばに滅亡しました。 |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝に定着した宗教 | ヒンドゥー教 多くの神々を信仰する多神教で、特定の教義や聖典に基づくものでなく、日々の生活に関わる宗教 ⇔マガダ国 |
05.インドの古典文明 |
ヒンドゥー教の主神2つ | シヴァ神 ヴィシュヌ神(vish!主) |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝の時代の法典 各ヴァルナの生活規範や義務などの社会規範がまとめられている |
マヌ法典 ヒンドゥー教の聖典に近い man法典 |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝の時代の、 サンスクリット語で書かれた古代インドの叙事詩2つ |
マハーバーラタ:出会い ラーマーヤナ:王子ラーマとその妻シータ-との物語を描く 真 habar ラッタ あらまぁ マラ 嫌な |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝の時代の戯曲、作者 | シャクンタラー カーリダーサ(宮廷詩人) 社訓たら~ 髪型がカーリーでダサい |
05.インドの古典文明 |
ガンダーラの影響から抜き出し、 純インド的な評定をもつ_が成立しました。 _石窟の壁面に描かれた絵画が代表作とされています。 |
グプタ様式 アジャンター この味、やんたー アジャイルあんた |
05.インドの古典文明 |
グプタ朝→7世紀初め、_が_を建て、北インドを統一しました。 支配者の多くはヒンドゥー教徒でしたが、仏教・ジャイナ教にも保護を与えました。 |
ハルシャ王 ヴァルダナ朝 春社 おぬしもヴァルだな (ヴァルダマーナ:ジャイナ教) |
05.インドの古典文明 |
唐の_は、陸路でヴァルダナ朝を訪れ、 _の保護を受けながら_で仏教を学び、帰国後に『_』を著しました。 |
玄奘(げんじょう) ハルシャ王 ナーランダー僧院 大唐西域記 原状 並んだ せいいきき |
05.インドの古典文明 |
ヴァルダナ朝滅亡後の7世紀後半、 _がインドを訪れ、『_』を著述 |
義浄 南海寄帰内法伝 なんかい ききないほうでん 南海キャンディーズ |
05.インドの古典文明 |
インドに訪れた中国人3人 | 法顕(ほっけん):グプタ朝 玄奘(げんじょう):ヴァルダナ朝 義浄:ヴァルダナ朝滅亡後 |
05.インドの古典文明 |
6世紀半ばから仏教・ジャイナ教を排斥する_が盛んになりました。 インドでの仏教・ジャイナ教は衰退に向かっていきました。 |
バクティ運動 成功するかは博打 |
05.インドの古典文明 |
ミャンマーの歴史 ・_朝:ビルマ人による最初の統一王朝 →スリランカとの交流により_仏教の需要 ・_朝:ヨーロッパとの交易 ・_朝:ビルマ人最後の統一王朝 |
パガン朝⇔元:上座部(小乗) タウングー朝⇔ムガル帝国 コンバウン朝⇔イギリス(ビルマ戦争) |
06.東南アジア近現代史 |
タイの歴史 ・_:最初のタイ人の王朝 ・_:中国、ヨーロッパ、日本との交易 ・_:上座部仏教を保護。現在まで続く |
スコータイ朝 アユタヤ朝:ムガル帝国時代 ラタナコーシン朝 新たな、更新 |
06.東南アジア近現代史 |
カンボジアの歴史 ・_:港_を中心にした港市国家 →仏像やヒンドゥー神像、ローマ金貨などが出土 ・_:_人が建設、ヒンドゥー教を国教化 →全盛期:アンコール朝 |
扶南(ふなん)、オケオ 真臘(しんろう)、クメール |
06.東南アジア近現代史 |
前4世紀、ベトナム北部を中心に 青銅器・鉄器を生み出した_文化が発展しました。青銅器_の使用 |
ドンソン 銅鼓(どうこ) 中国→ベトナム→東南アジア |
06.東南アジア近現代史 |
2世紀、南ベトナムに_が建国されました(_人が後漢より独立)。 中国名:_→_ |
チャンパー チャム人 林邑(りんゆう)→占城(せんじょう) 海上交易で長く繁栄(中国に寄る前に必ず寄る) |
06.東南アジア近現代史 |
ベトナム北部は、前漢時代以来中国に服属していましたが、独立の動きが強まり11世紀、_が建国されました。 ・_:最初の本格的統一王朝 ・_:ベトナム文字_の作成 →元, 永楽帝の侵攻 ・_:南北ベトナムの統一 ・西山朝:クーデター西山の乱で誕生→越南国暎 |
大越国 李朝 陳朝:字喃(チュノム) 黎朝 律儀に礼 |
06.東南アジア近現代史 |
7世紀、スマトラ島に_が成立しました。 _は、インドへの往復の途中滞在し、仏教が盛んな様子を記しています。 →イスラームの_王国, オランダ征服へ |
シュリーヴィジャヤ王国 義浄 アチェ |
06.東南アジア近現代史 |
8世紀、ジャワ島ではヒンドゥー国の_朝や、仏教国のシャイレンドラ朝が成立しました。 大乗仏教寺院として_がジャワ島に建設されたり、影絵芝居_の文化がありました →クディリ朝、マジャパヒト人王国 →イスラームの_王国へ |
マタラム ボロブドゥール(ぼろぼろ) ワヤン マタラム |
06.東南アジア近現代史 |
ベトナムの黎朝は、明への朝貢貿易をおこない、_を受容して支配を固めました。 後に黎朝は明の支配を退けて自立しました。 |
朱子学 | 06.東南アジア近現代史 |
カンボジアのアンコール朝は、12世紀後半に_を造営し、この地に遷都した。 | アンコール=トム 多くの仏教彫刻が施されている |
06.東南アジア近現代史 |
呉楚七国の乱は何時代に起こったか | 前漢 群国制→群県制(中央集権化) 諸侯が封地削減に抵抗 |
07.中国の古典文明 |
黄河文明、前5千年ごろの 仰韶(ぎょうしょう)文化とは |
彩文土器を特色とするやつ 模様がついてる 前3000年:竜山文化 |
07.中国の古典文明 |
前3千年、中国で黒色磨研土器の_を特色とする_が形成されました。 | 黒陶(こくとう) 竜山文化 前5千年:彩文土器を特色とする仰韶(ぎょうしょう)文化 |
07.中国の古典文明 |
殷の酒器や食器に使われていたのは | 青銅器 | 07.中国の古典文明 |
前11世紀、周(西周)が殷の西側におこり、はじめ殷に服属しました。 やがて周は殷を滅ぼし、渭水(いすい)流域の_に都を定めて、華北を支配しました。 |
鎬京(こうけい) こっけい 後継者だから |
07.中国の古典文明 |
周の王は、一族や功労のあった臣下、各地の以前からの長に封土(ほうど、領地)を与えて_とし、その地を代々統治させました。 | 諸侯 そして、諸侯は卿・大夫・士などの臣下に、自らの封土を分け与えました。 このように上の者が封土が下に分与し、統治をまかせる仕組みを封建制と呼びます。 |
07.中国の古典文明 |
周の支配 封土が代々継承されるため、家柄が重視され、 同性の父系一族_を強く意識し、_を定めて結束を図りました。 |
宗族(そうぞく) 宗法(そうほう):継承に関する規則 |
07.中国の古典文明 |
中国とヨーロッパの封建制の違い | ヨーロッパでは個人的な契約に基づく主従関係 | 07.中国の古典文明 |
前8世紀、周は周辺民族に首都を攻略され、都を東方の洛邑(らくゆう)に移しました。 これにより、以前の周を西周、以後の周を東周と区別します。 この前8世紀から前5世紀までを_、以後の前3世紀までを_と呼びます。 |
春秋時代 戦国時代 |
07.中国の古典文明 |
春秋時代、前8世紀から前5世紀、東周の諸侯のなかに、 王の権威を利用して他の諸侯より優位に立とうとした者 |
覇者 ⇔藩鎮:節度使(国境を守る) |
07.中国の古典文明 |
中国戦国時代 小国は次々と併合され、やがて7つの強国_がならび立ちました。 七雄の中でも、西方の_は_を登用し、彼による改革で富国強兵を進めました。 |
戦国の七雄(しちゆう) 秦 商鞅(しょうおう)、商鞅の変法(改革) |
07.中国の古典文明 |
春秋・戦国時代には、次のような社会変動が生じました。 ①_が使用され、農業生産力が向上 ②商工業が盛んになり、_が流通 ③実力本位・下剋上の傾向で、有能な人材の登用 ④_と総称される思想家たちが現れ、新しい社会秩序の在り方を模索 |
鉄製農具 青銅の貨幣 諸子百家 |
07.中国の古典文明 |
儒家3人 | 孔子 孟子(性善説) 荀子(性悪説) |
07.中国の古典文明 |
家族を超えた博愛主義(兼愛)を主張し、 戦争の非人間性を批判した諸子百家 |
墨家 墨子を祖とする |
07.中国の古典文明 |
老子・荘子が知られ、あるがままの状態に逆らわない無為自然を主張する諸子百家 | 道家 | 07.中国の古典文明 |
強大な権力をもつ王が法と策略により国家の統治をすべきと主張した諸子百家を_という 戦国の七雄の1国_で擁護され、行政官の最高位に登りつめた_や富国強兵策で知られる_が活躍 |
法家(ほうか) 秦 李斯、商鞅 |
07.中国の古典文明 |
孔子が編纂した魯国の年代記で、 儒教の経典である五経の1つ |
春秋 | 07.中国の古典文明 |
中国最古の詩歌集で、黄河流域を中心とする地域の詩歌を集めたもの 儒教の経典である五経の1つ |
詩経 易経・書経・詩経・礼記(らいき)・春秋 |
07.中国の古典文明 |
屈原(くつげん)が 自作の詩を中心に楚の詩を集めたもの |
楚辞 | 07.中国の古典文明 |
秦の政策 _を廃止し、中央から派遣した役人に各地の統治をまかせる_を採用しました。 |
封建制 郡県制 |
07.中国の古典文明 |
秦の政策 儒家などの書物を禁書として廃棄する_ 始皇帝に批判的な学者を生き埋めにする_ を強行しました。 |
焚書(ふんしょ):医薬・占い・農業関係以外のもの 坑儒(こうじゅ) |
07.中国の古典文明 |
秦の政策 北方の騎馬遊牧民_の侵入に対抗し、 戦国時代以来の_を修築しました。 |
匈奴(きょうど) 長城 |
07.中国の古典文明 |
始皇帝の死後、農民の反乱_が起き、 秦は統一後15年で滅びました。 |
陳勝・呉広の乱 ちんしょう・ごこうのらん チンしよう、5個 |
07.中国の古典文明 |
秦の反乱勢力のなかで、 庶民出身の_と 楚の名門出身の_が力をのばしました。 |
劉邦、項羽 激闘の末、劉邦が中国を統一して漢を建国 |
07.中国の古典文明 |
劉邦が中国を統一して皇帝_となり、 _を建国しました。 |
高祖 漢(前漢) |
07.中国の古典文明 |
漢の都 | 長安→洛陽 |
07.中国の古典文明 |
漢の政治は 郡県制と封建制を併用する_を採用しました。 |
郡国制 |
07.中国の古典文明 |
漢で諸侯が封地削減に抵抗して起こした反乱 | 呉楚七国の乱 鎮圧され、漢の皇帝による抑圧は一層強化 ゴッソリ7国 |
07.中国の古典文明 |
前2世紀後半の漢の武帝(劉徹)は、数多くの対外戦争をおこないました。 ・北方:_討伐→西方の_と同盟を結ぼうとし、_を派遣 ・朝鮮:_を滅ぼして_などの4つの直轄地を配置 ・南方:南越を滅ぼしてベトナム北部までを支配下に |
匈奴 大月氏(だいげっし、遊牧民)/張騫(ちょうけん) 楽浪郡 |
07.中国の古典文明 |
武帝時代の漢では、_の意見をうけ、儒学を国家の正統な学問(官学)とし、その教育をおこなう官職の_の設置を決めました。 | 董仲舒(とうちゅうじょ) 五経博士 春秋の研究者 闘病中 |
07.中国の古典文明 |
漢は 鉄・_・酒の専売をおこないました。 |
塩 | 07.中国の古典文明 |
漢では、流通の調整と物価の安定をはかる_を実施しました。 | 均輸・平準(きんゆ、へいじゅん) 均輸官を郡国に配置し、各地の特産物を強制的に徴収する。これを他の地域で転売する 物価が下落したときに政府が商品を購入し、物価が高騰したときに売り出す。 |
07.中国の古典文明 |
漢の武帝の死後、宦官や外戚が権力をめぐって争いました。 紀元1世紀初頭、外戚の_が漢の皇帝を追い出し、_を建国しました。 |
王莽(おうもう) 新 王莽は、儒教の理想である周の時代の制度を復活しようと急激な改革をおこないました。 |
07.中国の古典文明 |
新に反発した農民たちが起こした反乱 | 赤眉の乱 劉秀により鎮圧 |
07.中国の古典文明 |
漢の一族出身の_が、漢を復興して_を建国し、皇帝_となりました。 都を_に定めました |
劉秀(りゅうしゅう) 後漢 光武帝 洛陽 |
07.中国の古典文明 |
後漢の地方支配は前漢に比べて後退し、地方の豪族の台頭がみられました。 結果、豪族勢力vs宦官の対立が深まり、 宦官が豪族出身者を禁固する_などの混乱が起きました。 |
党錮の禁(とうこ) 10この禁 豪族出身者の官僚は儒学を学んでおり、党人と呼ばれたことに由来 |
07.中国の古典文明 |
党錮の禁→黄巾の乱 宗教結社_の指導者_が起こした反乱 |
太平道 張角 太平洋の角 |
07.中国の古典文明 |
漢の時代、地方長官の推薦で官吏に登用する方法_が採用されました。 | 郷挙里選(きょうきょりせん) →後漢の時代、豪族が官僚として国の政治に進出するようになりました。 今日距離選挙 ⇔九品官人法:魏 |
07.中国の古典文明 |
後漢の時代、_は五経を正しく理解するために字句の解釈に努める学問_を大成しました。 | 鄭玄(じょうげん) 訓詁学(くんこがく) |
07.中国の古典文明 |
後漢の時代には_によって製紙法が改良されました。 | 蔡倫(さいりん) 森林伐採リン |
07.中国の古典文明 |
前漢、後漢の歴史書、作者 ・_:太古の黄帝の時代から前漢の武帝の時代までを_で記述 ・_:前漢の高祖から王莽の滅亡までを記述 |
紀伝体(どちらも) 史記:司馬遷が、 漢書:班固(はんこ) |
07.中国の古典文明 |
前漢の時代には_が西域に派遣され、また、 後漢の時代には_が西域都護となって西域経営に努めました。 西方の情報が中国に伝わり、ローマ帝国 (_)の存在も知られるようになりました。 班超の部下であった_が派遣されましたが、途中帰国しました。 |
張騫(ちょうけん) 腸検査 班超(はんちょう) 大秦 甘英(かんえい) |
07.中国の古典文明 |
マルクス=アウレリウス=アントニヌス と思われるローマ皇帝の名も、「_」という名で中国に知られました。 後漢の時代、大秦国王安敦の使者と称する者が、現ベトナム中部に位置する日南郡を訪れました。 |
大秦国王安敦 あんとん |
07.中国の古典文明 |
武帝は皇帝に権力を集中させました。 武帝の死後には、地方の実力者_、皇帝の側近である_、皇后の親族_が権力を握るために争いました。 |
豪族 宦官かんがん 外戚がいせき |
07.中国の古典文明 |
秦の始皇帝は、青銅製の貨幣_の使用を強制しました | 半両銭(はんりょうせん) →交鈔:元で用いられた紙幣 その他:刀銭・布銭など |
07.中国の古典文明 |
3世紀初頭に中国で黄巾の乱が起きて以降、各地に軍事集団が現れ、混乱が生じていました。 220年、曹操の子曹丕(そうひ)が後漢の皇帝から位を譲られ、華北に_を建国しました。 これをうけ、孫権が長江下流域に_を、劉備が内陸の四川に_を建国しました。 |
魏 呉 蜀 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
魏では、次の政策・外交がありました。 ①人材の推薦制度_を導入 ②貧民を集めて国が管理する土地を耕作させる_を導入 ③倭の邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢し、これに「親魏倭王」の称号を授与 |
九品官人法(きゅうひんかんじん、科挙の前) 屯田制 ⇔郷挙里選:漢 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
三国時代後半、魏が_を滅ぼしました。 _が国を奪い、魏に替わる_(_)を建てました。 _法の実施 |
蜀 司馬炎、晋(西晋) 占田・課田法(土地の分配) |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
晋は_の中で匈奴に滅ぼされました。 様々な国が興亡を繰り返した国家は_と総称されます。 皇帝一族の_が_で即位し東晋を復興させました。 |
八王の乱:地方の皇帝一族の権力争い 五胡十六国(匈奴、鮮卑etc) 司馬睿(しばえい)しばA 建康(現在の南京) |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
前1世、匈奴は漢の_に敗れた後、 東西に分裂しました(五胡十六国時代) |
武帝 さらに1世紀、匈奴は南北に分裂しました。 匈奴の分裂に乗じて、他の遊牧民(柔然など)の活動も始まりました。 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
北方に匈奴の一派である_が、 東北に鮮卑が、 西方に氐(てい)・羌(きょう)が勢力を形成しました。 匈奴を含めたこの5つの遊牧民は_と呼ばれ、たびたび中国に侵入しました。 |
羯(けつ) 五胡(ごこ) 匈奴の戦費は今日決定 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
5世紀、_出身の拓跋(たくばつ)氏が_を建てた ここの太武帝(たいぶていが)、華北を統一しました。 |
鮮卑 北魏 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
北魏の_は、次の政策をおこないました。 ①民衆に土地を分与し、耕作させる_を開始 ②村落のなかを、5つの家で「隣」>5隣で「里」>5里で「党」とまとめ、それぞれに長を置く_を開始 ③鮮卑の服装や言語を禁止し、中国文化を取り入れる「漢化政策」を推進 ④③を進めるため、_に遷都 |
孝文帝(文帝は楊堅) 均田制、三長制 洛陽 →北魏は漢化政策への反発で内部分裂し、西魏と東魏に分裂しました。 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
漢化政策で内部分裂→ 西魏は北周に倒され、 東魏は北斉に倒されました。 北斉は北周に倒されました。 北魏から北周までの5つの王朝を_と呼びます。 |
北朝 三国→五胡:遊牧民→南北朝 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
5世紀、東晋の劉裕(りゅう ゆう)が実権を握り_を建国しました。 その後、斉・梁・陳の王朝と順に興亡しました。 4つの王朝を_と呼びます。 |
宋 南朝 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
4世紀の五胡十六国時代、次の僧が活躍しました。 ①西域出身の僧で、仏教を布教 ②西域出身の僧で、仏教の経典を翻訳 ③西域・オアシス都市を経て、グプタ朝の最盛期のインドに行き、帰路には海路を利用。旅路を_に記録 |
仏図澄(ぶっとちょう) 鳩摩羅什(くまらじゅう、クマラジーヴァ) 法顕、仏国記 超太っい 9マラ10 ほうけい? 陽がさすほどに長くなる |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
三大石窟寺院 ①_の石窟寺院 ②北魏の時代に造営された石窟寺院で、北魏の建国当初の都平城の近くに立地 ③北魏の時代に造営された石窟寺院で、北魏の孝文帝が遷都した洛陽の近くに立地 |
敦煌(とんこう) 雲崗(うんこう) 竜門 ブタのうんこ |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
1世紀の後漢の時代に仏教が伝来して以降、その普及に刺激されて、_が成立しました。 | 道教 仙人や不老不死を信じる思想に、道家の説が加わった宗教 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
4世紀、道士_が道教の教団をつくり、 北魏の太武帝の信任を得ました。 |
寇謙之(こうけんし) →太武帝が仏教を弾圧する政策をおこない、道教は仏教と対抗して勢力を伸ばす →太武帝の死後、北魏は仏教へ復帰 健康法師の貢献 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
魏・晋の時代、 政治的陰謀と離れた自由で清らかな議論_が流行しました。 題材には、老子・荘子の道家の哲学などが選ばれました。 |
清談 | 08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
魏晋南北朝時代の文化 東晋から南朝の宋の時代にかけて活躍した、六朝文化を代表する詩人 |
・陶潜(とうせん、陶淵明) 没落した貴族の家に生まれ、41歳の時に官を辞し、貧しさにめげずに晴耕雨読の生活を送り、詩作をものした。 南北朝時代はとうせん ⇔照明太子:編纂 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
魏晋南北朝時代の文化 南朝3番目の王朝:梁(りょう)の皇太子で、 優れた詩を集めた『文選』を編纂 |
昭明太子 照明で詩を集めてるから ⇔陶潜:詩人 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
魏晋南北朝時代の文化 ・_:東晋の画家「画聖」、宮廷の女性の心得を説いた文章を基に_を描いた ・_:東晋の書家「書聖」、楷書・行書・草書の3書体を芸術的に完成「_」などを描いた |
顧愷之(こがいし):女史箴図(じょししんず) 王羲之(おうぎし):蘭亭序(らんていじょ) |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
前1世紀、中国東北の南部に_がおこりました。 ・4世紀、南下し_を滅ぼして朝鮮半島北部を支配しました。 ・全盛期に_の建設 |
高句麗 楽浪郡(らくろうぐん) 広開土王碑(こうかいどおうひ, 好太王碑) →朝鮮や日本との戦いを記録したもの |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
4世紀、朝鮮半島南部の東側に_、 西側に_、 南側に_が成立しました。 |
新羅 百済(くだら) 加羅(任那) |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
3世紀、日本列島は多くの小国に分かれていました。 そのなかで、有力な小国の邪馬台国の女王卑弥呼が_に朝貢使節をおくり、「_」の称号を与えられました。 |
魏 親魏倭王 |
08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
4世紀末、ヤマト政権は加羅や百済を助け、高句麗と争いました。 5世紀、このヤマト政権の5人の王(_)が中国の南朝に使者をおくり、称号・役職を求めました |
倭の五王 | 08.中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝) |
622年、ムハンマドは信者を率いて _から_に移住する_(聖遷)をおこないました。 |
メッカ、メディナ ヒジュラ イスラーム暦では、ヒジュラがおこなわれた年をイスラーム暦元年としています。 |
09.イスラーム世界 |
メディナには、イスラーム教徒(ムスリム)の共同体_が形作られました。 | ウンマ イスラーム教徒の国 |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文学 ・_:イラン(ペルシア)の詩人『_(四行詩集)』を著 数学・天文学にも優れて正確な太陽暦を作成 |
ウマル=ハイヤーム ルバイヤート うまるはいいや ルー バイヤーと ペルシアのレオナルドダヴィンチ |
09.イスラーム世界 |
アフリカ東岸では、港市にムスリム商人が来訪して交易が盛んにおこなわれました。 ・現地の_諸語にアラビア語などの外来語を取り入れた_語が形成された ・都市が拠点となった都市 |
バントゥー、スワヒリ マリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワ マリ, 悶々バッサリとザンジバルを切るわ |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文学 ・_:『_(王の書)』 古代イラン(ペルシア)の王についての記述 |
フィルドゥシー シャー=ナーメ fill |
09.イスラーム世界 |
イスラームの社会の基盤 ・_:人間の社会生活のあらゆる場面での法判断 ・_:ムハンマドの言行と伝承の記録 |
シャリーア(イスラーム法) ハディース |
09.イスラーム世界 |
イスラーム都市 ・_:礼拝施設 →_(光塔)から礼拝の呼びかけ |
モスク ミナレット |
09.イスラーム世界 |
_:初代正統カリフ | アブー=バクル →ウマル→ウスマーン →アリー |
09.イスラーム世界 |
630年、ムハンマドは_を征服し、 多神教の神殿であった_をイスラームの聖殿に定めました。 |
メッカ カーバ神殿 帰ってきた |
09.イスラーム世界 |
610年頃、商人出身の _は、 唯一神_の言葉を預かり、預言者であると自覚しました。 |
ムハンマド アッラー ササン朝とビザンツ帝国の争いで途絶えたオアシスの道で発達 |
09.イスラーム世界 |
イスラーム教の聖典 | コーラン ムハンマドが神から預かった言葉を、ムハンマドの死後に集成した |
09.イスラーム世界 |
イスラーム教徒(ムスリム)が信じるべき6つのこと イスラーム教徒(ムスリム)に求められる5つの行動規範 |
六信 五行 |
09.イスラーム世界 |
イスラーム教の五行 貧民に自分の財を与えること |
喜捨 | 09.イスラーム世界 |
ムハンマドの死後、 彼の義父アブー=バクルがイスラームの指導者_に選ばれました。 初代から4代目の_まで、信徒の間から選ばれた指導者を _と呼びます。 |
カリフ アリー 正統カリフ |
09.イスラーム世界 |
正統カリフのもとで、イスラームの勢力は ビザンツ帝国から_や_を奪いました。 イスラーム教徒はこれら征服地に移住し、軍営都市_を建設しました。 |
シリア、エジプト ミスル (⇔ウンマ:イスラーム共同体) |
09.イスラーム世界 |
正統カリフの時代→アリーが暗殺され、 シリア総督のムアーウィアが _を首都_に開きました。 |
ウマイヤ朝 ダマスクス(⇔アッバース朝、バグダード) カリフの地位は自称する形でムアーウィアに継がれ、ウマイヤ朝のもとでその地位は世襲制となりました。 |
09.イスラーム世界 |
・4代目カリフのアリーの子孫だけに指導者カリフの資格があるとする、イスラーム教徒の少数派 ・ウマイヤ朝をはじめとするイスラーム教徒の多数派 |
シーア派 スンナ派 |
09.イスラーム世界 |
ウマイヤ朝の財政は次の2つを基盤としました。 ・土地を所有する人に課せられる税(地租 ) ・納税関係なく、人に課せられる税(人頭税 ) |
ハラージュ ジズヤ これらの税は、被征服民(非アラブ人)のみ課せられました 。 被征服民はユダヤ教・キリスト教の信仰を認められましたが 、イスラームに改宗しても税を免除されませんでした 。 |
09.イスラーム世界 |
ウマイヤ朝の在り方は『コーラン』に背くという批判が出てきました。 750年ウマイヤ朝は滅び、新たに_が開かれました。ティグリス川の河畔に、 円状の首都_を造営しました。 |
アッバース朝 バクダード |
09.イスラーム世界 |
アッバース朝の税の政策 | ・人頭税(ジズヤ)はイスラーム教徒であれば、非アラブ人であっても課せられませんでした。 ・地租(ハラージュ)は征服地に土地をもつ場合には、アラブ人にも課せられました。 |
09.イスラーム世界 |
アッバース朝は、 5代目カリフ_の時代に最盛期を迎えました 。 |
ハールーン=アッラシード →イスラーム帝国と呼ばれる 春 |
09.イスラーム世界 |
ハールーン=アッラシードの死後、 中央アジアでは最初のイラン系の王朝_が現れました。 →10世紀、最初のトルコ人による王朝カラハン朝が、中央アジアに成立しました。 |
サーマーン朝(トルコ人奴隷を輸出していた) サーマーンは中央アジアイスラーム王朝 |
09.イスラーム世界 |
アッバース朝のカリフから、「軍司令官の第一人者」を意味する_に任じられた_家が_朝を成立させました | 大アミール、ブワイフ朝 アッバース朝のカリフは名目上存在するものの、実際の政権を担う |
09.イスラーム世界 |
ブワイフ朝は、俸給の代わりに部下の軍人に土地を分与し、土地の管理と徴税の権利を与えました。 この制度を_と呼びます。 |
イクター制 幾多の均田 |
09.イスラーム世界 |
750年、ウマイヤ朝が滅亡すると、ウマイヤ家の一族がイベリア半島に逃れました。 756年、イベリア半島に_を開き、同半島の_を首都としました。 |
後ウマイヤ朝 コルドバ コバルト |
09.イスラーム世界 |
10世紀初め、シーア派の一派が、 _を北アフリカに 開きました。 969年、エジプトを征服し、ナイル川東岸に首都_を造営しました。 |
ファーティマ朝 カイロ ファーティマ朝の君主は、アッバース朝に対抗してカリフの称号を用いました 。 |
09.イスラーム世界 |
ファーティマ朝の時代、 _にイスラームの学問の中心_が設けられました。 学者_を養成する教育機関マドラサの代表例 |
カイロ(首都)、アズハル学院 ウラマー |
09.イスラーム世界 |
11世紀初め、トルコ人_が、 トルコ人によるイスラームの王朝_を建国し、中央アジアから西方に進出しました。 1055年、バグダードに入城し、ブワイフ朝を倒しました。 |
トゥグリル=ベク セルジューク朝 2グリル |
09.イスラーム世界 |
セルジューク朝のトゥグリル=ベクは、 一方でアッバース朝のカリフを宗教的権威として存続させ、 他方でアッバース王朝のカリフから イスラーム法の執行権をもつ支配者_と認められました。 |
スルタン アッバース朝およびそのカリフは、スルタンの権力を認めるためだけに存在 ブワイフ朝:大アミール |
09.イスラーム世界 |
アッバース朝が中央アジアに進出すると、中央アジアの遊牧民 トルコ人は奴隷としてイスラーム世界に流入しました。 アッバース朝やセルジューク朝は、トルコ人の力を認め、奴隷身分出身の兵士_ として用いました。 |
マムルーク |
09.イスラーム世界 |
アイユーブ朝やマムルーク朝時代、 カーリミー商人と呼ばれるムスリム商人が、カイロを拠点に東西交易で活躍しました。 彼らは、香辛料などのアジアの物産を_など東地中海沿岸諸港まで運び、 _に売却しました。 |
アレクサンドリア イタリア商人 |
09.イスラーム世界 |
イスラーム世界には、あちこちに市場 (_、バザール)がありました。 都市を訪れる人のために宿泊施設 (_)も存在していました。 _(三角帆の木造船)を用いて「海の道」にも進出、中国・東南アジアへの布教にも貢献しました。 |
スーク キャラヴァンサライ (隊商宿) ダウ船 |
09.イスラーム世界 |
1258年、アッバース朝は モンゴル軍を率いた_に 首都_を陥れられ、滅亡しました。 イラン・イラクを領有し、_が開かれました。 |
フラグ バグダード イル=ハン国 |
09.イスラーム世界 |
カリフがいた国3つ、順番 | ・アッバース朝 ・後ウマイヤ朝(756、アミール→カリフ) ・ファーティマ朝(909、シーア派) |
09.イスラーム世界 |
ヨーロッパ付近のイスラム王朝4つ | ・後ウマイヤ朝:イベリア半島 ・ムラービト朝:ベルベル人 ・ムワッヒド朝:ベルベル人 ・ナスル朝:アルハンブラ宮殿 |
09.イスラーム世界 |
エジプトのイスラム王朝3つ | ・ファーティマ朝:シーア派、アズハル学院 ・アイユーブ朝:サラディン、第3回十字軍 ・マムルーク朝:船を使って貿易 |
09.イスラーム世界 |
中央アジアのイスラム王朝4つ | ・サーマーン朝:トルコ人奴隷を輸出 ・カラハン朝:最初のトルコ系 ・西遼 ・チャガタイ=ハン国:モンゴル系 →ティムール |
09.イスラーム世界 |
西アジア(イラン・イラク)のイスラム王朝4つ | ・ブワイフ朝:大アミール、シーア派 ・セルジューク朝:スルタン、ビザンツ帝国を撃破 ・ホラズム=シャー朝:アフガニスタン方面へ領土を拡大 ・イル=ハン国:アッバース朝を滅ぼす |
09.イスラーム世界 |
アフガニスタン、インドのイスラム王朝3つ | ・ガズナ朝:インド侵入 ・ゴール朝:インド侵入 ・デリー=スルタン朝:デリーの都に生まれた5つの王朝 |
09.イスラーム世界 |
セルジューク朝はイスラームのスンナ派であり、シーア派のファーティマ朝に対抗しました。 対抗の一環として、イスラーム教の法学や神学を学ぶ教育機関_を設けました。 セルジューク朝が建てた代表例は、_です。 |
マドラサ ニザーミーヤ学院 23見いや |
09.イスラーム世界 |
_がイル=ハン国を建国 7代目ハンの_の治世にイスラームを国教に定めました。 |
フラグ ガザン=ハン イル=ハン国の支配のもとでイラン=イスラーム文化が成熟しました。 かあさん |
09.イスラーム世界 |
ガザン=ハンの命令をうけ 、 イル=ハン国の宰相_が、 ペルシア語でユーラシア世界史『_』を著しました。 |
ラシード=アッディーン 集史 |
09.イスラーム世界 |
12世紀 、ベルベル人は、 黒人の王国_を滅ぼした_、 そしてその王朝を滅ぼした_ などの王朝を開きました。 上記2つの王朝は共に_を首都に定めました。 |
ガーナ王国 ムラービト朝 ムワッヒド朝 マラケシュ |
09.イスラーム世界 |
イベリア半島最後のイスラーム王朝は、 13世紀に成立し_を首都とする_でした。 スペイン=イスラーム建築の代表である_を造営しました |
グラナダ ナスル朝 アルハンブラ宮殿 グラタンなすりつける |
09.イスラーム世界 |
7世紀半ば以降、ヴァルダナ朝は急速に衰退・滅亡し、8世紀ウマイヤ朝のイスラーム勢力がインドへ進出しました。 10世紀末以降 、次の2つのイスラーム王朝がインドへ進出し、イスラーム化が進みました。 ①拠点_、マムルークの出身の人物を始祖とし たトルコ系のイスラーム王朝 ②↑から独立したイラン系のイスラーム王朝 |
アフガニスタン ガズナ朝 ゴール朝 |
09.イスラーム世界 |
13世紀 、ゴール朝の将軍_ は、 _にイスラーム王朝を開きました。 この王朝を_と呼びます。 |
アイバク デリー 奴隷王朝 アイバクが奴隷出身であったため I'll be back |
09.イスラーム世界 |
ササン朝ペルシアなどで使われていたペルシア語が、 イスラーム王朝のインド進出で伝播 インドの地方語と融合し、ムガル帝国の時代には_が成立しました。 |
ウルドゥー語 | 09.イスラーム世界 |
8世紀、ムスリム商人は_ などを求めて東南アジアへ、 陶磁器などを求めて中国へ進出しました。 中国の泉州・広州 などの港町を訪れました。 |
香辛料 唐で黄巣の乱復習が起きると、ムスリム商人はマレー半島まで撤退しました。 |
09.イスラーム世界 |
ガーナ王国衰退後、イスラームを受容した次の黒人国家が西アフリカに成立しました。 ①黄金の国_ ②替わって成立した_ サハラ砂漠(内陸アフリカ)の交易を支配し、岩塩と金との交易で都市_が繁栄を極めました。 |
マリ王国 ソンガイ王国 マリ損害 トンブクトゥ また、トンブクトゥにはイスラームの学者が招かれ、イスラーム学問・文化が栄えました。 |
09.イスラーム世界 |
11世紀頃から、アフリカのザンベジ川流域で_が栄えました。 | モノモタパ王国 大ジンバブエ遺跡で有名 モノ持ったぱ? |
09.イスラーム世界 |
東南アジアでイスラーム化した国3つ、場所 | ・マラッカ王国:王自らイスラームに改宗し、商業勢力との関係を強化(マレーシア) ・アチェ王国:スマトラ島で成立(スマトラ) ・マタラム王国:マジャパヒト王国の滅亡後に成立した王国(ジャワ) 海上交易で繁栄 またラム、マラか、あチェ |
09.イスラーム世界 |
イスラーム都市の教育機関や市場の運営は、 土地や商店の収入を寄付する_という制度に支えられました。 |
ワクフ | 09.イスラーム世界 |
イランなどを起源とする説話が中世ペルシア語の物語集として成長し、アラビア語に翻訳された集大成 | 千夜一夜物語 (アラビアン=ナイト) | 09.イスラーム世界 |
イスラームの巡礼旅行記_ 14世紀にモロッコで生まれ、アフリカや中国を広く旅した _ の口述筆記による作品 |
三大陸周遊記 イブン=バットゥータ evenバット打ったん |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 ギリシア哲学を研究し、アリストテレスの全著作に注釈を著して、 ヨーロッパの哲学に影響を与えた人物:_ ラテン語名:_ |
イブン=ルシュド(even る 手動 アヴェロエス |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 神秘主義を容認し、その理論家に努めた人物 |
ガザーリー 神をもっと近くに感じる、コーランを読む、踊る、分かりやすく |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 著作の医学書『医学典範』がラテン語に翻訳され 、 近世医学が成立するまでヨーロッパで教科書として用いられた人物:_ ラテン語名:_ |
イブン=シーナー アヴィケンナ even ナース |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 代数学と三角法を確立し、後のヨーロッパの数学に影響を与えた人物 |
フワーリズミー | 09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 植物の茎や葉を図案化して幾何学的に配置した装飾文様 |
アラベスク 神が描けないから アッラーのオベリスク |
09.イスラーム世界 |
イスラームの文化 中国絵画の影響を受けた 、書物の挿絵や装飾に描かれた精密な絵画 |
ミニアチュール(細密画) 写本の挿絵 |
09.イスラーム世界 |
イスラームの歴史書_ 14世紀の歴史家_が 遊牧民と定住民の社会を分析し、王朝の興亡の背後にある歴史法則を考察 |
世界史序説 イブン=ハルドゥーン even春 ⇔ラシードアッディーン:集史、モンゴル |
09.イスラーム世界 |
北朝の北周の軍人であった_(文帝)は、 581年、隋(ずい)を建国しました。 南朝の_王朝を倒し、南北に分裂していた中国を統一しました。 |
楊堅(ようけん) 陳(ちん) つまようじ堅 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
文帝・子の_が取り組んだ政策 ①_:_から継承した土地制度 ②土地を給与された者から徴税する制度 ③土地を給与された者から徴兵する制度 ④儒学の試験 ⑤江南(河川:長江)と華北(河川:黄河)を結ぶ大運河を開削 |
楊帝(ようだい) 均田制、北魏 租庸調制(そようちょう)、府兵制(ふへいせい) 科挙 つまようじ大 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
文帝の子_の時、江南と華北を結ぶ大運河が完成しました。 しかし、土木事業や_への遠征は農民を苦しめました。 反乱が起き、618年、隋は滅亡しました。 |
煬帝ようだい 高句麗 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
618年、_は隋を倒して _を建国しました。 _を都としました。 |
李淵(りえん、土木工事や高句麗遠征で反乱 ピエン) 唐 長安 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の2代皇帝_()は、唐の基礎を固め、 その政治は_と呼ばれました。 |
太宗 たいそう(李世民 りせいみん) 貞観(じょうがん)の治 三省、六部、御史台 中国史上最も良く国内が治まった時代と言われる |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の3代皇帝_は新羅を援助し _と_を破り最大領土を実現しました。 統治は服属した諸民族の長にまかせる_を採り、_を置きました |
高宗 百済、高句麗 羈縻(きび)政策、都護府 都合がいいから |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の初代皇帝 高宗は、今日の_に相当する律と、 今日の_などに相当する令をつくりあげました。 |
刑法/政法・民法 これら律令に基づき運営する国家を律令国家と呼びます。 律令などの制度や文化が、朝鮮半島の新羅や日本に伝えられました。 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の中央には、政治機構_と、そこで働く官吏を監察する_が設けられました。 地方には、行政単位の_をしきました。 |
三省・六部(さんしょうりくぶ) 御史台(ぎょしだい) 州県制 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐では制度_・_を実施し、 農民による均質な生産・納税で国家を支えようとしました。 |
・均田制:北魏・隋でおこなわれていた土地制度を継承 ・租庸調制:均田制に基づき、土地を給与された者から徴税する制度→丁男(成年男子)に課せられた税 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐では高級官吏の大土地所有は認められたので、私有の土地_を形成していきました。 →農民が耕作をさせられ、唐の当初の土地制度は次第に崩壊しました。 |
荘園 | 09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐では西魏の時代に始まった徴兵制度_が採用されました。 | 府兵制 ふへいを言っても徴兵 自営農民の中から兵士を徴発する徴兵制度 →玄宗の時代に募兵制へ |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の首都_は、広大な計画都市として造営されました。 ①中央の大通りを軸とする東西対称の都市として建設 ②アジア各地の首都建設のモデル ③アジア各地から留学生や留学僧、長江使節が訪問(日本からは遣唐使が訪問) ④仏教寺院・道教寺院のほか、_の寺院を築造 |
長安 景教(ネストリウス派キリスト教)/マニ教・ゾロアスター教(イラン) |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の文化 長安がかなりの国際都市であったことは、墓に納められた当時の陶器_からも分かります。 |
唐三彩(とうさんさい):白・緑・黄を基調とする陶器 ラクダの上に胡人(ソグド人など西方の人々)が乗っている像などが良い例です。 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐では _商人が海路にて中国にいたり、揚州や 中国南部の_・_ などの港町が発展しました。 |
ムスリム 泉州、広州 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐でヴァルダナ朝の王ハルシャ=ヴァルダナの時代のインドに 西域経由の陸路でわたり、ナーランダ僧院で学んだ後に仏教の大量の仏典を持って帰国したのは 旅の記録 |
玄奘 大唐西域記 明の時代に完成した小説『西遊記』のモデル |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の時代にヴァルダナ朝滅亡後のインドに海路でわたり、 ナーランダ僧院で学んだ後に仏典を持って帰国したのは |
義浄 | 09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
_の時代に始まった官吏試験_では 儒学が重視され、 唐の太宗は_らに命じて 五経の注釈書である『_』を編纂させました。 |
隋、科挙 孔穎達(く えいたつ)9 eight 2 五経正義 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐代では、_や_、 『長恨歌』で知られる_などの詩人が活躍しました。 科挙で詩作が問われたため、彼らは名声を博しました。 |
杜甫(とほ、春望) 李白(楊貴妃の詩) 白居易(はくきょい) |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐代では、_・_が古文復興を主張しました。 →対句や韻など形式を重視する「四六駢儷体」を批判 |
韓愈(かんゆ) 柳宗元(りゅうそうげん) can you so again? |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐では _が山水画を描き _が優れた書風を生みました。 |
呉道玄(ご どうげん) 顔真卿(がん しんけい) go! どう?ゲン ガン神経 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
7世紀末、高宗の皇后_が帝位につきました。 唐の国号を_と改めました。 |
則天武后(そくてんぶこう、唯一の女性皇帝) 周 科挙で積極的に官吏を登用する一方で、その権力で政治の混乱を招きました。 705年、再び国号を唐へと改号 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
8世紀初め、皇帝_は、則天武后以来混乱していた唐の再興に努めました。 この政治は、貞観の治と並び称され、「_」と呼ばれます。 傭兵をもちいる_を採用し、その指揮官_に辺境の防備をまかせました。 |
玄宗(げんそう) 開元の治(かいげんのち) 募兵制(お金で募集)、節度使(国境を守る) 開く幻想 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
治世の後半、玄宗は_を寵愛し、政治を考えなくなりました。 | 楊貴妃(ようきひ) 楊貴妃の一族が実権を握り、政治が混乱しました。 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の軍隊がアッバース朝に大敗した戦いで、唐の対外的な退勢を示す出来事 | タラス河畔の戦い 唐の捕虜によって製紙法がイスラーム世界に流入 タラs |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
楊貴妃の一族に反発し、節度使の_とその部下が起こした反乱が_である _の援軍を得てようやく鎮圧 |
安禄山(あん ろくざん):外国人 unlockさん 安史の乱 ウイグル→羈縻政策の破綻 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
安史の乱で唐の統制力が弱まり、 有力な節度使は各地で勢力を拡大し_と呼ばれました。 →907年_が唐を滅ぼして_を建国 |
藩鎮(はんちん) 朱全忠(しゅぜんちゅう)、後梁(こうりょう) ハンチング帽 ⇔春秋時代:覇者 ⇔元:朱元璋 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
780年、唐の宰相_は、次を実施して財政を再建しました。 ・_:租庸調制に代わり夏と秋に分けて税金を納める ・_の専売→_が発生 |
楊炎(ようえん) 両税法:土地の所有を認める(✕均田) 塩、黄巣の乱 →反乱に加わった朱全忠が、唐に寝返って鎮圧 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
唐の衰退・滅亡をうけ、中国商人は西方との交易に_船を用いて参加しました。 | ジャンク |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
儒教の成立3つ | 前漢:董仲舒の意見で、官職の教育係「五経博士」を設置 後漢:鄭玄が五経を正しく理解するための学問「訓詁学」を大成 唐:孔穎達が科挙のために注釈書「五経正義」を編纂 ⇔韓愈、柳宗元の古文復興 |
09.東アジア文明圏の形成(隋・唐) |
4世紀後半、アジア系の_が西に進み、 ゲルマン人の一部族である東ゴート族を征服、西ゴート族を脅かしました。 _が、376年にドナウ川を渡ってローマ帝国内に移住したことから、他のゲルマン諸部族もローマ帝国内へ_を始めました |
フン人(匈奴) 西ゴート族 ゲルマン人の大移動 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
410年、西ゴート族はガリア西南部(スペイン・南フランス)に_を建国し、_半島を支配しました。 | 西ゴート王国 イベリア |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
5世紀、フン人の_ が パンノニア(ハンガリー)を中心に帝国を建国しました。 |
アッティラ あ、ティラミス カタラウヌムの戦い 西ローマ帝国・西ゴート王国・フランク王国の連合軍に敗れ、のちに帝国は崩壊しました |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
476年、西ローマ帝国は ゲルマン人の_(個人名)によって滅ぼされました。 |
オドアケル ゲルマン人傭兵隊長 odd開ける |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 東ゴート族が_のもとでフン族の支配から脱し、イタリアに_を建国 |
テオドリック大王 東ゴート王国 手踊りリリック |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 _ が北アフリカに建国 6世紀、皇帝_ の時代のビザンツ帝国によって滅亡 |
ヴァンダル人 ユスティニアヌス 板樽 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 フランク人(族)が ガリア北部(フランス北部)に_建国 |
フランク王国 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 568年、_人が_を北イタリアに建国 |
ランゴバルド人、ランゴバルド王国 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 _が大ブリテン島に_を建国 |
アングロ=サクソン人 七王国 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
フランク王国を建国した人 王朝の名前 |
クローヴィス メロヴィング朝 黒グロービス メロディwing |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
クローヴィスは、キリスト教正統派の_に改宗し、ローマ人との関係を強化しました | アタナシウス派 当時、ゲルマン人の多くが、キリスト教の異端派とされたアリウス派を信仰していました。 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
6世紀、フランク王国はブルグンド王国などを滅ぼし、全ガリアを支配しました。 しかし、8世紀にメロヴィング朝は衰退し、 王朝の行政・財政の長官である_(役割)が実権を握りました。 |
宮宰(きゅうさい) 宮宰:ゲルマン諸国家および諸侯の宮廷職の首位を占める職 伯・巡査氏:フランク王国巡察使 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ゲルマン人の大移動 711年、イスラーム王朝の_が、イベリア半島をわたって_を滅ぼしました。 732年、_の戦いでメロヴィング朝の宮宰_が、フランク王国領内に侵入した軍を撃退した |
ウマイヤ朝 西ゴート王国 トゥール・ポワティエ間の戦い カール=マルテル 旨いや |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
751年、カール=マルテルの子_は、 ローマ教会に認められてフランク王国の王位につき、_を開きました。 |
ピピン カロリング朝(カロリーing ピピンは、イタリアのランゴバルド王国から土地を奪い、後の教皇領の起源となる領地をローマ教皇に寄進しました (ピピンの寄進)。 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
8世紀末、ピピンの子_(_)は、 イタリアの_を滅ぼしました。 |
カール大帝 シャルルマーニュ ランゴバルド王国 ローマ帝国を取り戻そう→広い領土 結果、大多数のゲルマン諸部族が統合され、ローマ=カトリックに改宗させられました。 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
カール大帝は、東では_を、 南ではイスラーム勢力を撃退しました。 |
アヴァール人 西ヨーロッパの主要部分はフランク王国によって統一されました。 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
フランク王国は国内を州に分け、各地の有力者を州の長官_として置きました。 また、それを監督する_も派遣しました。 |
伯(伯爵の語源) 巡察使 宮宰:ゲルマン諸国家および諸侯の宮廷職の首位を占める職 伯・巡査氏:フランク王国巡察使 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
8~9世紀、カール大帝は宮廷に_ら学者を集め、学芸を奨励しました。 これにより、_と呼ばれる文芸復興がおこりました。 |
アルクイン(イギリス出身の神学者) カロリング=ルネサンス 領土的にも文化的にもローマ帝国の復活 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
800年、ローマ教会教皇_は、 カール大帝にローマ皇帝の冠を授け、 西ローマ帝国復活を宣言しました。 これを_という |
レオ3世 カールの戴冠(たいかん) ・西ローマ帝国がビザンツ帝国への従属から自立 ・ゲルマン、ローマ、キリスト要の結合 レオン:東、聖像禁止令 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ローマ帝政末期(3世紀末~)、初期キリスト教の五大教会(五本山)が、 ローマ、コンスタンティノープル、 アンティオキア、イェルサレム、_ にありました。 |
アレクサンドリア なかでも最有力は、ローマ教会とコンスタンティノーブル教会でした |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
476年に西ローマ帝国が滅亡すると、 ローマ教会教皇_は、ゲルマン人への布教をおこないました。 |
グレゴリウス1世 ローマ教会が首位権を主張。 主にブリタニア(イギリス)に布教 ⇔7世:カノッサの屈辱 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ビザンツ帝国皇帝_ は、聖像禁止令(聖像崇拝禁止令)を発布しました。 | レオン3世 ①初期キリスト教の教理に反するため ②偶像を否定するイスラームに対抗するため →ローマ教会が反発し、ビザンツ帝国・コンスタンティノープル教会との対立を強めました。 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
フランク王国を ・_:西/東/中部フランク王国の3つに分けた条約 ・_:中部フランク王国の一部を東西で分けた条約 |
ヴェルダン条約(well done) メルセン条約(メルセデス |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
10世紀、東フランク王国ではカロリング家の血統が断絶し、王は諸侯の選挙で選ばれるようになりました。 _家による王朝が成立し、 _がウラル語系の_を撃退しました。 |
ザクセン オットー1世 マジャール人(オットットおじゃる丸) ⇔ユーグ・カペー これにより、教皇ヨハネス12世からローマ皇帝の帝冠(帝位)を授けられました →神聖ローマ帝国 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
10世紀末、カロリング家の血統が断絶しました。 西フランク王国ではパリ伯_が王位につき、_を開きました。 |
ユーグ=カペー カペー朝 ユーグレナいなかっぺ |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
9世紀頃から北欧にはヴァイキングと呼ばれる_が海賊行為を伴う交易を繰り返し、北欧や西ヨーロッパ各地に進出して国家を建設しました。 ①デンマーク、ノルウェー、スウェーデン建国 ②_がノルマン人の一派ルーシを率いて、_流域に_を建国 →その一族が南下し_を建国 ③10世紀、_が北フランスに_を建国 ④イングランドのアングロ=サクソン王国へ侵入 ⑤両シチリア王国 ⑥アイスランド、グリーンランド、アメリカなど |
ノルマン人(ゲルマン人の北版) リューリック(龍陸 ドニエプル川、ノヴゴロド国(ノヴが土でゴロゴロ キエフ公国(黄F ロロ、ノルマンディー公国 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
9世紀末、イングランド王国の_がノルマン人の侵入を撃退 1016年、デーン人の王_がイングランドを征服 →1066年、_が_を建国 |
アルフレッド大王 クヌート(歩くフルート) ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世) ノルマン朝 デーン人:デンマーク地方のノルマン人 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
南部イタリアはアラブ人が支配していましたが、 ノルマン人が12世紀前半、 南イタリアとシチリア島に_を建国しました |
両シチリア王国 | 10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
ノルマン人の原住地 ・_半島 ・ユトランド半島 |
スカンディナヴィア半島 | 10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
封建制の荘園には以下の2つがあります ・領主が直接経営した_ ・領主が農民に貸した_ |
領主直営地 →すべて諸侯・国王の利益 農民保有地 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
_:封建制の領主に奴属する農民 ・_:領主直営地を耕作 ・_:収穫物の一部を納入 ・_:教会に対して納入 ・結婚税/死亡税(相続税) |
農奴 賦役(ふえき) 貢納(こうのう) 十分の一税 |
10.中世ヨーロッパ世界の成立 |
10 ~11世紀、主君が家臣に領地(封土 ほうど)を与えて保護し、 家臣は主君に軍事的忠誠の義務を負うという結びつきが生まれました。 この社会制度を_と言います。 |
封建制 元来は中国古代の周の制度を指す用語だが、土地を媒介する主従関係という点で似通うためこの語を使用 家臣は、主君の違反に対して服従を拒否することができました。 また、家臣は複数の主君をもつこともできました。 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
封建制は、ローマの_とゲルマンの_が結びついて成立しました 。 | 恩貸地制(おんたいち) 従士制 自分の土地を有力者に献上してその保護下に入った後、改めて有力者からその土地を恩貸地として貸与してもらう制度 貴族や自由民の子弟が、他の有力者に忠誠を誓ってその従者になる慣習 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
領主の所有地は_と呼ばれ ・国王の立ち入りや裁判を拒む_(インムニテート) ・領主が農民に行使した裁判権_ をもちました。 |
荘園 不輸不入権(ふゆ ふにゅうけん) 領主裁判権 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
かつての_制は、農奴制の先駆形態とみなされています。 ・家族や住居を持つことができた ・領主の裁判権の下に置かれ 、また、移動の自由が認められない。 ・労働する義務「賦役」と、生産物を納める義務「貢納」を負いました ・教会に対する「十分の一税」 |
コロヌス | 11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
10世紀、聖職売買などの教会の腐敗に対して改革運動が起こりました。 この運動の中心となったのが、フランスの_修道院でした。 教皇_は、以下の運動を押し進めました。 ①聖職売買や聖職者の妻帯を禁止すること ②教皇以外から聖職叙任権を取り上げること |
クリュニー グレゴリウス7世 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
ローマ教皇の権威は13世紀の_の時に絶頂に達しました。 | インノケンティウス3世 世俗君主を圧倒、英王ジョンを破門 第4回十字軍提唱 陰の剣ティウス |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
11世紀から西ヨーロッパでは、農法_ が普及しました。 また牛にひかせる重量有輪犂(ゆうりんすき)も普及して 、農業生産力が向上しました 。 |
三圃制(さんぽせい) 荘園の耕地を春畑・秋畑・休閑地 に等分して輪作する →西ヨーロッパの人口が急激に増加→大開墾時代・国土回復運動・十字軍 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
11世紀、イスラーム国家のセルジューク朝はビザンツ帝国を脅かしました。 ビザンツ帝国皇帝は、救援を要請し、 教皇_は_にて第1回十字軍を派遣しました。 |
ウルバヌス2世 クレルモン宗教会議 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
1099年、第1回十字軍は_を奪回し_を建国しました。 | イェルサレム イェルサレム王国 ⇔第4回:コンスタンティノープル(ラテン王国) |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
イェルサレム王国は、 12世紀後半に_が王国領の大半を占領し陥落 |
マムルーク朝(イスラム系) ⇔ラテン王国 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
_の_がイェルサレムを占領 神聖ローマ皇帝・フランス国王・イギリス国王によって第3回十字軍が派遣されましたが、聖地奪回の目的は果たせませんでした。 |
アイユーブ朝、サラディン サラダ |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
13世紀の第4回十字軍は、参加者・資金が不足し、輸送を依頼した_の商人に押され、_を占領し、_を建国しました。 | ヴェネツィア コンスタンティノープル(ビザンツ帝国の首都) ラテン王国 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
当初市政を独占したのは、貿易に従事する大商人の商人ギルドでした。 中世都市の手工業者は、大商人に対抗して職種別の_ (_)を組織しました。 同職ギルドと商人ギルドが市政権を争う闘争を繰り広げました。 |
同職ギルド(ツンフト) ツンデレ布団 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
中世ヨーロッパ農奴解放の動きの背景2つ | ①貨幣経済の浸透→経済力で自由を買う ②人口の減少(黒死病、ペスト)→領主が待遇を改善して労働力を確保 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
中世の農民たちは、領主の身分的束縛から解放された「独立自営農民」に成長しました。 イギリスの独立自営農民は、_と呼ばれました。 |
ヨーマン ⇔ジェントリ:騎士 ⇔ユンカー(地主貴族):プロイセン |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
農奴解放の動き →領主が再び身分的に束縛しようとした際に起きた一揆2つ |
・ジャックリーの乱 ・ワット=タイラーの乱 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
ジャックリーの乱 _で起こった、増大した負担に対する農民一揆 |
フランス この時のフランスは百年戦争の最中 ジャックは農民に対する蔑称 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
ワット=タイラーの乱 _で起きた農民一揆で、_が指揮し、 _が思想面から鼓舞 |
イギリス、ワット=タイラー ジョン=ボール:アダムが耕し、イヴが紡いだとき、だれが貴族であったか |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
商工業の発展のなか、固定された地代に頼る領主は困窮しました。 なかでも騎士階級であった領主は、国王や諸侯から領地を没収されることもありました。 14~15世紀、騎士は_の使用が広まったことで没落しました 。 |
火砲 | 11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
教皇権の衰退→13世紀末、フランス国王_が 聖職者課税問題をめぐってローマ教皇_と争いました。 この対立の際、国王は聖職者・貴族・平民が出席する_ をはじめて召集しました。 |
フィリップ4世:聖職者に税金をかけて諸侯や騎士を助けたい⇔2世:破門されかけ ボニファティウス8世 三部会 →国内の支持を得る |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
中世ヨーロッパ教皇権の衰退で起こった事件 | アナーニ事件 ローマ教皇ボニファティウス8世が フランス国王フィリップ4世に捕らえられ、屈辱で乱心・憤死 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
アナーニ事件後、ローマ教皇庁は南フランスの_ に移されました。 | アヴィニョン 約70年間、教皇はフランス王の支配下におかれました。 このことを、古代のバビロン捕囚に例えて「教皇のバビロン捕囚」と言います。 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
「教皇のバビロン捕囚」が終わり教皇がローマにもどった後、正統性をめぐって対立したこと | 教会大分裂(ローマ、アヴィニョン、ピサ) 教会大分裂は、教会や教皇の在り方に対する批判を生みました。 これに対して教会は、異端審問や魔女裁判によって批判する者を罰しました。 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
14世紀後半、イギリスの _ は、教会が聖書の教えから離れていると教会改革を主張し、聖書を英訳して自説の普及に努めました。 ボヘミア(ベーメン)の_ はこれを支持し、教皇からの破門にもひるまずに教会を批判しました。 |
ウィクリフ:英訳 フス:チェコ語に翻訳 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
教会大分裂を収束させた会議 | コンスタンツ公会議 ウィクリフとフスを異端と宣告し、フスを火刑にて処罰 →すでに寿命で死んでいたウィクリフは、遺体を掘り起こされ、著書とともに火刑 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
コンスタンツ公会議でフスの処刑後、 _が_で起こった |
フス戦争 ボヘミア 教皇権の衰退は止まらず、また、キリスト教の改革運動は続きました。 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
第4回十字軍によりビザンツ帝国にラテン帝国が建国。後に復活しましたが、 1453年_に滅ぼされました。 |
オスマン帝国 | 11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
中世の都市は封建領主から特許状を取得し、自治権を獲得しました。 北部・中部イタリアの自治都市_、都市同盟_ ドイツの自治都市_、都市同盟_ |
コムーネ:ロンバルディア同盟, comune ミラノ中心,北イタリア 帝国都市:ハンザ同盟 盟主リューベック |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
商業ルネサンス ・地中海商業圏:_・_の輸入、銀の輸出 ・北欧商業圏:_地方の毛織物 ・内陸商業圏:_地方の定期市 |
ヴェネツィア・ジェノヴァ (香辛料・絹織物…東方貿易, レヴァント貿易) フランドル地方(ガン、ブリュージュなど) (北海・バルト海交易, ⇔イギリス) シャンパーニュ地方 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
修道院は、厳しい規律の下で信仰修行と労働に励む者が共同生活を営む場所です。 6世紀、_がイタリアの_に修道院を設立しました。 |
ベネディクトゥス モンテ=カシノ ベネディクト修道会は、「祈り、働け」をモットーに、清貧・純潔・服従の生活を送ることを求めました。 「労働=奴隷の仕事」という労働観を大きく変えました。 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
10世紀、クリュニー修道院が中心となり、教会の腐敗に対して改革運動を起こしました。 12~13世紀、ベネディクト修道会の思想を継ぐ_が、開墾運動の先頭に立ちました。 13世紀、修道院の外で布教に努める修道会_が現れ、_と_の2つが知られています。 |
シトー修道会 托鉢修道会(たくはつ-) フランチェスコ修道会・ドミニコ修道会 |
11.中世ヨーロッパ世界の展開 |
神聖ローマ皇帝_(ドイツ王)は 聖職叙任権をめぐって 教皇グレゴリウス7世と対立し、皇帝を破門されました 。 |
ハインリヒ4世 | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪して破門を許された出来事 | カノッサの屈辱 叙任権は教皇が保持することが決定:ヴォルムス協約 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
1154年、イングランド国王の血統をもつ フランスのアンジュー伯が イングランド国王_として即位し、_朝を建てました。 |
ヘンリ2世 プランタジネット朝 フランス西半部をも領有しました。 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ヘンリ2世の子_は、 フランス国王_と争い、 フランスにあった領地の大半を失いました。 また、教皇_と対立し破門されました。 |
ジョン王 フィリップ2世 インノケンティウス3世 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
1215年、ジョン王が課税に反対する貴族に強いられて認めた文書 | 大憲章 (マグナ=カルタ) 王による権力の濫用を禁止し、新たな課税を出す際には大貴族の会議の承認を必要とするなど |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ジョン王の子_は大憲章を無視しました。 この行為は1265年_による反乱を招きました。 |
ヘンリ3世 シモン=ド=モンフォール この反乱は、州騎士と市民代表が参加する「諮問会議」をヘンリ3世に認めさせました。 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
1295年、ヘンリ3世の子 エドワード1世は、イングランドで _を開きました。 |
模範議会(もはんぎかい) 構成員に州騎士・市民代表を加え、当時の社会要請に応えた模範的構成 その後、議会は高位聖職者と大貴族を代表する上院と、州と都市を代表する下院に分かれ法律の制定や新課税には下院の承認が必要になりました |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
イギリスの騎士は、早くから軍事的役割を失い、地方の地主階級_(郷紳)となり、下院の勢力となっていました。 | ジェントリ ⇔ヨーマン:農民 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
12世紀末、イギリス国王_は、_と戦い、 フランス国内のイギリス領の大半を奪われました。 また、_と対立しました。 |
ジョン王、フィリップ2世 インノケンティウス3世 当初カペー朝の力は、北フランスの一部にしか及ばなかったため |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
13世紀、フランス国王_ は キリスト教異端のアルビジョワ派を征服して勢力を南フランスにも広げました。 また対イスラームの協力要請とキリスト教布教を目的に、 1253年_をモンゴルに派遣しました。 |
ルイ9世 ルブルック ルーブルみたいな |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
1328年、フランスでカペー朝が断絶、 新たにヴァロワ朝が建ち、百年戦争が始まった争点2つ ①カペー朝断絶の際、イングランド国王_ が母方がフランスのカペー朝出身であることを理由に王位継承権を主張 ②フランスが毛織物生産の盛んな_を欲し、この地方に羊毛を輸出するイギリスが警戒 |
エドワード3世 フランドル地方 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
百年戦争 ・_の戦い:イギリスのエドワード皇太子率いる長弓隊が活躍して勝利 フランスでは_が起きて崩壊寸前 ・ポワティエの戦い:仏王を捕虜とする |
クレシーの戦い ジャックリーの乱 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
百年戦争の終結時のフランス国王は_ _が現われ、オルレアンの包囲を破ってイギリス軍を打破 |
シャルル7世 ジャンヌ=ダルク |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
百年戦争の最中、 フランスで_が起きて崩壊寸前 |
ジャックリーの乱(農民反乱) | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
百年戦争後にイギリスで_戦争が起こった 1485年、内乱を治めた_が即位し、イングランド王国の_を開きました。 _をおき、反抗する貴族を処罰しました。 |
バラ戦争 ヘンリ7世、テューダー朝 星室庁裁判所 〇ランカスター家・×ヨーク家による王位継承の内乱 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
8世紀以降、キリスト教徒は、 イスラームの支配下に置かれた_を奪回する _(_)を起こしました。 |
イベリア半島 運動国土回復運動(レコンキスタ) |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ドイツの神聖ローマ帝国皇帝は、 諸侯の力を抑えるため、カトリックの中心地であるイタリアを支配下におさめる_を行いました |
イタリア政策 →皇帝がドイツに不在のため領邦(諸侯の領土の独立)が形成され、叙任権闘争(カノッサの屈辱)を迎えた |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ドイツの大空位時代 神聖ローマ帝国皇帝_ は _(黄金文書)を発布しました。 →_家が世襲 |
カール4世 金印勅書(皇帝選出権を選帝侯に付与) ハプスブルク家 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
中世イタリア ・北部 ・中部 ・南部 にあった国 |
ヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ミラノ 教皇領 両シチリア王国(ナポリ王国、シチリア王国) |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ビザンツ帝国 ユスティニアヌス帝が建てた聖堂 |
ハギア=ソフィア聖堂 おはぎやソフィア |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ビザンツ帝国で栄えた商業 | 絹織物業(⇔毛織物:地中海) | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
7世紀頃から、ビザンツ帝国は_を採用し司令官に軍事・行政権を与えました。 兵士や農民に土地を与え、軍役を課す制度_がとられました。 |
軍管区制(テマ制):郡県制と同じ 屯田兵制:自分の土地をすごく守りたい |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ビザンツ帝国の美術 キリスト教の聖母子などの聖像画_が描かれました |
イコン →聖像禁止令 インコ |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ビザンツ帝国はセルジューク朝の圧迫により、軍役奉仕と引き替えに貴族に領地を与える_をとりました。 | プロノイア制 軍人に土地からの徴税権が与えられ、ほぼ国の分割状態 プロの嫌 ⇔オスマン帝国:ティマール制 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
西スラヴ人のポーランド人・チェコ人は、キリスト教のうち_を受容しました。 リトアニアと合同し_朝が成立しました。 |
(ローマ=)カトリック ヤゲウォ朝 矢ゲボ |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
10世紀、西スラヴ人の一派チェック人(チェコ人)が_ (_)を形成しました。 11世紀、神聖ローマ帝国に編入されました。 |
ボヘミア王国(ベーメン王国) べ〜面 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
西スラヴ人3つ | ポーランド人 チェコ人、スロヴァキア人 →全員カトリック |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
南スラヴ人の人種と宗教 | スロヴェニア人、クロアティア人:カトリック セルビア人:ギリシア正教 →バルカン半島北部を統合→オスマン帝国により敗北 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
10世紀末、キエフ公国の_は、 _に改宗し、国教として受容しました。 |
ウラディミル1世 ギリシア正教 裏で見る |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
キエフ公国から分離・独立した公国の1つモスクワ大公国は急速に勢力を伸ばしました。 1480年、大公_の時にモンゴルの支配(タタールのくびき)から脱しました。 自身をローマ帝国(ビザンツ帝国)の後継者とし、_と自称しました 。 |
イヴァン3世 ツァーリ(皇帝) コサックダンスにいい板3世 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
9世紀頃、キリスト教信仰との調和を重んじ、論理的に体系化する学問_が始まりました。 ・_論:神や普遍という個物の原型が存在するという立場 ・_論:原型は思考実験のなかでのみ存在するという立場 代表論者 |
スコラ学 実在論、代表論者:アンセルムス 唯物論、代表論者:アベラール、ウィリアム=オブ=オッカム 杏sellムース 安倍ラー油 Wii おっ噛む |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ギリシアのアリストテレス哲学が、 スコラ学の発展に大きな影響を与えました。 _ は『_』を著し、スコラ学を大成しました。 |
トマス=アクィナス 神学大全 トーマス悪意なす |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
中世ヨーロッパの文学3つ | ローランの歌:カール大帝の時代の騎士を題材に、11世紀末にフランスで成立 ニーベルンゲンの歌:5世紀前半にアッティラ の下で大帝国を築いたフン族を題材にしたゲルマンの英雄叙事詩 アーサー王物語:ブリトン人の伝説的英雄を物語化した騎士道物語で、12世紀にフランスで成立 ローラ 2ベル人間 朝 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
13世紀、_がスコラ学に対し自然科学で実験を重視する 方法論を説きました。 | ロジャー=ベーコン 路上ベーコンの科学 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
中世ヨーロッパの大学4つ、分野 | ・ボローニャ大学:法学。イタリア最古の大学の1つ ・サレルノ大学:医学。イタリア最古。アラビアの影響 ・パリ大学:神学。フランスに設立 ・オクスフォード大学:神学。パリ大学を模範にイギリスに創立 ゴローニャ触れるの? |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
中世ヨーロッパの教会建築3つ。代表と特徴 | ・ビザンツ様式:モザイク壁画。 ハギア=ソフィア聖堂 ・ロマネスク様式:厚い石壁に小窓。 ピサ大聖堂 ・ゴシック様式:ステンドグラス、尖塔。 ノートルダム大聖堂 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
国土回復運動で成立したポルトガルやスペインは、国王の権力が強く、いち早く航海の準備ができました。 これらの国々は、_の産地である「インド」を目指しました。 |
香辛料 | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
イベリア半島をキリスト教諸国が再征服した後も、ムスリムはイベリア半島に残留することが許されました。 スペイン中部の_ではアラビア語の文献がラテン語に翻訳され、12世紀ルネサンスに繋がりました。 |
トレド | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
統一国家が存在しなかった中世のイタリアでは、外部勢力の干渉がたびたび起こり、イタリア諸侯・都市は_(皇帝党)と_(教皇党)に分かれて、地域内・都市間で対立しました | ギベリン、グルフ 皇帝ペンギン |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
百年戦争の結果、イギリスは_を残して大陸の所領を失いました | カレー イギリス防衛の最終拠点として整備され続けた拠点 →イタリア戦争にてフランスが奪還 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
バラ戦争で対立した家系_、家紋_ | ランカスター家:赤バラ →ヘンリ7世 ヨーク家:白バラ |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
中世ヨーロッパの文化 主に宮廷をめぐり歩く_が 騎士の武勲詩/恋愛詩を朗唱、叙情詩の文学が栄えました。 |
吟遊詩人 ローランの歌・ニーベルンゲンの歌など |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
_:ビザンツ帝国のギリシア正教会が、スラヴ人に対して布教する際に考案された文字 | キリル文字 | 12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
ビザンツ帝国の公用語は_から_に変わりました | ラテン語→ギリシア語 人口の多くをギリシア人が占めるようになったため:ギリシア正教会 |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
北欧。14世紀末、_の 女王マルグレーテの主導で、 _の3国が_を結びました。 |
デンマーク デンマーク・スウェーデン ・ノルウェー カルマル同盟 ハンザ同盟に負けないように かるまるサウナ |
12.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
キリスト教国が後ウマイヤ朝から奪い返した領土に建てられた国3つ | ポルトガル王国 カスティリャ王国/アラゴン王国 →合併してスペイン王国へ。ナスル朝を滅ぼす カステラ、アラゴン |
13.中世ヨーロッパ世界の各国史 |
唐の滅亡から宋の建国までの、短命な王朝が次々に交替し、小国が分立するこの時代を_と言います。 | 五代十国時代 後梁、後唐、後晋(契丹に燕雲十六州を渡す) 後漢、後周 (⇔五胡十六国:晋) |
13.東アジア世界の展開 |
960年、五代の後周の武将_は、 宋(北宋)を建国しました。 |
趙匡胤(ちょうきょういん) 領土が小さいが、黄河と大運河を抑えてるので問題なし 調教員 |
13.東アジア世界の展開 |
宋が移行した政治体制 | 文治主義 ・節度使を文人官僚に置き換え ・科挙の整備 |
13.東アジア世界の展開 |
宋代以降、皇帝自らがおこなう 最終試験_ が始まり、 皇帝と官僚の結びつきが強化されました 。 |
殿試(でんし):面接 役人の人事権をもつ。軍人を減らして安定の時代へ 電子 |
13.東アジア世界の展開 |
五代十国時代の混乱の内容(没落と興隆) | ・貴族の没落(荘園の崩壊) ・藩鎮や節度使の武断政治 →文治主義により、社会の支配階層が変わった |
13.東アジア世界の展開 |
北宋を圧迫した周辺民族3つ、建国者 | ・遼(耶律阿保機 やりつあぼき) ・西夏(李元昊 りげんこう) ・金(完顔阿骨打 わんやんあぐだ) |
13.東アジア世界の展開 |
11世紀後半の宋の皇帝_(宰相_)は、 _と呼ばれる富国強兵の改革をおこないました。 急激な改革に反発する官僚も多く、 反対する_らの一派_と対立しました。 |
神宗(しんそう) 王安石:新法 司馬光:旧法党 →対立によって、宋は国力を弱めました。 |
13.東アジア世界の展開 |
宋の新法 ・_:農民への金銭や穀物などの低利貸付け政策 ・均輸法 ・_:中小商人への低利貸付け政策 ・募役法:労役のかわりに免役銭を出させて希望者を雇用する ・保甲法:成年男子に軍事教練や治安維持を担わす |
青苗法せいびょうほう 市易法しえきほう |
13.東アジア世界の展開 |
宋が滅亡したのが_ 金によって都の_を占領され、_を喪失 |
靖康の変(せいこう) 開封(かいほう) 華北 金は宋の上皇(前皇帝)徽宗(きそう)と皇帝欽宗(きんそう)を連行 |
13.東アジア世界の展開 |
靖康の変→北宋の皇帝 欽宗の弟高宗が 江南に逃れて南宋を建国し、 _(現在の_ )に都を置きました。 |
臨安(りんあん) 杭州 リン杏 口臭 |
13.東アジア世界の展開 |
南宋では金に対する政策をめぐり、次の2派が争いました。 和平派:_ら 主戦派:_ら |
秦檜(しんかい) 岳飛(がくひ) 和平派の主張が採用され、淮河(わいが)を国境としました。 また、宋は金に対して臣下の礼をとり、毎年銀・絹を送りました。 |
13.東アジア世界の展開 |
宋(北宋)の都である_ は、 黄河と大運河が合流する交通の要衝に位置します。 |
開封(かいほう) 水路という利点を活かし、中国各地を結び付ける中枢として機能しました。 |
13.東アジア世界の展開 |
宋代の支配層 ・_:社会の支配層を形成。科挙に合格した家_が多発 →_と呼ばれる小作農が耕作に従事 ・_:儒学教養を身に着けた政治的、社会的指導者層 |
形勢戸(けいせいこ)、官戸(かんこ) 佃戸(でんこ) 士大夫(したいふ) 宋では儒学・詩文を学べる新興地主層が、科挙の主な合格者を輩出 地主と佃戸の関係は、土地の貸借関係~隷属的関係まで様々でした。 |
13.東アジア世界の展開 |
南宋が建国されると江南の開発が進みました。 開発された長江流域で、日照りに強い早稲種の_が栽培されました。 |
占城稲(せんじょうとう) 結果、宋代には長江下流域は生産力が大いに高まり、中国経済の中心地となりました 。 「蘇湖(そこ)熟すれば天下足る」と称されるようになりました。 |
13.東アジア世界の展開 |
唐代末期以降:_と呼ばれる非公認の市が自然発生的に誕生 →地方の小都市_へ発達 宋代:_・_:商人/手工業者の組合 |
草市(そうし) 鎮(ちん) 行、作 |
13.東アジア世界の展開 |
宋では銅銭、金・銀の地金(じがね)が貨幣として用いられました 加えて民間の手形である_ ・_ が発達し紙幣として流通するようになりました。 |
交子(こうし)、会子(かいし) 地金:金属を一定の塊で固めた塊 重かったから紙幣に 子牛飼いし |
13.東アジア世界の展開 |
宋の歴史学:著者2 清・明の歴史学2 |
司馬光「資治通鑑(しじつがん)」編年体 欧陽脩(おうようしゅう)「新唐書」「新五代史」 顧炎武(こえんぶ)考証学 銭大昕(せんたいきん) 史実ガン、応用集、古塩分 |
13.東アジア世界の展開 |
_:宋で生まれた、宇宙の原理や人間の本質などを探究する宗教 周敦頤(しゅうとんい)が創始 _が完成 |
宋学→朱子学 朱熹(しゅき、朱子) 知識があるものに敬意を払う |
13.東アジア世界の展開 |
宋の時代に登場した仏教2つ | ・禅宗(禅や座禅による修行→士大夫層を中心に広まる) ・浄土宗(阿弥陀仏信仰により極楽浄土へ、官僚から庶民にまで幅広く浸透) |
13.東アジア世界の展開 |
モンゴル部族出身のテムジンは、諸部族を支配下に収め、 1206年、遊牧民の集会_で遊牧民の君主を意味する_の位につきました。 自らを_と号し、_を建てました。 |
クリルタイ ハン チンギス=ハン モンゴル帝国 |
13.東アジア世界の展開 |
チンギス=ハンの侵略 ・金の都(燕京) ・中央アジアのナイマン ・西アジアの_ ・西夏 |
ホラズム=シャー朝 →陸上交通の真ん中を抑えた |
13.東アジア世界の展開 |
チンギス=ハンの死後、 子_は兄弟・一族たちとの争いに勝利し、1260年、大ハンの位につきました。 金を滅ぼして華北を領有し、また、モンゴル高原の_に都を建設しました |
オゴタイ カラコルム 殻コモル |
13.東アジア世界の展開 |
13世紀、チンギス=ハンの孫_ が、 ロシアを征服し_を建国しました 。 さらにヨーロッパに侵入し、 _に勝利しました。 |
バトゥ キプチャク=ハン国(元キエフ公国) ワールシュタットの戦い(ドイツ・ポーランド連合軍) イスラーム教の採用 オゴタイが死んでしまったので引き返した 罵倒keep悪 |
13.東アジア世界の展開 |
1260年、_ が第5代の大ハンに即位し、 都を_(現在の_) に移しました。 国号を中国風の_と定め、 南宋を滅ぼしました。 |
フビライ 大都、北京 元 |
13.東アジア世界の展開 |
モンゴル帝国でフビライ=ハンの大ハン即位に反対して起こした反乱 | ハイドゥの乱 hide |
13.東アジア世界の展開 |
元はモンゴル高原と中国を領有し、 チベット・高麗も属国としました。 交易圏拡大を目指し_ が支配する ミャンマーに進出しました。 |
パガン朝 🍞ガン |
13.東アジア世界の展開 |
元はヴェトナム(大越)にも出兵しましたが、_により撃退されました。 | 陳(ちん)朝 ⇔パガン朝:ミャンマー |
13.東アジア世界の展開 |
元は、幹線道路に沿って馬を乗り継ぐ駅を設ける、_を施行しました。 | ジャムチ(駅伝制) 結果、東アジアからヨーロッパにいたる陸上交易が発達しました。 |
13.東アジア世界の展開 |
元では貨幣として銅銭・金・銀が用いられました。 フビライ=ハンが_と呼ばれる紙幣を発行し、主要な通貨となりました。 |
交鈔(こうしょう):金代から使用されていた | 13.東アジア世界の展開 |
モンゴル帝国内では漢語からトルコ語・ラテン語まで様々な言語が用いられました。 _ の命令で、チベット仏教僧が 公用文字_ を作成し、元でのモンゴル語の表記に用いられました。 |
フビライ=ハン パスパ文字(passpa →後に廃れ、モンゴル語はウイグル文字で表記 |
13.東アジア世界の展開 |
元の末期、権力闘争や経済政策の失敗が続き、_が起きました。 | 紅巾の乱 宗教結社 白蓮教を主体とした農民反乱 チベット仏教にお金を刷りすぎた |
13.東アジア世界の展開 |
元の時代の文学 ・_:北宋末期の武勇 ・_:玄奘のインド求法を題材 ・三国志演義 |
水滸伝(すいこでん) 西遊記 |
13.東アジア世界の展開 |
元代に完成した戯曲_が、庶民に愛好されて盛んになりました。 代表作として、_・_などが作られました。 |
元曲 琵琶記:出世して都で豪華な生活を送る男の話 西廂記(せいそうき):宰相の娘と書生との恋愛 創世記 |
13.東アジア世界の展開 |
モンゴル帝国と東西世界の交流をした人3 | ・プラノ=カルピニ:ローマ教皇の命で情勢偵察 ・ルブルック:ルイ9世の命で、十字軍への軍事同盟要請 ・モンテ=コルヴィノ:最初のカトリック「布教」 プラのカルピス モンティーカルロ法 |
13.東アジア世界の展開 |
ヴェネツィアの商人_が元の大都を訪れ、フビライ=ハンに仕えました。 見聞をまとめた『_』はヨーロッパで反響を呼びました。 |
マルコ=ポーロ 世界の記述(東方見聞録) |
13.東アジア世界の展開 |
中国の元の時代、_がイスラームの天文学を取り入れて_を作りました。 | 郭守敬(かくしゅけい) 授時暦(じゅじれき) 元代の授時暦は、江戸時代の日本の貞享暦の基礎となりました。 各種刑、十字歴 |
13.東アジア世界の展開 |
遼(契丹)は北宋と_を結び、毎年絹や銀を送ることを約束させました。 遊牧民族には部族制、農耕民族には州県制をとる_が採られました。 金の攻撃により滅亡→西遼(カラ=キタイ, 建国者_) |
澶淵の盟(せんえんのめい) 二重統治体制 耶律大石(やりつたいせき) →契丹文字は、ウイグル文字と漢字の 影響を受けています。 |
13.東アジア世界の展開 |
11世紀、チベット系の_の李元昊が皇帝と称して、西夏を建てました。 澶淵の盟に類似した和約を宋と結び、毎年絹と銀を送らせることを約束させました。 |
タングート | 13.東アジア世界の展開 |
1125年、金は宋(北宋)と結んで契丹(遼)を滅ぼしました。 金では、_という軍事・行政制度が採用されていました。 →開封の陥落後、女真にはこれを維持し、漢民族には宋の州県制を継承しました。 |
猛安・謀克(もうあん ぼうこく) 女真は独自の女真文字をつくりました |
13.東アジア世界の展開 |
北方遊牧民との交易が盛んになった宋代では、 馬と交換するために_が専売とされました |
茶 | 13.東アジア世界の展開 |
隋代の文学では散文・詩が流行 _の時代には、前の時代以降から音曲に合わせてうたう詞が流行しました |
宋 | 13.東アジア世界の展開 |
宋の時代には、周辺国との朝貢関係が衰えた反面、民間での交易が活発化しました。 _などの港では、_が海上交易の管理をおこないました。 |
広州・泉州・明州(現在の寧波, ニンポー) 市舶司しはくし |
13.東アジア世界の展開 |
宋代の代表的な都市として_が栄え、 _の生産地でした。 |
景徳鎮(けいとくちん, 江西省) 宋磁(そうじ, 青磁・白磁) |
13.東アジア世界の展開 |
朱子学の考え方 ・「性即理」:知性を重視 ・_:大臣下の守るべき節操と本分を明らかにする ・_:大学、中庸、論語、孟子 を重視 |
大義名分論:上下関係を重視 四書(⇔五経:儒学) |
13.東アジア世界の展開 |
宋の時代に文書や詩を書いた人2人 | ・欧陽脩(おうようしゅう):歴史学 ・蘇軾(そしょく) ⇔唐:韓愈, 柳宗元 |
13.東アジア世界の展開 |
宋の芸術 _:宮廷様式の絵画。桃鳩図(作_)が有名 |
院体画(いんたいが) 徽宗(きそう, 皇帝) |
13.東アジア世界の展開 |
宋の時代の金で、道教の改革を試みた王重陽が、儒学・仏教・道教を調和した道教の一派_を始めました | 全真教(ぜんしんきょう) | 13.東アジア世界の展開 |
紅巾の乱のなかで台頭した貧民出身の_は、皇帝_となり明を建国しました。 元をモンゴル高原に退け、 _を都として中国を統一しました。 |
朱元璋(しゅげんしょう) 洪武帝(こうぶてい) 南京 |
14.明・清の時代 |
洪武帝は、皇帝の詔勅を起草する_や_を廃止しました。 代わりに管轄下にあった_を皇帝に直属させました。 |
中書省、丞相(じょうそう、自分で命令を作るため) 六部 |
14.明・清の時代 |
洪武帝は朱子学を官学として科挙を整備しました。 また、唐の律令に倣って、_を制定しました。 |
明律・明令 | 14.明・清の時代 |
明は、民間人の海上交易(私貿易)を禁止する_政策を採り、 外国人には朝貢貿易体制のみが認められました。 |
海禁(倭寇の対策) 頭を下げに来るやつ |
14.明・清の時代 |
洪武帝は、民衆統制のために次のことを実施・作成しました。 ・_:町内会で記録 ・租税台帳_と土地台帳_の作成 ・_:朱子学を広めるもの制定 ・_:民衆の戸籍と軍人の戸籍(軍戸)を分けて作る |
里甲制(りこうせい、町内会で記録) 賦役黄冊(ふえきこうさつ。どの地域でどのくらい納めるか) 魚鱗図冊(ぎょりんずさつ。うろこみたいだから) 六諭(りくゆ) 衛所制(えいしょせい、軍戸は税金払わない) |
14.明・清の時代 |
洪武帝の死後、建文帝が即位し、 北方防衛にあたる諸王の勢力を削減したため_が起こりました |
靖難の役(せいなんのえき) 洪武帝の子、燕王が起こした→勝利して即位 |
14.明・清の時代 |
明の全盛期_(人)は、 首都を_から_に遷し_を造営しました。 皇帝を補佐する_を設けました。 |
永楽帝 南京(洪武帝)→北京 紫禁城(しきんじょう) 内閣大学士(宦官の重用, ×官僚, 自分がクーデターを起こしたから) 出兵をしていたので自分で仕事しない |
14.明・清の時代 |
永楽帝は_に明軍を出兵し、一時支配しました 。 また、自ら軍を率いて_に遠征しました。 |
ベトナム モンゴル 対外的に頑張ってるアピール |
14.明・清の時代 |
永楽帝は1405~33年の間に計7回、イスラーム教徒の宦官_を、インド洋からアフリカ大陸東海岸に遠征させ、諸国に朝貢を促しました。 | 鄭和(ていわ) いてーわ |
14.明・清の時代 |
1449年、_の族長_が、 明の皇帝の正統帝を捕縛する _が起こりました |
オイラト エセン=ハン 土木の変 オイラとA戦犯になろう! |
14.明・清の時代 |
16世紀の明後期、モンゴル諸部族(韃靼、タタール)が、_のもとで強盛となり北京を包囲しました。 →明は長城の改修にお金をかけ続ける |
アルタン=ハン altern |
14.明・清の時代 |
_は南倭と呼ばれ、中国・朝鮮半島沿岸で密貿易や略奪をおこないました。 | 倭寇(わこう) 代表的な倭寇として中国出身の王直が知られ、日本の五島列島などを拠点に活動しました。 日本人中心の14~15世紀の倭寇を前期倭寇、中国人中心の16世紀の倭寇(海禁に反抗)を後期倭寇と区別 |
14.明・清の時代 |
明後期の16世紀、各種税や徭役(ようえき)を銀で納入する_が実施されました。 | 一条鞭法(いちじょうべんぽう) 貿易統制をやめ、日本銀やメキシコ銀が流入 →人頭税を織り込んだ地丁銀制に進む |
14.明・清の時代 |
16世紀後半の明では、 幼少の皇帝、万暦帝を補佐する_の下で、 財政再建などの政治改革が進められました。 その死後、_という官僚のグループと_が対立しました |
張居正(ちょうきょせい) 東林派(東林書院という学校出身) 非東林派(宦官と結託) 超去勢 ⇔宋:王安石 |
14.明・清の時代 |
政治の混乱に反発した民衆は、 各地で暴動を起こしました。 1644年、_の農民反乱軍が北京を占領し、明は滅亡しました。 |
李自成(りじせい) | 14.明・清の時代 |
1616年、女真の_が 明の支配から脱して、 _を建国しました。 |
ヌルハチ 後金 金:かつて遼を滅ぼしたときの |
14.明・清の時代 |
10世紀以後、中国の東北地方(満州)に住む_系の_は、 遼の支配下で半農半猟生活を営みましたが、 後に遼を滅ぼし_を建国、華北を支配しました |
ツングース 女真(じょしん) 金 →後にモンゴル帝国に滅ぼされ元・明の支配をうけました。 |
14.明・清の時代 |
1635年、ヌルハチの子_は、 内モンゴルの一部族_を服属させました。 1636年、皇帝と称し国号を_と改めました |
ホンタイジ チャハル 清 本退治、はるちゃ |
14.明・清の時代 |
1644年、順治帝の清軍が 明の武将_の協力を得て北京に入城しました。 |
呉三桂(ごさんけい) もとは明の武将 →李自成を倒す |
14.明・清の時代 |
清の4代皇帝_は、次の2つの抵抗を平定し、 中国統一を完成させました。 ①_がオランダ人の勢力を駆逐して _を占領、ここを拠点に清に抵抗 ②_:藩王の勢力削減に_らが起こした反乱 |
康煕帝(こうきてい) 鄭成功(ていせいこう)、台湾 三藩の乱(さんぱんのらん)、呉三桂(ごさんけい) 後期帝せいこう |
14.明・清の時代 |
康煕帝は、地銀(地税)の中に丁税を織り込み、 一括して銀納する_を整えました |
地丁銀制(ちていぎんせい) 地税の値上げ、人頭税をやめた→何人増えてもそのまま。人口爆発 地底銀制 ⇔一条鞭法:両方銀で |
14.明・清の時代 |
清の4代皇帝康煕帝は、 ロシアのピョートル1世と_を結び、国境を設定しました |
ネルチンスク条約 寝るチンすくっ |
14.明・清の時代 |
清の4代皇帝康煕帝は、中国の_に関してキリスト宗派と反発しましたが、 _のみを認めました。 子の雍正帝はキリスト教布教の禁止を行いました。 |
典礼(てんれい):ご先祖様に手を合わせる イエズス会:典礼を承認 禁止して中国文化を守る |
14.明・清の時代 |
清の5代皇帝_は、次のことをしました。 ①_:ロシアとモンゴル北辺の国境を取り決め ②軍事・行政上の最高機関_の設置 |
雍正帝(ようせいてい) キャフタ条約 軍機処(ぐんきしょ):元は守るため。領土の拡大につながる |
14.明・清の時代 |
清の6代皇帝_は、次のことをしました ①制限貿易の開始:貿易港を_1港に限定、_の設置 ②_の征服。東トルキスタンを「_(新しい土地)」と呼びました |
乾隆帝(けんりゅうてい) 広州、広行(貿易業務の独占を認められた特権商人) ジュンガル、新疆(しんきょう) りゅうけん 純ガール、新境地 |
14.明・清の時代 |
清の領土支配 ・直轄地:中国本土、満州(東北地方)、台湾 ・_:間接統治。モンゴル、チベットなど _を設け、管理・監督させました |
藩部 理藩院(りはんいん) 唐の羈縻政策みたいなもの はんぶん リハ用員 |
14.明・清の時代 |
清の軍制 漢人で組織する_と、 漢人・満州人・モンゴル人の3軍で編制する_を、要地に駐屯させました。 |
緑営(りょくえい):警察みたいなもの 八旗(はっき):軍隊 |
14.明・清の時代 |
清の統治体制「アメ」 ・_:皇帝直属の行政機関 ・_:官吏雇用試験 ・_:重要な官職の定員を偶数にし、同数任命 |
六部 科挙 満漢併用制 |
14.明・清の時代 |
清の統治体制「ムチ」 ・_の強制 ・_:反清・反満敵な書物の弾圧 ・_:思想統制のために特定の書籍を禁止 |
辮髪(べんぱつ):満州人の風習 文字の獄(もんじのごく) 禁書 |
14.明・清の時代 |
明代に、商品の全国的な流通網が成立し、 _商人や_商人が活躍しました。 そして、各地の都市に同郷・同業者の互助施設_・_が置かれました。 |
徽州(きしゅう):専売塩で利益をあげる 山西(さんせい):専売塩+金融業 会館・公所:同業、同郷の商人や職人が互助 紀州の3世 快感こうしよう |
14.明・清の時代 |
明の国家編纂事業 儒教経典の解釈の正しい基準を示す_・_ 古今の図書の内容を事項別に分類整理した_ |
四書大全、五経大全(解釈を固定化) 永楽大典(えいらくたいてん):百科事典 |
14.明・清の時代 |
清の国家編纂事業 ・字書 ・中国最大の百科事典 ・中国最大の叢書(分類) |
康熙字典(こうきじてん) 古今図書集成 四庫全書(しこぜんしょ)→禁書の探索 古今 図書 修整 しこ全勝 |
14.明・清の時代 |
_:朱子学に対抗して生まれた儒学 _(_)が、人は本来心のなかに真正の道徳をもつという心即理を主張 心のままに行動を起こす_を説く |
陽明学 王陽明(おうようめい) 王守仁(おうしゅじん) 知行合一 行動よりも知識や修養を重視し過ぎる朱子学の傾向を批判 |
14.明・清の時代 |
清の時代の小説2つ | 紅楼夢(こうろうむ) :上流社会の栄華没落を題材 儒林外史(じゅりんがいし) :官吏の腐敗を暴露 →庶民に好かれそうな題材:庶民の生活が活発 樹林外資 |
14.明・清の時代 |
明代の実学、著者 ①薬物に関する総合書 ②農政・農業関係の総合書 ③産業技術書 |
本草綱目(ほんぞうこうもく) →李時珍(りじちん) 農政全書 →徐光啓(じょこうけい) 天工開物(てんこうかいぶつ, 怪物) →宋応星(そうおうせい) 本草理事長 乗せ徐行 天候怪物 相応の星 |
14.明・清の時代 |
16世紀末、明に_が訪れてキリスト教の布教をおこないました。 ①_:作成した漢訳版世界地図 ②_:_とエウクレイデスの幾何学を翻訳に携わり、紹介した書物 |
マテオ=リッチ 坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず) 徐光啓、幾何原本(きかげんぽん) 宗教改革が起こっていたので、広がっていない地域に広げる 改革マテ 混浴万国全図 |
14.明・清の時代 |
清代にイエズス会の宣教師_と徐光啓が 共同作業で作成した暦法書:_ |
アダム=シャール 崇禎暦書(すうていれきしょ) |
14.明・清の時代 |
清に大砲を伝えた宣教師 | フェルビースト フェルト 野獣 |
14.明・清の時代 |
宣教師_は、 清で中国国内の地図_の作成に協力した |
ブーヴェ 皇輿全覧図(こうよぜんらんず) ⇔坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず) |
14.明・清の時代 |
宣教師、画家である_は、 北京に建設された_の設計に参加 |
カスティリオーネ 円明園(えんめいえん) カステラクリオネ 延命 |
14.明・清の時代 |
宋:_(江浙こうせつ)熟すれば天下足る 明:_熟すれば天下足る 流域の変化 |
蘇湖そこ 湖広ここう 毛織物工業などが盛んになり長江中流へ |
14.明・清の時代 |
15世紀初め、現在の沖縄は_によって統一され、琉球王国が生まれました。 _との間で朝貢貿易をおこないました。得た品々で東南アジアと中継貿易をおこない栄えました 。 |
中山王(ちゅうざんおう) 明 |
14.明・清の時代 |
家康は_との朱印船貿易を促進 日本人が東南アジアに 日本町を形成しました。 |
明 | 14.明・清の時代 |
隋、唐、五代、宋、元、明 終わらせた人 |
隋:李淵 唐:朱全忠 五代:趙匡胤 宋:フビライ 元:朱元璋→洪武帝 紅巾の乱 明:李自成 |
14.明・清の時代 |
遊牧民による最初の国家は、 前6世紀、騎馬遊牧民_が南ロシアの草原地帯に築きました。 前3世紀頃、モンゴル高原の南部に、 騎馬遊牧民_が国家を形成しました。 |
スキタイ 匈奴(きょうど) |
15.中国周辺地域史 |
前3世紀末、匈奴の最盛期に_が即位し 西方の月氏や東方の漢を圧迫しました。 漢の_は、匈奴に敗れて婚姻関係を結ぶなど和親を図りました。 前1世紀頃に漢の_が匈奴の勢力を北に退け東西に分裂しました。 |
冒頓単于(ぼくとつぜんう) 高祖(劉邦) 武帝 ぼく凸前羽 |
15.中国周辺地域史 |
前1世紀、匈奴は漢の武帝に敗れた後、東西に分裂しました。 _は漢に敗れて滅亡し、匈奴は南北に分裂しました。 _は後漢の攻撃を受けてフン人の祖先となりました |
西匈奴 北匈奴 残ったほうは漢に服属 |
15.中国周辺地域史 |
4世紀、西晋内部の混乱を契機に、華北では五胡と呼ばれる諸遊牧民が次々と国を建てました。 遊牧民である_の_(人)が北魏を建国し、華北を統一しました。 _の称号を使用しました |
鮮卑せんぴ 拓跋氏 カガン(可汗):ハンの元となった |
15.中国周辺地域史 |
遊牧民である_は 太武帝の北魏と対抗をしました |
柔然(じゅうぜん) →突厥に滅ぼされる |
15.中国周辺地域史 |
トルコ系の遊牧民である_はササン朝とともにエフタルを滅ぼしました。 北方遊牧民最古の文字_を使用しました |
突厥 突厥文字 →隋の時代に東西に分裂 |
15.中国周辺地域史 |
漢から唐にかけて中国に侵入した民族5つ | ・匈奴(vs漢) ・鮮卑(北魏) ・柔然(vs北魏) ・突厥(vsエフタル, 柔然) ・ウイグル(安史の乱, マムルークへ) |
15.中国周辺地域史 |
朝鮮の三国時代、新羅が唐の力を借りて高句麗を滅ぼしました。 →_が逃れ_を建国(都_) |
大祚栄(だいそえい):ダイソーA 渤海 上京竜泉府(じょうきょうりゅうせんふ) →長安をモデルに作成 |
15.中国周辺地域史 |
新羅(都_)は唐を排除し朝鮮半島を統一 →朝貢、冊封下へ ・_:特権的な身分制度 ・_:仏教寺院の建設 |
慶州(けいしゅう) 骨品制 仏国寺 |
15.中国周辺地域史 |
新羅→_(都_)が朝鮮を統一(_が建国) | 高麗(都:開城) 王建 |
15.中国周辺地域史 |
高麗→_(人)が朝鮮統一(都_) ・_の官学化、_の実施 ・_:高級官職独占者 ・金属活字の発達 |
李成桂(りせいけい) 漢城(かんじょう, 漢陽, ソウル) 朱子学(=明)、科挙 両班(やんばん) |
15.中国周辺地域史 |
李氏朝鮮にて_が_(表音文字)を制定 | 世宗(せいそう) 訓民正音(くんみんせいおん) →現在のハングル |
15.中国周辺地域史 |
_:豊臣秀吉による朝鮮侵攻 _の活躍:_の使用 |
壬辰・丁酉の倭乱(じんしん・ていゆうのわらん) 李舜臣(りしゅんしん) 亀船(きせん, 亀甲船) |
15.中国周辺地域史 |
李氏朝鮮は清(満州人国家)を正当な「中国」と認めず、政党な中華を守っている唯一の継承者が挑戦であるという_の思想が芽生えました | 小中華 | 15.中国周辺地域史 |
高麗の文化 ・木版印刷で_の作成 ・世界最古の_の発明 ・_宋代の陶磁器の影響を受けた読字の陶器 |
高麗版大蔵経(だいぞうきょう) 金属活字 高麗青磁(こうらいせいじ) |
15.中国周辺地域史 |
金が作成した文字:_ 紅巾が制定した民族文字:_ |
女真文字 満州文字 |
15.中国周辺地域史 |
中国の唐王朝の時代に、チベットの都_に_が成立しました。 建国者_がインド・仏教の仏教文化を導入し_文字を創作しました |
ラサ 吐蕃(とばん) ソンツェン=ガンポ チベット文字 |
15.中国周辺地域史 |
チベット仏教:大乗仏教が民間宗教と融合して成立 フビライに従事した_が宗教・文化顧問の国師となり豪遊 →_の改革:戒律と修行を重んじる_派の創始 政教一致の最高権力者_、宮殿_で生活 |
パスパ ツォンカパ、黄帽(こうぼう)派 ダライ=ラマ、ポタラ宮殿 |
15.中国周辺地域史 |
雲南地方には 唐王朝の時代、_という国があり、 続いて宋王朝の時代に_が成立 モンゴル帝国(フビライ)により滅亡しました |
南詔(なんしょう) 大理(だいり) |
15.中国周辺地域史 |
1370年、西チャガタイ=ハン国出身の武将_が_を建国しました。 首都_を中心に繁栄しました |
ティムール ティムール朝 サマルカンド tea むる summer 浮かんど |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ティムール朝の征服 ・イラン:_ ・ロシア:_ ・インド:トゥグルク朝 ・_:オスマン皇帝を捕縛 |
イル=ハン国 キプチャク=ハン国 アンカラの戦い あん殻 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ティムールは東方遠征の途中で病死しました。 死後、_は遠征活動よりも文化活動に専念しました。 トルコ系遊牧民_に滅ぼされました。 |
ウルグ=ベク 天文、細密画など ウズベク →様々な国(現在のウズベキスタン) |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ティムール朝の衰退後の16世紀、 イランで_が開かれました。 (神秘主義教団の長_が_を占領) 国内統一のために_(_)を国教とし、 イランの伝統的な王を意味する_の称号を用いました。 |
サファヴィー朝 イスマーイール タブリーズ シーア派(十二イマーム派) シャー suffer be 椅子まぁいい ファブリーズ |
16.イスラーム世界の繁栄 |
サファヴィー朝は_の治世で 最盛期を迎えました。 ・_を都とし「世界の半分」といわれるほどの繁栄を謳歌 ・_からポルトガル人を駆逐 |
アッバース1世 イスファハーン ホルムズ島(ペルシア湾の出入り口) イマームのモスク建設など 椅子半々、ホルモンズ |
16.イスラーム世界の繁栄 |
オスマン帝国のスルタンの軍隊 ・_:軍事奉仕への代償として土地の徴税権「ティマール」を保持 ・_:キリスト教徒の子弟を強制的に集めて編制した歩兵軍団 |
騎士(シパーヒー) イェニチェリ →土地を拡大し続けなければスルタンから報酬が出せない 家にチェリー。失敗ヒィ〜 ⇔プロノイア制:ビザンツ帝国 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
13世紀末、トルコ系遊牧民が アナトリア半島(小アジア)に_を建国し、ビザンツ帝国領を少しずつ奪っていきました。 ・ムラト1世:バルカン半島の_を征服し、首都へ ・_:_でバルカン諸国とフランス・ドイツの連合軍に勝利 |
オスマン帝国 アドリアノープル →異教徒のほうが攻撃しやすい バヤジット1世:ニコポリスの戦い ムラムラとAdoリアさん 林と2個ポリス |
16.イスラーム世界の繁栄 |
1453年、オスマン帝国の_は、 都市_を攻略し、 ビザンツ帝国を滅ぼしました。 陥落後、首都に定めて_と呼称 |
メフメト2世 コンスタンティノープル イスタンブル 東西交易の中心地を占領→交易中心の国家へ 目踏めと |
16.イスラーム世界の繁栄 |
オスマン帝国の_は、 サファヴィー朝を破りシリアへ進出しました。 _を滅ぼし、エジプト・シリアを併合 メッカ・メディナを支配し スンナ派盟主の地位を確立しました。 |
セリム1世 マムルーク朝 競り無 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
オスマン帝国の_は、 次の戦いでヨーロッパに脅威を与えました ・ハンガリーを征服 ・第一次_ ・_:連合艦隊に勝利 |
スレイマン1世 ウィーン包囲:突然の寒冷化で20日で撤退 プレヴェザの海戦 →地中海の制海権を制覇。お金持ちへ pre whether |
16.イスラーム世界の繁栄 |
オスマン帝国の皇帝3人 (領土拡大→商業国家) |
メフメト2世:コンスタンティノープル セリム1世:エジプト&シリア スレイマン1世:地中海 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
16世紀、ティムールの子孫_が、 アフガニスタンから北インドに侵入しました。 パーニーパットの戦いでイスラーム王朝のロディー朝に勝利 _を建てました |
バーブル ムガル帝国(モンゴルのなまり) パープル |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ムガル帝国の3代皇帝_は、 次のことに取り組み、帝国の支配体制を整備しました。 ・_:官僚制度 ・新首都として_を建設 |
アクバル マンサブダール制:序列付け アグラ その他、土地測量をして土地税を設定&ジズヤの廃止 →ヒンドゥー教徒に人気 悪春 man sub dar あぐら |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ムガル帝国の5代皇帝シャー=ジャハーンは _をアグラに造営しました。6代皇帝_は、ムガル帝国の領土を最大にし、 非ムスリムに対する人頭税を復活させました 。 |
タージ=マハル 奥さんが無くなってしまったのですべての科学を結集→財政難 アウラングゼーブ あ売らんグーぜーんぶ |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ムガル帝国の融和政策の結果、インド=イスラーム文化が誕生しました ・細密画(ミニアチュール)の影響 _:宮廷芸術。肖像画や動物 _:ヒンドゥー教の神々 ・ウルドゥー語/シク教 |
ムガル絵画 ラージプート絵画(民族名, large pooと) |
16.イスラーム世界の繁栄 |
19世紀後半、ロシアは中央アジア南部に侵攻しました。 次の3国を併合、保護国化し、ロシア領トルキスタンを構成しました。 ・_/_の保護国化 ・_の併合 |
ブハラ=ハン国/ヒヴァ=ハン国 コーカンド=ハン国 →ウズベクが作った国 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
スレイマン1世の統治の象徴として_が_に完成しました | スレイマン=モスク イスタンブル |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ムガル帝国にて、ヒンドゥー教のバクティ運動にイスラーム神秘主義(_)を導入した_教が成立しました。創始者_ | スーフィズム:ガザ―リー シク教 ナーナク |
16.イスラーム世界の繁栄 |
セリム2世は、オスマン帝国領内で居住・通商できる特権_をヨーロッパ商人に与えました。 _・イギリス人・オランダ人などに与えられました。 |
カピチュレーション →のちに不平等条約の元に フランス人 →フランスと同盟関係を開始 |
16.イスラーム世界の繁栄 |
ムガル帝国の公用語 | ペルシア語・ヒンディー語 | 16.イスラーム世界の繁栄 |
ルネサンスでは、ビザンツ帝国やイスラーム圏を介して伝えられたギリシア・ローマの古典文化が重視されました。 古典文化から人間らしい生き方を追及する精神を_(_)と呼びます。 |
人文主義(ヒューマニズム) 教会中心の価値観→人間中心 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンスは、商業の盛んな地で早くから展開しました。 特にイタリアの_は_工業で栄え、 _が芸術家を保護してルネサンスの中心となりました。 |
フィレンツェ、毛織物 メディチ家 →保護者の存在上、ルネサンスは既存の政治・教会・社会体制を真正面から批判できませんでした。 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンスの政治学 イタリア統一の必要性を解いた |
マキァヴェリ 君主論 このまま分裂していたらいつか大国に飲み込まれてしまう |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンスの芸術家 『聖母子像』『アテネの学堂』が有名 |
ラファエロ ⇔ヴィーナスの誕生 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンスの芸術家 ダヴィデ像を制作 |
ミケランジェロ | 17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス絵画の先駆者 | ジョット 固いビザンティン美術から人間性へ イタリア:スクロヴェーニ礼拝堂 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンスの芸術家 「ヴィーナスの誕生」「春」 |
ボッティチェリ ギリシア神話 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス文学の先駆者 | ダンテ「神曲」 トスカナ語で書いた(聖職者に読んでもらうための本ではない) |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス文学の作者 ・叙情詩集 ・デカメロン |
ペトラルカ:古代ローマの作品を多く収集 ボッカチオ:ペストが流行しているフィレンツェから逃げてきた男女の話 ぺっとラルク |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(ネーデルラント)の人文主義者 「愚神礼賛」を執筆 |
エラスムス →宗教改革へつながっていく |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(ドイツ)の美術家 ・宗教画で有名「四人の使徒」 ・肖像画で有名「エラスムス像」 |
デューラー ホルバイン:個人にスポットライトをあてる ホルモンバイバイン |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(フランス)の文学 ・ガルガンチュワ物語を著述 ・エセ―(随想録)を著述 |
・ラブレー:巨人の親子、当時のフランスがどれだけひどいか風刺 ・モンテーニュ ラブ 揉んでー乳 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(スペイン) ドン・キホーテを著述 |
セルバンテス 最初の近代小説:当時没落しつつあった騎士を題材。 sell板テスト |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(イギリス) ・カンタベリ物語 ・ユートピア ・ハムレット |
・チョーサー:社会の風刺に富む ・トマス=モア:架空の理想社会 ・シェークスピア |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス三大発明 | ・火薬(鉄砲の発明:騎士階級の没落) ・羅針盤(航海術を前進) ・活版印刷 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス 活版印刷を改良・実用化した人 |
グーテンベルク | 17.ルネサンスと大航海時代 |
15世紀初め、航海王子_がポルトガルの「アフリカ西岸」の探検事業を推進しました。 1488年、ジョアン2世の後援を受けた_ が「アフリカ南端」の喜望峰に到達しました。 1498年、_がインドのカリカットに到達しました。 |
エンリケ バルトロメウ=ディアス ヴァスコ=ダ=ガマ 貼るトロmeow dias |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ポルトガルは香辛料を現地で直接取引して利益を得ました。 ポルトガルの首都_ は、インド航路の開拓により香辛料貿易で繁栄しました 。 |
リスボン リボン |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ポルトガルのアジア進出 ・インド西岸の_ ・スリランカ、マレー半島西岸の_、_ ・中国の_ |
ゴア マラッカ、モルッカ諸島 マカオ →種子島まで |
17.ルネサンスと大航海時代 |
1492年、スペイン女王_の後援の下、_ がインドを目指しました。 _の地球球体説に影響を受け西へ進み、 _に到着しました。 |
イサベル(eth ベル) コロンブス トスカネリ(トス 金り) サンサルバドル島(sun 猿バトル) →誤認でバハマ諸島含む一帯の島々を「西インド諸島」と呼称 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
1500年、ポルトガル人_が_に漂着し、その地をポルトガル領と宣言しました。 イタリア出身の_が南アメリカ大陸沿岸を探検し、コロンブス到達の土地がヨーロッパ人にとって「新大陸」だと報告しました。 航海士_はパナマ海峡を横断し、太平洋へ到達しました |
カブラル、ブラジル(海難事故で偶然) アメリゴ=ヴェスプッチ バルボア 蚊ブラジル ball bar |
17.ルネサンスと大航海時代 |
1519年、ポルトガル人_ が、 _王の命を受けて 香辛料の産地モルッカ諸島を目指し、西回りの大航海に出発しました 。 |
マゼラン(混ぜらん) スペイン 南アメリカ大陸南端の海峡(マゼラン海峡)を経て太平洋へ マゼランはフィリピンで死亡、彼の部下が世界周航を達成 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
スペインは、当時船団の到達先で争ったポルトガルと_を結びました 線の西側を_領、東側を_領とする |
トルデシリャス条約 スペイン:ブラジルより西 ポルトガル:ブラジル 採るデリシャス |
17.ルネサンスと大航海時代 |
商業の地球規模化(商業革命)は、資本主義経済の発達を促しました。 スペインにアメリカ大陸のボトシ銀山から銀が流入し、価格が下落。 また、ヨーロッパで急激な物価上昇_が起こりました。 |
価格革命 商工業が発展。固定地代としていた領主層の没落 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
メソアメリカ文明(中米文明)3つ | ・オルメカ文明:メキシコ湾岸、巨石人頭像 ・マヤ文明:ユカタン半島 ・テオティワカン文明:メキシコ高原、太陽のピラミッド おるメカ 手を手ぃ、分かん |
17.ルネサンスと大航海時代 |
14世紀、メキシコ高原に_が建国され、 _を首都としました。 王による神権政治がおこなわれました。 |
アステカ王国 テノチティトラン 明日テカテカ 手の血手ぃ取らん |
17.ルネサンスと大航海時代 |
15世紀、南アメリカの広大な範囲に及ぶ_が成立し、_を首都としました。 都市_の遺跡などの石造建築を残しています。 また、文字はもたなかったものの、記録・伝達手段に_を使用しました。 |
インカ帝国 クスコ マチュ=ピチュ キープ(結縄) 太陽神を信仰しており、皇帝が太陽の化身として君臨する神権政治 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
キリスト教布教の名の下でスペインがアメリカ大陸に派遣した侵略活動をおこなう者を征服者(コンキスタドール)と呼びます。 スペインは_で、先住民保護とキリスト教化を条件に、先住民と土地の支配を入植者に委ねました。 聖職者_は、スペイン人による先住民の酷使を批判しました 。 |
エンコミエンダ制 ラス=カサス →アフリカ黒人奴隷の酷使:アシエンダ制 エンコードしても見えんだ ラスカル かざす |
17.ルネサンスと大航海時代 |
代表的なコンキスタドール2人、征服した国 | コルテス:アステカ王国を破ってメキシコを征服 ピサロ:インカ帝国(ペルー地方)を征服し、首都クスコの石造建築物を破壊 凝るテスト |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(フランス)の文学 ・ガルガンチュワ物語を著述 |
ラブレー 巨人の親子、当時のフランスがどれだけひどいか風刺 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
北方ルネサンス(フランス)の文学 ・エセ―(随想録)を著述 |
モンテーニュ | 17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス文学の作者 ・叙情詩集 |
ペトラルカ(イタリア):古代ローマの作品を多く収集 | 17.ルネサンスと大航海時代 |
ルネサンス文学の作者 ・デカメロン |
ボッカチオ(イタリア) ペストが流行しているフィレンツェから逃げてきた男女の話 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
ギリシア古典・アラビア語文献の翻訳:_世紀 ルネサンス:_世紀 |
・12(12世紀ルネサンス) アリストテレス哲学の再輸入:スコラ学 ・14~16 |
17.ルネサンスと大航海時代 |
16世紀、教皇_は_の建築資金を調達するため_を販売し、 有力な資金源となったドイツは「ローマの牝牛」と呼ばれました。 1517年、ヴィッテンベルク大学教授の_は、聖書主義を主張し、 _を発表しました。 |
レオ10世 サン=ピエトロ大聖堂 贖宥状(しょくゆうじょう, 免罪符) マルティン=ルター 95か条の論題(人は進行によってのみ義とされる) |
18.宗教改革 |
ルターに対し皇帝_は 自説の撤回を強要する_を開き、追放処分としました。 _はルータを保護し、新約聖書のドイツ語訳を完成させました |
カール5世 ヴォルムス帝国会議 ザクセン選帝侯(フリードリヒ) 折る蒸す ザク千 |
18.宗教改革 |
1524~25年、ルターに影響をうけた農民が_を起こし _が、農奴制の廃止などを要求する蜂起を指導しました |
ドイツ農民戦争 ミュンツァー →ルターは当初農民に同情的であったが、 後に領主による弾圧を支持(諸侯にお世話になった) ミュウツー |
18.宗教改革 |
宗教改革中にドイツをとりまいた 国際情勢2つ |
・イタリア戦争(カール5世vsフランソワ1世) 神聖ローマ帝国がローマ進入, イタリア=ルネサンスの衰退 ・オスマン帝国の圧迫 スレイマン1世がハンガリー併合(入ってくる寸前) →ルター派を一時的に容認 |
18.宗教改革 |
第1次ウィーン包囲の後ルター派は再禁止され、諸侯・都市は_を結びカール5世に対抗→_が締結 ・カトリック派 or ルター派の選択権 ・_の確立:ルター派諸侯が領内の教会に対する支配権をもつ |
シュマルカルデン同盟 →シュマルカルデン戦争:同盟の内部分裂で敗北 アウクスブルクの宗教和議 領邦教会制 シュウマイ借るおでん ×:個人の選択, カルヴァン派 |
18.宗教改革 |
15世紀、_が スイスの都市_で宗教改革を開始しました。 追って、_を著した_が、 スイスの都市_で宗教改革をおこないました。 |
ツヴィングリ(twin グリ) チューリヒ キリスト教綱要(紅葉) カルヴァン ジュネーヴ |
18.宗教改革 |
カルヴァンは、人の魂が救われるか否かは、善行の有無に関わらず神により決められているという_を説きました。 それを信じる人々は、自分が救われるかの確証を、 職業・労働に励むことで得て、蓄財を容認しました。 |
予定説 | 18.宗教改革 |
カルヴァン派の呼称 ・イングランド ・フランス ・ネーデルラント |
ピューリタン ユグノー ゴイセン チューリップ ユング ごくせん |
18.宗教改革 |
イギリス国王_は、 スペイン王家出身の王妃との離婚を認めない教皇と対立し、 国王を教会の首長とする_を創設しました。 |
ヘンリ8世 イギリス国教会 結果、イギリスのキリスト教はカトリック世界から離脱しました。 |
18.宗教改革 |
イギリス女王_は カトリックへの復帰を強行し、 新教徒を迫害しました。 |
メアリ1世 スペイン皇太子フェリペと結婚 メアリ1世が病死し、カトリックへの復帰は中止されました |
18.宗教改革 |
1559年、_は_を制定して礼拝の統一を図り、 イギリス国教会を確立しました。 |
エリザベス1世 統一法 |
18.宗教改革 |
宗教改革に直面したカトリック教会は、 勢力を建て直す_をおこないました。 1534年、スペイン人_がイエズス会を創始。 1545年、_で教皇の至上権とカトリックの教義を再確認、 禁書目録の制定、宗教裁判、魔女狩りの流行 |
対抗宗教改革 イグナティウス=ロヨラ トリエント公会議 行くなティウス |
18.宗教改革 |
スペイン王_は、支配下のネーデルラントにカトリックを強制しました。 1579年、ネーデルラント北部7州が_を結成し、スペインに抵抗しました。 中心は_州。指導者_ |
フェリペ2世 ユトレヒト同盟(ゴイセンが多い, カトリックの南部10州は降伏) ホラント州(オランダに訛る) オラニエ公ウィレム ゆとり人 ホランダ オラ贄 ⇔シュマルカルデン同盟:ルター派 |
18.宗教改革 |
フランス国王シャルル9世・母后_の時代に _が起こりました。 _で、旧教派が多数のユグノーを殺害 |
カトリーヌ=ド=メディシス ユグノー戦争 サン=バルテルミの虐殺→国王暗殺される カントリー のど medicines sun 春 tell me |
18.宗教改革 |
ユグノー戦争→1589年、_が王位につき_を開きました。 王は旧教に改宗することで宗教的対立の解決を図りました。 1598年、_にて信仰の自由を許可しました。 _を創設しアジア貿易へ参入しました。 |
アンリ4世 ブルボン朝 ナントの王令 フランス東インド会社→経営に失敗して解散 |
18.宗教改革 |
ドイツにて、ハプスブルク家による カトリック信仰の強制に反抗した _が起こり_戦争に繋がりました |
ベーメン反乱 三十年戦争 |
18.宗教改革 |
三十年戦争中の出来事 ・デンマークの参戦→傭兵隊隊長①に敗北 ・スウェーデンの参戦→国王②が傭兵隊長①を破るが、戦死 ・フランスの参戦→宰相_ |
ヴァレンシュタイン グスタフ=アドルフ(具スタッフ、adoルフ) リシュリュー(打倒ハプスブルク家、新教徒支援) |
18.宗教改革 |
_の締結により、三十年戦争は終結 ・アウクスブルクの宗教和議の再確認:カルヴァン派公認 ・_と_の独立を正式に承認 ・フランスへ_(地域)を割譲 ・スウェーデンが西ポンメルン獲得 |
ウェストファリア条約(Westphalia スイス・オランダ アルザス(あるザマス ドイツ国内の両方に主権を承認し、 神聖ローマ帝国の有名無実化 |
18.宗教改革 |
主権国家の始まり イタリア戦争にて、宗教とは無関係に国際的なつながりが持たれる _で和議 |
カトー=カンブレジ条約 加藤、ケンブリッジ フランス&オスマン帝国 神聖ローマ&イギリス →挟み撃ち |
18.宗教改革 |
1519年、ハプスブルク家出身の スペイン王_が、 神聖ローマ帝国皇帝_ を兼任しました。 |
カルロス1世 カール5世 イタリア戦争、アステカ、インカ征服 広大な領土を支配 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
1556年、スペイン系の_がスペイン王になり最盛期を迎えました。 ・_:オスマン帝国を破り、脅威を一時緩和 ・マニラの建設(フィリピン) ・_を併合。太陽の沈まぬ国 |
フェリペ2世 レパントの海戦(レペゼンant) ポルトガル オランダ独立戦争 →無敵艦隊が支援したイギリスに敗北 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
オランダは首都を_に置き、スペインとポルトガルが併合している1604年、 _を設立し香辛料貿易の独占を目指しました。 ・_島に_を建設 ・台湾を占領 ・_を建設:アフリカ最南部の植民地 |
アムステルダム 東インド会社 ジャワ島、バタヴィア(現在のジャカルタ) ケープ植民地 バッタ via |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
1623年、インドネシアのモルッカ諸島で、 オランダ人がイギリス商館員を虐殺した_が起こり、 イギリスを東アジアから締め出しました |
アンボイナ事件 杏棒稲 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
1621年、オランダが西インド会社を設立しました。 北米東岸に_植民地を形成し、 都市_を建設しました。 |
ニューネーデルラント ニューアムステルダム(NY) ⇔ケープ植民地:アフリカ最南端 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
16世紀前後のイギリスでは、 牧羊のために、地主が農民から農地を取り上げ 生垣や塀で囲む_が進みました。 |
第1次囲い込み →エリザベス1世の時代に毛織物工業が繁栄 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
エリザベス1世は_(人)にスペイン船を襲わせ、金や銀を奪いました。 ・北米に_植民地を建設 ・スペインの無敵艦隊(アルマダ)を撃破 ・イギリス東インド会社の設立 |
ドレーク:私拿捕船(しだほせん)の船長 →海賊, 新しい土地を探す 奴隷くん ヴァージニア(潰れた) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
フランスのアンリ4世が作った植民地 | ケベック(カナダの拠点) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
ルイ13世のとき、三部会の招集を停止し、 宰相_は、王権の強化に努めました。 |
リシュリュー 履修竜 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
1643年、フランス国王ルイ14世が幼くして即位しました。 リシュリューの後を継いだ宰相_が、 中央集権化を進めました。 王権強化に反発する貴族層が中心となって反乱_が起きました |
マザラン フロンドの乱(front) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
ルイ14世の政策「朕は国家なり」 ①王権神授説を提唱する_を重用 ②_を財務総監に登用し、重商主義政策を推進(フランス東インド会社再建, 特権マニファクチュア設立) ③バロック様式の_を建設 ④北米の_を領有 ⑤_を廃止 |
ボシュエ(教育係, ボスへ) コルベール(callベル) ヴェルサイユ宮殿 ルイジアナ(ルイだから) ナントの王令(ユグノーの商人は国外へ) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
_:フランスのルイ14世が、 オーストリア・オランダ・イギリスを敵として争った戦争 講和条約_で_家のスペイン王位継承を承認 |
スペイン継承戦争 ユトレヒト条約 ブルボン →しかしフランス・スペインの合同禁止 お金が無くなっただけ |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
スペイン継承戦争 →ユトレヒト条約でイギリスが、 フランスから_を スペインから_を、獲得 |
ニューファンドランド ジブラルタル new fund land |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
イギリスのインド進出 会社:_ 獲得した土地3つ |
マドラス、ボンベイ カルカッタ(軽かった) カルカッタは肥沃なベンガル地方の要 マドラサに通うポンペイウス 軽かった |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
イギリスのアメリカ大陸進出 ・最初の北米植民地_の建設 ・_が宗教的自由を求めて移住した_植民地 ・_を獲得 |
ヴァージニア ピルグリム=ファーザーズ ニューイングランド ニューヨーク(ニューネーデルラントを奪う) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
フランスのインド進出 会社:_ 獲得した土地2つ |
東インド会社(コルベールの再建) ポンディシェリ シャンデルナゴル ポンディ・シェリー シャンデリア殴る |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
フランスのアメリカ大陸進出 ・_建設 ・ミシシッピ川流域に_を建設 |
ケベック(カナダ) ルイジアナ(類似穴 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
イギリスのアメリカ大陸進出 _:七年戦争、フレンチ=インディアン戦争、インドでの植民地抗争の講和条約 イギリスは、 フランスからカナダ、ミシシッピ川以東のルイジアナ スペインからフロリダを獲得 |
パリ条約(⇔ユトレヒト条約) |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
_:イギリス東インド会社の軍が、 フランスとベンガル太守の連合軍に勝利した戦い 書記_の活躍 |
プラッシーの戦い クライヴ →イギリスがインドに対する支配権を獲得し、フランスはインドから撤退 plus E 暗い部 |
19.主権国家体制と西欧絶対王政 |
三十年戦争で神聖ローマ帝国は分裂 オーストリア皇帝を兼任していた_家はオスマン帝国から_などの東欧諸地域を獲得しました(_条約) |
ハプスブルク家 ハンガリー カルロヴィッツ条約 神聖ローマの仕事なくなったから頑張った →マリア=テレジア |
20.東欧絶対王政 |
オーストリアの女帝_は、 オーストリア継承戦争で プロイセンへ_を割譲しました 奪回を目指し、フランスと手を結ぶ_を実現し_戦争を行いましたが、奪回に失敗しました |
マリア=テレジア シュレジエン(石炭と鉄の産地, アーヘン条約) 外交革命 七年戦争 スレ自演 |
20.東欧絶対王政 |
マリア=テレジアの子_は、 啓蒙専制君主として諸改革_・_を押し進めました。 |
ヨーゼフ2世(良政府 理性に基づいて合理的な改革 →上からの近代化 農奴解放令、宗教寛容令 →反発をうけ失敗 |
20.東欧絶対王政 |
プロイセン王国の成立 17世紀初め_家の_選帝侯国がプロイセン公国を併合 スペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝側を支援し王国へ昇格 |
ホーエンツォレルン ブランデンブルク ホエール取れるん brand en bruck |
20.東欧絶対王政 |
プロイセン2代目の王_は、 軍備を増強し,絶対王政の基礎を築きました。 |
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世 will hell 無 |
20.東欧絶対王政 |
フリードリヒ2世は「君主は国家第一の僕」を自称し、 _など啓蒙思想家に影響を受けた啓蒙専制君主でした。 ・農場領主制(グーツヘルシャフト) ユンカーによる大農場経営 ・_にサンスーシ宮殿の建設 ・シュレジエン獲得/第1回ポーランド分割 |
ヴォルテール ポツダム Vol tail Unkr 算数寿司 |
20.東欧絶対王政 |
16世紀、_(_)が貴族をおさえて専制支配を進め公式にツァーリ(皇帝)の称号を用いました。 _の首長_がシベリア遠征をおこないました。 |
イヴァン4世 雷帝 コサック イェルマーク(yellマーク |
20.東欧絶対王政 |
イヴァン4世の死後、 _がツァーリ(皇帝)に選出され、 _朝が始まりました。 農奴制の強化により、 死後_が起こりました |
ミハイル=ロマノフ ロマノフ朝 ステンカ=ラージンの乱 身入る ローマの冬 捨てんか、裸人 |
20.東欧絶対王政 |
1682年、ロシア帝国の_が帝位につきました。 自ら西欧諸国を視察し、ロシアの西欧化政策を実施しました。 1700~21年、_戦争にて_に勝利し _への出口を確保&沿岸に首都_を建設 |
ピョートル1世 北方戦争, スウェーデン バルト海(貿易ルート) ペテルブルク(ペテロ ルブルック |
20.東欧絶対王政 |
18世紀後半、ロシア帝国の_が帝位につきました。 治世の初期、啓蒙専制君主として様々な改革を試みました。 ・農奴制の強化、学芸の保護、教育改革など ・_を鎮圧 |
エカチェリーナ2世 プガチョフの農民反乱 絵かチェリーな po ガチョウ |
20.東欧絶対王政 |
エカチェリーナ2世の領土拡大 ・オスマン帝国から_を獲得 ・ポーランド分割(愛国者_の抵抗) |
クリミア半島 コシューシコ→鎮圧 くり コシ シコ |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の科学 _が万有引力の法則を発見 _を著す |
ニュートン プリンキピア |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の化学 _が質量保存の法則を発見 |
ラヴォワジェ(フランス) 庶民から集めた税金を横領して研究 laboアジエ |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の化学 _が気体の圧力と体積の関係を発見 |
ボイル(イギリス) | 20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の生物学・医学 _が種痘法(天然痘の予防接種)を開発 |
ジェンナー(イギリス) 予防接種 Jンナー |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の生物学・医学 _植物分類法の体系化に貢献 |
リンネ(スウェーデン) | 20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の生物学・医学 _血液循環説の提唱 |
ハーヴェー(イギリス) hear ber |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の哲学 _(帰納法)を唱えた人物:_ _(演繹法)を唱えた人物:_ |
経験論:フランシス=ベーコン 新オルガヌム(4種類の偏見を紹介) 合理論:デカルト 方法序説(われ思う、ゆえにわれあり) |
20.東欧絶対王政 |
_:経験論と合理論を総合した哲学 基礎を築いた人物:_ 大成した人物:_ |
ドイツ観念論 カント:著、純粋理性批判 ヘーゲル:弁証法哲学 |
20.東欧絶対王政 |
_:絶対王政を批判する思想 _が『_』『_』を著して国際法を構想 |
自然法 グロティウス 海洋自由論 戦争と平和の法 |
20.東欧絶対王政 |
社会契約説 _:自然状態を「万人の万人に対する闘争」であると形容し、絶対王政の必要性を唱えた人物、著書_ _:政府に対する抵抗権が人民にあると主張し、名誉革命を支持した人物、著書_ _:人民主権論を主張した人物、著書_ |
ホッブズ リヴァイアサン ロック 市民政府二論 ルソー 人間不平等起源論 |
20.東欧絶対王政 |
啓蒙思想、作者と著書 _:王権神授説を批判 _:三権分立の原理を説いた人物 _:啓蒙思想を集成した人物ら |
ヴォルテール(哲学書簡) モンテスキュー(法の精神) ディドロ・ダランベールら(百科全書) day泥 ダンベル |
20.東欧絶対王政 |
絶対王政時代の経済学3つ 著書2つ |
・重商主義:コールベル(ルイ14世の財務総監) 輸出産業のため、国家が積極的な投資 ・重農主義:ケネー(自由放任主義) 農業こそ富の源泉 国家の経済関与を批判し「経済表」を著した 毛ねぇ ・古典派経済学:アダム=スミス 経済活動に国家は関わらない「神の見えざる手」 諸国民の富(国富論) |
20.東欧絶対王政 |
古典派経済学を確立していた人物2人 | マルサス:人口論 リカード:古典派経済学を確立 ○カド |
20.東欧絶対王政 |
バロック美術(派手) ・近代スペイン画の祖 ・宮廷画家, 光線の表現に工夫 ・「十字架立て」「キリストの十字架降下」 ・光と影の描写, 「夜警」 |
エル=グレコ(スペイン) ベラスケス(スペイン) ルーベンス(フランドル地方, 南ネーデルラント) レンブラント(ネーデルラント) ベランダ スケスケ レン ブランド |
20.東欧絶対王政 |
バロック絵画の代表者でフランドルの画家 「十字架立て」「キリストの十字架降下」 |
ルーベンス ルー便す |
20.東欧絶対王政 |
バロック美術(派手) 光と影の描写, 「夜警」 |
レンブラント 経済的に繁栄していたオランダ市民の肖像画を描いた レン ブランド |
20.東欧絶対王政 |
バロック音楽 ・啓蒙専制君主フリードリヒ2世に宮廷に招かれた古典派の音楽家 ・古典派の音楽家。後半生はイギリス宮廷音楽家として活躍 |
バッハ ヘンデル(変、出る!) |
20.東欧絶対王政 |
18世紀、バロックの後を受け、 繊細優美を特色とする美術様式ロココが広がりました。 ・_:田園画を残したフランスの画家 ・_:プロイセンの_がベルリン郊に建設 |
ワトー サンスーシ宮殿:フリードリヒ2世(啓蒙専制君主) what free |
20.東欧絶対王政 |
古典派音楽を集大成し、ロマン派音楽への道を切り開いた人物 | ベートーヴェン | 20.東欧絶対王政 |
フランス古典主義文学3人 | コルネイユ:悲劇を創始 ラシーヌ:悲劇を大成 モリエール:喜劇を大成 →国王好みのもの コルベールらしい偽物 森エール |
20.東欧絶対王政 |
イギリス市民文学 ・_:「失楽園」旧約聖書の楽園喪失を題材 |
ミルトン ミルク1トン 失楽園 |
20.東欧絶対王政 |
中世の農業生産力の工場によりヨーロッパでは人口が増加、十字軍・レコンキスタのように多くの人を外に動員できるようになり、 ドイツでは_がエルベ川以東への_を進め、プロイセンの基礎となる地域を形成しました |
ドイツ騎士団 東方植民 |
20.東欧絶対王政 |
プロイセンの地主貴族(領主)は_と呼ばれました →フリードリヒ2世による_(_) |
ユンカー(エルベ川以東の領主貴族) 農場領主制 グーツヘルシャフト 西欧へ輸出用穀物の生産を目的にする。 |
20.東欧絶対王政 |
エカチェリーナ2世は_を日本に派遣した | ラクスマン 開国を求めるが失敗 |
20.東欧絶対王政 |
イギリス市民文学 ・_:「ロビンソン=クルーソー」近代小説の始まり |
デフォー デフォ ロビンソン 狂いそう |
20.東欧絶対王政 |
イギリス市民文学 ・_「ガリヴァー旅行記」当時のヨーロッパ世界の価値観を風刺 |
スウィフト swiftな旅行 |
20.東欧絶対王政 |
エリザベス1世→ 603年ステュアート家出身の _がイギリスの王位を継ぎました。 神から授かった王権は人民に拘束されないという_を唱えました。 |
ジェームズ1世 王権神授説 議会を無視 |
21.イギリスの市民革命 |
ジェームズ1世の息子_は、 議会の承認なしには課税しえないことを明記した_を受け議会を解散しましたが、 _の対応のために議会を開き、対立するとすぐに解散しました(短期議会) そのため敗北、財政上の必要から再び議会を招集しました(長期議会)。 |
チャールズ1世 権利の請願(けんりのせいがん) スコットランドの反乱 議会側が様々な改革を要求 →王党派と議会派の対立 |
21.イギリスの市民革命 |
_:チャールズ1世の長期議会を受け、イギリスにて_と_の間で起こった内戦にて、_が、ピューリタンを中心に統率された鉄騎隊を編制して勝利 チャールズ1世を処刑しました |
ピューリタン革命 王党派 議会派 クロムウェル(独立派) 長老派(立憲王政) 独立派(制限選挙による共和制) 水平派(普通選挙による共和制) |
21.イギリスの市民革命 |
クロムウェルは、王党派の制圧に乗じて _・_を征服しました。 _を発布し_戦争を起こしました |
アイルランド、スコットランド 航海法(中継貿易の締め出し) 英蘭戦争, イギリス=オランダ戦争 →勝利 |
21.イギリスの市民革命 |
クロムウェルの死後、チャールズ1世の子 _が王となり、共和政から王政に戻る_が起こりました。 専制政治とカトリックの復活宣言で対立した議会は次の法律を定めました。 ・_:公職就任者を国教徒に限定する法律 ・_:不当な逮捕や投獄を禁止する法律 |
チャールズ2世(亡命先のフランスから帰国) 王政復古 審査法(ピューリタン不人気なので選択肢にない) 人身保護法 |
21.イギリスの市民革命 |
チャールズ2世の弟_の王位継承問題で 生まれた二大政党 |
ジェームズ2世 トーリー党(保守党, 即位賛成) ホイッグ党(自由党, 議会の権利を主張) →ウォルポール |
21.イギリスの市民革命 |
チャールズ2世の弟ジェームズ2世は、 王位を継ぐとカトリックと絶対王政の復活に努めました。 _にて議会は オランダ総督_と妻メアリを国王として招致しました。 |
名誉革命 ウィレム3世 |
21.イギリスの市民革命 |
名誉革命の後、ウィレム3世の治世にて 議会の承認なしに国王が課税,法を停止することを違法と確認したもの |
権利の章典 →権利の宣言の成文化。立憲王政の確立 |
21.イギリスの市民革命 |
1707年、メアリ2世の妹_の治世下、 イギリスとスコットランドが合同し _が成立しました。 |
アン女王 大ブリテン王国 |
21.イギリスの市民革命 |
アン女王の死後、遠縁のジョージ1世が王位に就き_を開きました。 1721年、_党の_が首相となりました。 この首相のもとで、内閣が議会に対して責任を負う_が始まりました。 |
ジョージ1世:ハノーヴァー朝 ホイッグ党, ウォルポール 責任内閣制 王は君臨すれども統治せず 歯のvar ホイッスルウィッグ |
21.イギリスの市民革命 |
産業革命の前提条件3つ | ・資本の蓄積:毛織物産業の発達 ・市場の確保:北米、インドの植民地 ・労働力:第二次囲い込みで大量の失地農が出現 |
21.イギリスの市民革命 |
綿工業の発明と改良 ・_が飛び杼(とびひ)を発明 ・_が多軸紡績機を発明 ・_が水力紡績機を発明 ・_がミュール紡績機を発明 ・_が力織機を発明 |
ジョン=ケイ ハーグリーヴズ アークライト クロンプトン カートライト(蒸気機関を利用) ハングリーブズ ark light |
21.イギリスの市民革命 |
蒸気機関の改良 ・_が地下水くみあげポンプの動力として利用 ・_があらゆる機械の動力としての可能性を開く |
ニューコメン ワット |
21.イギリスの市民革命 |
18世紀前半、_が従来の木炭の代わりに コークスを利用した製鉄法を発明 |
ダービー | 21.イギリスの市民革命 |
1807年、アメリカ人の_が 蒸気船を実用化しました。 |
フルトン 初の大西洋横断に成功 布団 |
21.イギリスの市民革命 |
1825年、_が蒸気機関車を実用化しました。 19世紀前半、_と_が鉄道で結ばれました。 |
スティーヴンソン リヴァプール(港で、海外からの綿花を輸入) マンチェスター(生産された綿製品を輸出) |
21.イギリスの市民革命 |
1811年頃から17年間、機械の登場によって失業した労働者による機械打ち壊し運動が始まりました。 この運動はネッド・ラッドに指導され、_と呼ばれました。 |
ラッダイト運動 | 21.イギリスの市民革命 |
産業革命の世紀 | 18半ば~19 | 21.イギリスの市民革命 |
アメリカの13植民地 ・自治制度_が開かれる ・_のような南部の植民地では、黒人奴隷をプランテーションで使い、 _・_などの商品作物を生産、イギリス本国に輸出 |
植民地議会 ヴァージニア タバコ, 綿花 |
22.アメリカ世界の成立 |
イギリス本国は_を採り、本国の商工業を守るために植民地の発展を抑えました。 七年戦争での財政赤字を補うため、 _・_を制定し植民地への課税を強化しました。 植民地人が反発して_が起きました |
重商主義政策 印紙法:植民地人がいない本国議会からの課税へ反対「代表なくして課税なし」 茶法:イギリス東インド会社が関税なしに紅茶を販売する権利を許可 ボストン茶会事件 →ボストン港閉鎖 |
22.アメリカ世界の成立 |
1774年イギリス本国の圧政に反対し13植民地で_が組織されました。 1775年_や_でイギリス軍との武力衝突が生じ、 植民地・本国間の戦争が始まりました。 |
大陸会議 レキシントン・コンコード :植民地人が武器や弾薬を集めていることが発覚 →イギリス本国が軍隊を派遣、鉢合わせ 歴史 コンコルド |
22.アメリカ世界の成立 |
アメリカ独立戦争で 第2回大陸会議が開催され、 13植民地側では_が軍の総司令官に任命されました。 |
ワシントン ・国王派:イギリス本国を支持 ・中立派:戦争には否定的 ・愛国派:独立を支持 |
22.アメリカ世界の成立 |
アメリカ独立戦争で中立派にやる気を出してもらうために 発行したパンフレット、本 |
・トマス=ペイン「コモン=センス」 アメリカは本国から搾取されるのみ。何の利益も得ていない。 「常識」として、13植民地の独立の必要性・共和国建設を主張 ・トマス=ジェファソン「独立宣言」 ロックの自然法思想に基づき、基本的人権や革命権について言及 ⇔人権宣言:フランス革命 |
22.アメリカ世界の成立 |
独立戦争を支援した駐仏大使_ サラトガの戦いで本国軍に勝利 _・_・_が戦争に参戦 |
フランクリン フランス、スペイン、オランダ |
22.アメリカ世界の成立 |
_:独立戦争時、エカチェリーナ2世の提唱によりできた同盟 | 武装中立同盟 | 22.アメリカ世界の成立 |
独立支援を支持した義勇兵 ・_:ポーランド、ワシントンの副官 ・_:フランス |
コシューシコ →帰国後はポーランド分割に対する抵抗運動 ラ=ファイエット |
22.アメリカ世界の成立 |
独立戦争は_によりイギリス側が敗北 独立が_により承認され、_を獲得 |
ヨークタウンの戦い パリ条約(7年戦争とは別物) ミシシッピ川以東のルイジアナ |
22.アメリカ世界の成立 |
アメリカ独立後、アメリカ連合規約ができたがまとまらない →_で開かれた_会議で_が制定される _の原則を骨子に採用 →憲法を支持して中央政府の権限強化を求める_と憲法に批判的な反連邦派が、のちに政党対立を展開しました。 |
フィラデルフィア、憲法制定会議 アメリカ合衆国憲法 →政府が州を統率。一方で各州に大幅な自治を認める 三権分立(行政、立法、司法) 連邦派(共和党の元) |
22.アメリカ世界の成立 |
反連邦派での勝利をおさめた 3代アメリカ大統領_はフランスから_を買収 |
ジェファソン大統領(独立宣言の起草者の一人) ミシシッピ川以西のルイジアナ |
22.アメリカ世界の成立 |
アメリカの第4代大統領マディソンの時代に _が起こり、アメリカの経済的自立が促進されました。 それにより_が行われるようになりました |
アメリカ=イギリス戦争(第2次独立戦争) イギリスが海上封鎖を実施 →アメリカの通称を妨害 保護関税政策 米国内の初期産業を育成 →経済的にも独立 |
22.アメリカ世界の成立 |
ルイ16世の財務総監で、 重農主義政策を採り、 自由放任主義を支持した人物 |
テュルゴー(⇔コールベル:重商主義) True go |
23.フランス革命とナポレオン |
フランスは、度重なる戦争で財政難に陥りました。 フランス国王_(&マリ=アントワネット)は以下2名を採用しました ・_:穀物取引の自由化、ギルドの廃止 ・_:特権身分への課税を目指す 特権身分が抵抗したため_を招集しました |
ルイ16世 テュルゴー→失敗 ネッケル 三部会(聖職者、貴族、市民代表) True go, neck el |
23.フランス革命とナポレオン |
フランス革命前の三部会では_をめぐり紛糾がありました。 _は第三身分の権利を主張する_を著し、 第三身分の代表者は三部会から離脱し_議会を開催 _にて憲法制定まで解散しないことを誓いました |
身分別決議 シェイエス 第三身分とは何か(パンフレット) 国民議会 球技場(テニスコート)の誓い |
23.フランス革命とナポレオン |
フランスの第一身分、第二身分、第三身分が分かれている 旧制度を_という |
アンシャン・レジーム あんさん、redeem |
23.フランス革命とナポレオン |
_:ネッケルの罷免と軍隊の動きに怒ったパリ市民が、 多量の武器・弾薬があると信じられていた牢獄を襲撃し占領 →農民反乱を誘発(方向性が違う) 1789年8月、国民議会は_の廃止(領主裁判権・十分の一税、封建地代:年貢)を決定しました。 _が起草した_が採択され、革命の方向性を定めました |
バスティーユ牢獄事件 封建的特権 →封建地代は有償廃止 ラ=ファイエット「人権宣言」 |
23.フランス革命とナポレオン |
_によるパリへの移住後、 _が死去し、フランス国王16世一家は_にて オーストリアへの逃亡を計画しましたが失敗に終わり軟禁されました。 1791年憲法が発布され、 立憲君主政、一定額以上の納税での選挙権が定められました。 目的を果たした国民議会は、解散となりました。 |
ヴェルサイユ行進 ミラボー(国民議会の指導者的人物、ラ=ファイエットと同じく立憲君主政を目指した自由主義的な貴族) ヴァレンヌ逃亡事件 ミラーは棒で割れんぬ |
23.フランス革命とナポレオン |
1791年フランスの制限選挙の結果、 立法議会が成立し次の2派が対立しました。 ・革命のこれ以上の進行を望まない派閥 ・共和政を主張する派閥 |
フイヤン派(立憲王政派) ジロンド派(穏健的共和政派) →ジロンド派が優勢となり、内閣が成立しました。 拭いたやん、二郎 |
23.フランス革命とナポレオン |
1792年、ジロンド派が実権を握った立法議会は、革命の波及を恐れ反対するオーストリアへの宣戦を可決しました。 フランス各地から義勇軍が集まり_で王権を停止、男性普通選挙が認められました。 _で革命軍がプロイセン軍に勝利しました |
8月10日事件(宮殿を襲撃) ヴァルミーの戦い 悪me |
23.フランス革命とナポレオン |
国民公会では_が勢力を増しました。 1791年、共和政が強調されルイ16世が処刑されました。 イギリスの首相_は波及を恐れ _を提唱・結成しました。 対抗するために徴兵制が実施され_が起こりました |
ジャコバン派(ジャパン ピット 第1回対仏大同盟 ヴァンデーの農民反乱(ジャコバンでぃ! →山岳派が急速に台頭 |
23.フランス革命とナポレオン |
山岳派の指導者_は、 国民公会内の_に権力を集中させ、 独裁・恐怖政治をおこないました。 ・封建地代の無償廃止 ・最高価格令、_歴(共和歴)、_法制定 ・1793年憲法(男性普通選挙の採用) |
ロベスピエール 公安委員会 革命歴(グレゴリオ暦の否定) メートル ロバ 酢ピエール 公安 革命 |
23.フランス革命とナポレオン |
ロベスピエールに不満を高めた農民・市民は_を起こし逮捕・処刑を行いました | テルミドール(9日)のクーデタ →1793年憲法(男性普通選挙制)は実施されず tell me doll |
23.フランス革命とナポレオン |
ジャコバン派の没落後、穏健共和派が有力となりました。 1795年憲法に基づく、ブルジョワ勢力中心の政府_が樹立しました。 _が革命の後退を阻止するため私有財産の廃止を主張し、政府転覆を計画しました。 |
総裁政府(5人の総裁→決断おそい) バブーフ 相殺ばぶー |
23.フランス革命とナポレオン |
_にて、ナポレオンが第1回対仏大同盟を崩壊させました | イタリア遠征 | 23.フランス革命とナポレオン |
1798年、ナポレオンはイギリスと_の連絡を断つためにオスマン帝国支配下の_に遠征しましたが、 英提督_に敗北し、第2回対仏大同盟が結成されました |
インド エジプト ネルソン(寝るsong |
23.フランス革命とナポレオン |
1799年、ナポレオンが総裁政府を倒し、 3人の統領による統領政府を立てた出来事 |
ブリュメール18日のクーデタ ナポレオンは第一統領として権力を掌握 統領政府の成立をもって、1789年以来のフランス革命が終結 blue mail |
23.フランス革命とナポレオン |
第一統領のナポレオンは、 革命をめぐって対立した_に対し _にてイギリスと和解し、フランスの安全を確保しました。 |
教皇 アミアンの和約→第2回対仏大同盟の崩壊 あみ杏 和解 |
23.フランス革命とナポレオン |
ナポレオンは次の内政に取り組みました。 ・_の設立 ・_の公布 |
フランス銀行 ナポレオン法典(民法典) →フラン革命の成果:私有財産の不可侵、法の前の平等、契約の自由などを設定 |
23.フランス革命とナポレオン |
1805年イギリスはナポレオンの皇帝就任を警戒し、 第3回対仏大同盟を結成しました。 _:_の指揮するイギリス海軍が、ナポレオン軍の艦隊に勝利 _:フランスがオーストリア・ロシアの連合軍に勝利 |
トラファルガーの海戦 ネルソン アウステルリッツの戦い(三帝会戦) Australiz |
23.フランス革命とナポレオン |
1806年、フランスは西南ドイツの領邦を保護下に置き_を結成しました。 結果、神聖ローマ帝国が消滅しました。 1806年、ナポレオンは イギリスとヨーロッパ諸国の通商断絶を目的に、_で_を出しました。 |
ライン同盟 ベルリン 大陸封鎖令(ベルリン勅令) |
23.フランス革命とナポレオン |
_:フランスがプロイセン・ロシアの連合軍を破り結ばせた条約 プロイセンが広大な領土を喪失し、 ナポレオンが旧ポーランドに_を建国 |
ティルジット条約(steel ジト目 ワルシャワ大公国 |
23.フランス革命とナポレオン |
フランスの占領下、 プロイセンでは、_・_が _などの改革をおこないました。 思想家_がドイツ国民に告ぐ(講演)を発表し国民意識を高めました。 |
シュタイン(アインシュタイン →ハルデンベルク(春 こんにちは 農民解放 ナポレオンを倒すために強い国に フィヒテ |
23.フランス革命とナポレオン |
スペインでナポレオンの兄が国王に即位 農民が主体となってゲリラ戦での抵抗運動が起こり、 民衆が処刑されました。 画家_が「1808年5月3日」でナポレオン軍の残虐行為を表現 |
ゴヤ |
23.フランス革命とナポレオン |
1812年、ナポレオンは_令を破った_に遠征をおこないました。 焦土戦術に阻まれ、失敗に終わりました。 →これを機に諸国はフランスからの解放戦争に臨みました。 |
大陸封鎖令 ロシア |
23.フランス革命とナポレオン |
ナポレオンは_にてプロイセンなどの連合軍に敗北し_に流刑となりました。 →_が王位につき_の王政が復活しました。 →ナポレオンはパリに戻り、皇帝に復位しました。 _にてイギリス・プロイセンなどの連合軍に敗北し_に流刑 |
ライプツィヒの戦い(ライチュウプチ) エルバ島(yell 場) ルイ18世、ブルボン朝 ワーテルローの戦い(分ってるよぉ) セントヘレナ島(sent hell な) |
23.フランス革命とナポレオン |
フランス革命 ・_:フイヤン派vsジロンド派 _(都市労働者)や義勇兵により王権の停止 ・_:ロベスピエール |
立法議会 サンキュロット 公民国会 |
23.フランス革命とナポレオン |
フランス革命:封建地代の廃止 _で有償廃止、_で無償廃止 |
国民議会(バスティーユ牢獄事件→農民反乱) ロベスピエール(国民公会) |
23.フランス革命とナポレオン |
1814~15年、オーストリア外相_が_を開きました。 フランスのタレーラン外相が、革命前の王朝と旧制度の復活を目指す_を主張 |
メッテルニヒ(メタル ニヒッ) ウィーン会議 正統主義 オスマン帝国を除く各国指導者が列席 |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ウィーン議定書 ・イギリス:_(_)・_を _から正式に獲得 ・ロシア:_が成立。ロシア皇帝が国王を兼ねる。 ・ドイツ:ライン同盟が廃止 _が成立、_が盟主。 ・スイス:永世中立国へ |
セイロン島(スリランカ)、ケープ植民地、オランダ ポーランド立憲王国 ドイツ連邦、オーストリア (オーストリア・プロイセン以下35の君主国と4自由市で構成) |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ウィーン体制の2柱 ・1815年、ロシア皇帝_が_を提唱 (イギリス、オスマン帝国、ローマ教皇を除く) ・_:イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセン |
アレクサンドル1世、神聖同盟(キリスト教だから) 四国同盟 →途中でフランスが入り五国同盟へ |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ウィーン体制への反発、自由主義運動4つ ・_で学生同盟_が運動を展開 ・_で秘密結社_が反動政治に抵抗 ・スペイン立憲革命 ・_:自国の後進性を痛感したロシアの青年将校が蜂起 |
ドイツ, ブルシェンシャフト(bur 神龍 シャフト) イタリア, カルボナリ →青年イタリアへ デカブリストの乱(でかっ!ブリst) |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ウィーン体制への反発(ナショナリズム)で_が_から独立しました | ギリシア、オスマン帝国 ロンドン会議で独立が認められる |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
_:_による闘争でラテンアメリカの初の独立 続いて_がベネズエラ・_・エクアドル・ボリビアを独立に導く _もアルゼンチン・チリ・ペルーを独立に導く |
ハイチ独立, トゥサン=ルヴェルチュール シモン=ボリバル(ボリビアの由来) コロンビア サン=マルティン 父さん ルーブル チュール 諮問 ボリビア |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
オーストリア外相_は民族運動を抑圧し ラテンアメリカ諸国の独立に反対しました。 一方、イギリスの外相カニングは、市場の拡大を狙いラテンアメリカ諸国の独立を援助しました。 アメリカの_は、欧米の相互不干渉を提唱 |
メッテルニヒ→断念 モンロー |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ナポレオン戦争後、フランスは立憲君主政に戻りました。 ルイ18世の後を継いだ国王_は反動政治で制限選挙を採り、 国民の不満をそらすために、オスマン帝国支配下の_に派兵し、植民地化しました。 |
シャルル10世 アルジェリア また、反政府派が制限選挙で圧勝すると未招集のうちに議会を解散しました。 |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
_:シャルル10世の議会解散に反発し、 ブルボン復古王政を倒した革命 _家の_が即位 |
七月革命 オルレアン ルイ=フィリップ |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
フランスの七月革命をうけ_がオランダから独立 ポーランドもロシア支配へ蜂起、 ドイツも各地で憲法が制定される、 イタリアでカルボナリが蜂起する →いずれも鎮圧されました。 |
ベルギー カルボナリ →青年イタリア(マッツィーニ)へ |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
七月革命後のフランスでは、極端な制限選挙がなされ 産業革命の進展による新しい資本家・労働者階級が男性普通選挙を求め 選挙法改正運動を展開し_が起こった |
二月革命 |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
三月革命の影響による「諸国民の春」(1848年革命) ・_にてメッテルニヒが失脚 |
ウィーン三月革命(ウィーンと処刑 | 24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
三月革命の影響による「諸国民の春」(1848年革命) ・_で、国王に憲法制定を約束 ・_が行われ、統一の構想などが話し合われた。 |
ベルリン三月革命 フランクフルト国民議会 オーストリアを除外したプロイセン中心のドイツ統一という小ドイツ主義を採択 →プロイセンの王が統一を拒む |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
1848年革命の影響で、 イタリア民族運動がおき、 _の統一運動や _の建国が試みられましたが、失敗に終わりました |
サルデーニャ王国(猿でニャい! ローマ共和国(マッツィーニ, かつての青年イタリア) |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
ラテンアメリカへのスペインの支配力は、ナポレオンによるスペイン占領で弱まりました。これをきっかけに、植民地生まれの白人_が中心となり、独立運動を起こしました。 ・イダルゴ神父の蜂起を経て_が独立 ・ポルトガルの王子が帝位につき_が独立 |
クリオーリョ メキシコ ブラジル |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
三月革命の影響による「諸国民の春」(1848年革命) オーストリア支配下 ・_民族運動(_人) →_(人名)が独立宣言→鎮圧 ・_民族運動(_人) |
ハンガリー民族(マジャール人) →コシュート ベーメン(ボヘミア・チェック人) |
24.ウィーン体制の成立と崩壊 |
イギリスでは_運動が1848年革命の影響を受けて最高潮の盛り上がりを見せました | チャーティスト運動 労働者, 議会請願・デモ運動・ストライキの実施 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1820年代、イギリスは次の自由主義的政策を実施しました。 ・_法の廃止 ・_法が成立 |
審査法(カトリック教徒を除く) カトリック教徒解放法 オコンネルの活動で成立。公職への就任を許可 アイルランドを併合したが、カトリックが多い |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イギリスの_で腐敗選挙区が廃止され、 産業資本家など、都市中産階級に選挙権が許可されました。 これに不満を抱いた労働者が、男性普通選挙を求めて_を起こしました 失敗に終わりましたが次回の改正で選挙権が付与されました |
第1回選挙法改正(選挙区が昔のままだった) チャーティスト運動(人民憲章 People's Charterを掲げる) |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
産業革命後、イギリスでは自由貿易の要求によって次の政策が実施されました。 ・_の廃止(_と_など産業資本家が廃止を主張し同盟を結成) ・東インド会社の中国貿易独占権の廃止(民間会社へ) ・_法廃止 |
穀物法(地主保護のために対外輸入穀物へ高関税を設定) コブデン、ブライト(給料が高くなる) →アイルランドでのジャガイモ飢饉の発生も影響 明るいコブでん 航海法(クロムウェル) |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1851年、「世界の工場」と言われる _治世下のイギリスで_が開催されました。 圧倒的な工業力、軍事力はパクス=ブリタニカと呼ばれました |
ヴィクトリア女王 第1回ロンドン万国博覧会 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ヴィクトリア期のイギリスでは _(旧称:ホイッグ党) _(旧称:トーリ党) の二大政党が交互に政権を担当し、議会政治を展開しました。 |
・自由党 産業資本家、労働者の支持 自由貿易主義、平和外交 アイルランドの自治に寛容的 ・保守党 地主・貴族の支持 保護貿易、競合外交 アイルランドの自治に否定的 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イギリス自由党の首相_が 整備した法律4つ |
グラッドストン(グラードン ストン ・教育法 →第2回選挙法改正, 見極め方を教える ・労働組合法:作ってもOK ・第3回選挙法改正 農村・鉱山労働者に選挙権 ・アイルランド自治法案→否決 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イギリス保守党の首相_が行った政策 ・_の支配(株式を買収) ・_の成立 ・_会議に参加→キプロス島の統治権 |
ディズレーリ(ディズニー リレー スエズ運河:最短距離でインドへ インド帝国 ベルリン会議(国際会議) |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
フランスの二月革命の後、社会主義者_が ・臨時政府の発足 ・男性普通選挙の公約 ・失業者の救済機関_の開始 →四月普通選挙にて、敗北。現れた失業者は_を起こしました |
ルイ=ブラン(ルイ plan 国立作業場 六月蜂起(ほうき)→陸軍により鎮圧 農家から不満をかった |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1848年、フランスの_は国民投票で大統領に当選、 _を起こし武力で議会を解散させ、 独裁体制を確立しました |
ルイ=ナポレオン 1851年クーデタ 嫌だけど来い! |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ナポレオン3世は、国民の支持を維持するために、次の戦争をおこないました。 ・クリミア戦争 (オスマン帝国vsロシア) イギリス・フランスはオスマン帝国を支援 ・_:清への侵略 ・_:ベトナムへの進出 ・_:サルデーニャ王国vsオーストリア ・メキシコ出兵 メキシコの抗戦, 合衆国の抗議で失敗 ・_にて敗れ、捕虜となりました |
アロー戦争 インドシナ出兵 イタリア統一戦争(サルデーニャ) プロイセン=フランス戦争(普仏戦争) →第三共和政へ |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
フランス第三共和政 臨時政府の行政長官_が普仏戦争の休戦条約を締結 これにパリの民衆は反対し_と呼ばれる自治政府を樹立 →臨時政府はプロイセンの協力を得てこれを倒しました。 |
ティエール:初代大統領へ パリ=コミューン →歴史上初めての労働者による自治政府 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イタリア統一前の国 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 | |
啓蒙専制君主3名 | ・オーストリア:ヨゼフ2世(マリア=テレジアの子) ・プロイセン:フリードリヒ2世(ヴォルテールの影響) ・ロシア:エカチェリーナ2世(農奴制の推進) |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
サルデーニャ国王_ 初代イタリア国王に即位しました。 |
ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 victrorio えまぁぬええれ |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
サルデーニャ王国首相_は社会基盤の整備を進め、 イタリア統一への運動を支えました。 |
カヴール 被る |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イタリア統一運動 ・_戦争へ参加し、名前を売る ・_戦争で_(国)と戦い_を獲得 ・仏に_を割譲し、中部イタリアを併合 |
クリミア戦争(〇オスマン帝国vsロシア) イタリア統一戦争、オーストリア、ロンバルディア サヴォイア、ニース |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イタリア統一運動 _が義勇軍_(千人隊)を率いて、両シチリア王国を軍事的に征服しました。 占領した南イタリアをサルデーニャ国王に献上しました。 |
ガリバルディ(人) 赤シャツ隊 ガリ貼るでぃ 青年イタリアに所属していた人 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1861年、イタリア王国が成立し、 普墺戦争で_を併合(オーストリア領) 普仏戦争で_を併合 |
ヴェネツィア ローマ教皇領 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イタリア統一後も、_・_(位置)など オーストリア領のイタリア北東部は 、 「未回収のイタリア」として残されました。 |
トリエステ 南チロル |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1862年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世は、ユンカー出身の_を首相に任じました。軍備拡張で富国強兵を進める_を掲げました。 | ビスマルク 鉄血政策:鉄とは武器、血とは兵士 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
_戦争:プロイセン&オーストリアが、_(地域)をめぐって開戦 _戦争:プロイセンが勝利 ドイツ連邦が解体され、プロイセンが_を結成しました。 |
デンマーク戦争 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い) スレ レス 日々 プロイセン=オーストリア戦争 北ドイツ連邦 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
プロイセン=オーストリア戦争の後、 オーストリアはハンガリーに自治を付与し_が成立しました |
オーストリア=ハンガリー帝国 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
スペイン王位継承問題にて、プロイセン王とフランス大使の会談の電報にて、 ビスマルクが電報を改ざん、 ナポレオン三世は激怒し_が開戦 ナポレオン三世は_で捕縛される 西南ドイツは頼るところがなくなり_が成立 |
プロイセン=フランス戦争 スダン ドイツ帝国 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世は、_でドイツ皇帝として即位しました。 _が宰相として独裁的な権力をふるいました。 |
ヴェルサイユ宮殿 ビスマルク |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ドイツ帝国では以下の組織で政治が行われました _:立法、条約。帝国各地の代表者で構成 _:予算の審議。全ドイツの男性普通選挙 |
連邦参議院 帝国議会 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ドイツ帝国は、プロイセン=フランス戦争の講和条約で、 フランスの_・_を獲得 →第2次産業革命の進展。保護関税法 |
アルザス・ロレーヌ →鉱山地帯 工業生産数は世界2位へ ⇔ウェストファリア条約:三十年戦争(ドイツ→フランス) |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ビスマルクは、西南ドイツのカトリック教徒に対する_をおこないました。 | 文化闘争 近代的思想・政策に批判的なローマ教皇・カトリック教会を排することの呼称 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
1860年代ラサールの指導で、強権政治を批判する社会主義運動が起こりました。 1875年_が成立しました。 1878年_制定 ビスマルクは労働者の社会保険制度を整備し、社会主義者を懐柔しようとしました。 |
ドイツ社会主義労働者党 →世界最初の社会主義政党 社会主義者鎮圧法 →社会主義的傾向をもつ全ての結社、集会、出版を禁止 ビスマルクがいなくなってからドイツ社会民主党へ |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ビスマルクは、フランスを外交的に孤立させようとし、 ドイツ・_・_の皇帝間で_を結成しました。 _会議にてバルカン半島の主張を争った結果、崩壊 |
オーストリア ロシア 三帝同盟:ドイツが仲介する ベルリン会議:ドイツがオーストリアに加担 →ロシアに圧力をかけ再結成 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
_:ドイツ・オーストリア・_の同盟 1880年代にチュニジアを保護国化したフランスに対抗して勧誘 |
三国同盟 イタリア |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
_:三帝同盟の継続が困難とみたビスマルクがロシアとの保障関係維持を策した条約 | 再保障条約 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
19世紀後半以降、イギリスが同盟を組まなかったこと | 光栄ある孤立 圧倒的な工業力・軍事力→得することがない 栄光は掴むもの。光栄は持っている |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
イギリスの第2回選挙法改正では_、第3回選挙法改正では_が選挙権を得た | 都市労働者 農村・鉱山労働者 |
25.19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独 |
ロシアの南下政策 ギリシア独立戦争にて、英・仏・露の艦隊がオスマン帝国を撃破 ロシアは_の自由通行券を獲得 |
ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 駄々こねるボス |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
ロシアの南下政策 _戦争にてエジプト総督_に対抗し、オスマン帝国に加担。 ロシア以外の外国軍艦が両海峡を通行することを禁止 _戦争の_会議にてすべての外国軍艦が通行禁止 |
第1次エジプト=トルコ戦争 →エジプトはシリアの領有権を獲得 ムハンマド=アリー 第2次エジプト=トルコ戦争 →エジプト・スーダンの世襲権を承認 ロンドン会議 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
ロシアの南下政策の目的 | 広大な領土→穀物の輸出→不凍港を求めた | 26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
1853~56年、クリミア戦争 ロシアはオスマン帝国内のギリシア正教徒保護を口実に、クリミア半島の領有を要求して開戦 ロシア皇帝_の治世下で開戦し、 途中病死したため皇帝_が即位 オスマン帝国側で_・_ が参戦し、ロシアが敗北 _で黒海の中立化が取り決められた |
ニコライ1世、アレクサンドル2世 イギリス、フランス (+サルデーニャ王国) パリ条約 南下政策の阻止を目的 ナイティンゲール:国際赤十字社の元 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
_:皇帝アレクサンドル2世の治世下で出された、農奴の人格的自由を認める命令 農奴が耕作していた土地は農村共同体(_)にまとめて渡され有償で農民個人へ分与 ポーランド反乱鎮圧後、自由主義的な姿勢を後退させ、専制支配を強めました。 |
農奴解放令 ミール(⇔シェアクロッパー:アメリカ) |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
ロシアの知識人階級_の一部は _と呼ばれました。 _のスローガンを掲げ、ミールを基盤として資本主義の道を通ることなく社会主義に改革できると考えました。 →農民から受け入れられず_に走り、 皇帝アレクサンドル2世を暗殺しました。 |
インテリゲンツィア ナロードニキ(人民主義者) ヴ=ナロード(人民のなかへ) テロリズム インテリ はだしのゲン なろう系 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
1870年代、オスマン帝国内のボスニア・ヘルツェゴヴィナで反乱がおこり鎮圧。 ロシアは_を掲げて宣戦し _が起こりました。 講和条約_では、_の独立承認や _の自治が認められました。 |
パン=スラヴ主義 ロシア=トルコ戦争 サン=ステファノ条約 ルーマニア・セルビア ・モンテネグロ ブルガリア(ロシアが保護国) |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
ビスマルクによって開催されたベルリン会議のベルリン条約では、 ブルガリアの領土縮小、ロシアの保護廃止が決定され、 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ地域を_が、 _をイギリスが統治することが決定しました。 |
オーストリア キプロス島 →南下政策の失敗→アジア方面への進出 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
1823年、アメリカ合衆国第5代大統領_は、次のようなヨーロッパとの相互不干渉を宣言しました。 ・ヨーロッパからアメリカ大陸への干渉反対(ラテンアメリカ諸国の独立支持) ・アメリカ大陸からヨーロッパへの不干渉 これは_と呼ばれ、以降アメリカ合衆国の外交の基本方針となりました。 |
モンロー モンロー宣言 →孤立主義 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
アメリカ合衆国第7代大統領_は、 奴隷制廃止に反対し、 また、先住民を_に強制移住させる法律を成立させました。 チェロキー族の_など |
ジャクソン ミシシッピ川以西 涙の道 →ジャクソニアン=デモクラシー |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
ジャクソンの白人主義により西部開拓が加速しました。 西側の地域は_と名付けられ、 神が与えた使命「_」という考えで開拓が正当化されました。 |
フロンティア(辺境) 明白な天命(マニフェスト=ディスティニー) |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
アメリカの西部開拓 ・_&_の買収 ・_の併合→_戦争:_を獲得 _:金鉱が発見され、移民が増加 |
ミシシッピ川以西のルイジアナ(フランスより買収) フロリダ(スペインより買収) テキサス(メキシコから独立→合衆国に編入) アメリカ=メキシコ戦争 →カリフォルニア:ゴールドラッシュ |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
_:1820年、アメリカの南部と北部の対立収拾のため、 妥協として北緯36度30分以北を自由州、以南を奴隷州とした協定 1854年カンザス・ネブラスカを自由州奴隷州のどちらにするか、 住民投票で決める法律が制定され、 奴隷制反対をスローガンとする_が結成されました。 |
ミズーリ協定 共和党 同数→奴隷州有利→共和党 |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
南北戦争前 女性作家_は『_』を著して奴隷制を批判 |
ストウ夫人 アンクル=トムの小屋 須藤 uncle トミー |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
1860年、共和党の_が、アメリカ合衆国第16代大統領に選ばれました。 1861年、南部諸州は_をつくり、南北戦争が開戦しました。 ・_法:定住、開墾者に土地を与える ・_:戦争目的の明確化 1863年、北軍が_で勝利して優勢 1865年、南部の首都_が陥落して降伏 |
リンカン アメリカ連合国 ホームステッド法 奴隷解放宣言 ゲティスバーグの戦い(ゲスなスピルバーグ リッチモンド |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
南北戦争の結果、憲法修正第13上で奴隷制度が廃止されました。 しかし多くの黒人は自作農になれず、_(分益小作人)として白人農場主へ従属しました。 元南軍の兵士など一部の白人が、秘密結社_(_)を組織し、 非合法的手段で黒人を迫害しました。 |
シェアクロッパー(工場で働かなかった) クー=クラックス=クラン(KKK) |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
南北戦争後、アメリカ合衆国は北部主導で世界一の工業国になりました。 労働運動も高揚し、1886年_が結成されました。 |
アメリカ労働総同盟(AFL) →熟練労働者の職業別連合、穏健的 第二次産業革命 ⇔労働代表委員会:イギリス |
26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
1869年アメリカで_が開通し、政治的・経済的統一が進展しました 1890年、フロンティアの消滅が宣言されました 。 |
大陸横断鉄道 | 26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 |
サン=ステファノ条約で独立承認された国と位置 | 26.19世紀の欧米諸国(2)露・米 | |
19世紀の欧米文化:古典主義 「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」 |
ゲーテ(ドイツ) | 27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:ロマン主義(ドイツ) 「歌の本」 |
ハイネ 七月革命を目の当たりにし、自由を求める姿に魅了 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:ロマン主義(フランス) 「レ=ミゼラブル」 |
ヴィクトル=ユゴー 虐げられる貧しい人達を題材 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:ロマン主義(イギリス) 「チャイルド=ハロルドの巡礼」 |
バイロン ギリシア独立に影響をうける |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 ・赤と黒:実際におきた事件系 ・人間喜劇:作品群 ・戦争と平和:歴史 ・罪と罰:リアルな小説 ・二都物語:フランス革命 |
スタンダール バルザック トルストイ(取るstoy ドストエフスキー ディケンズ:イギリスの下級社会 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:自然主義 ・人間の家:女性解放 ・女の一生 ・居酒屋:軍の冤罪事件を訴える |
イプセン モーパッサン エミール=ゾラ イプシロン千 モッパンさん 見えーるぞ空 写実主義+社会正義 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:古典主義絵画 「ナポレオンの戴冠式」 |
ダヴィド |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:ロマン主義絵画 「民衆を導く自由の女神」 |
ドラクロワ 自分も入った |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:自然主義絵画 「落穂ひろい」「晩鐘」 |
ミレー 農民生活を題材とした |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義絵画 「石割り」 |
クールベ |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:印象派 _:「草の上の食事」「笛を吹く少年」 _:「印象・日の出」「睡蓮」 |
マネ モネ |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:後期印象派 _:「サント=ヴィクトワール山」「赤いチョッキの少年」 _:「自画像」「ひまわり」 |
セザンヌ ゴッホ |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:ロマン主義音楽 _:「美しき水車小屋の乙女」 _:「ニーベルングの指環」(楽劇) _:「革命」 |
シューベルト ヴァーグナー ショパン:7月革命の影響を受けたポーランド反乱に関する曲 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:史的唯物論 ヘーゲルの弁証法哲学を応用し、 歴史の発展法則を探求 |
マルクス | 27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:功利主義 ・最大多数の最大幸福 ・中身にも注目 |
・ベンサム(便sum ・ジョン=ステュアート=ミル |
27.19世紀の欧米文化(3) |
科学的社会主義:_(著書_)、友人:_ | マルクス:共産党宣言 エンゲルス 革命を起こして資本家から工場を奪う |
27.19世紀の欧米文化(3) |
歴史学派経済学:古典派経済学(自由主義)に対抗。 各国の経済を歴史的な発展段階でとらえ、保護関税貿易を正当化した人物 |
リスト(ドイツ) →ドイツ関税同盟の結成とドイツの統一に尽力 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
・科学的な方法を哲学に取り入れ、社会学を創始した人物 ・史料の批判に基づく近代歴史学を確立した人物 ・歴史の因果律を探求する史的唯物論(Historical materialism)を説いた人物 |
コント(フランス) ランケ(ドイツ)RankE マルクス(ドイツ) |
27.19世紀の欧米文化(3) |
電磁誘導の法則・電気分解を発見し、 電磁気学の発展に貢献した人物 |
ファラデー | 27.19世紀の欧米文化(3) |
エネルギー保存の法則を発見した人物 内燃機関の発達に貢献 |
マイヤーとヘルムホルツ まぁいいやHellもHz ⇔質量保存の法則 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
X放射線を発見した人物 | レントゲン | 27.19世紀の欧米文化(3) |
夫ともに放射性物質を研究し、ラジウム・ポロニウムを発見した人物 | キュリー夫妻 | 27.19世紀の欧米文化(3) |
1859年『種の起源』で進化論を提唱した人物 | ダーウィン | 27.19世紀の欧米文化(3) |
細菌学を発展させたフランスの人物で、 狂犬病の予防接種などを開発 |
パストゥール pass tool |
27.19世紀の欧米文化(3) |
細菌学を発展させたドイツの人物で、 結核菌・コレラ菌を発見 |
コッホ(咳) | 27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 赤と黒・作者_ |
スタンダール 実際におきた事件系 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 人間喜劇・作者_ |
バルザック 作品群 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 戦争と平和・作者_ |
トルストイ(取るstoy 歴史 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 罪と罰・作者_ |
ドストエフスキー リアルな小説 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:写実主義 二都物語・作者_ |
ディケンズ:イギリスの下級社会 フランス革命の話 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:自然主義 ・人間の家:女性解放 |
イプセン(ノルウェー) イプシロン千 写実主義+社会正義 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:自然主義 ・女の一生 |
モーパッサン(フランス) モッパンさん モー発散! 写実主義+社会正義 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
19世紀の欧米文化:自然主義 ・居酒屋:軍の冤罪事件を訴える |
エミール=ゾラ(フランス) 見えーるぞ空 写実主義+社会正義 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
空想的社会主義:_ 工場法の策定に尽力 |
ロバート=オーウェン ニューらなーくの労働者の待遇改善 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
1834年、ドイツ関税同盟成立 _を中心に、オーストリアを除く大多数の領邦で構成する経済的同盟 |
プロイセン 〇:経済的統一 ✕:政治的統一 |
27.19世紀の欧米文化(3) |
18世紀、清では土地不足による農民の貧困化が生じ、社会不安が広がり_が起こりました。 10年近く続く反乱は、清の財政を窮乏させると同時に、その弱体化も露呈させました。 |
白蓮教徒の乱(びゃくれんきょうと) | 28.中国と朝鮮の植民地化 |
18世紀後半、イギリスは本国での茶の需要が増えたため、清から茶を輸入しました。 イギリスが生産した綿製品は清でなかなか売れず、_の流出が顕著となりました。 イギリスは銀の流出を解決するため_を始めました。 中毒者が増加し、清からイギリスへ銀が流入しました。 |
銀 三角貿易(綿製品→インド、アヘン→中国) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
イギリスは東インド会社の中国貿易独占権を廃止し、民間会社もアヘンを輸出しました。 使節_を清に派遣し、 清の6代皇の乾隆帝に貿易拡大を求めました。 |
マカートニー 広州以外の貿易港、自由貿易を求めて →世絶されて失敗 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
1839年、清は大臣_を広州に派遣し、 中国人密貿易者の処罰、イギリス商館区の封鎖を行いました。 イギリスは「自由貿易の実現」を主張 _を起こし圧勝しました。 |
林則徐(りんそくじょ) アヘン戦争 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
_:アヘン戦争の講和条約 ・五港開港(_・寧波・福州・厦門・広州) ・公行(独占組合)の廃止 ・_の割譲 ・賠償金の支払い |
南京条約 上海 香港(香港島) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
南京条約の後、追加条約で次の制度・権利も認めました。 _の承認、_の喪失 外国人居住地として_が初めて上海に設置され、同様の権利をアメリカ・フランスに認めました(条約_) |
領事裁判権(治外法権、滞在中の外国人が自国の領事による裁判を受けられる) 関税自主権 租界 アメリカ:望厦条約(ぼうか) フランス:黄埔条約(こうほ) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
アヘン戦争後、イギリスの利益は期待したほどあがりませんでした。 _でイギリス船籍が海賊容疑で取り調べを受け_戦争 _が共同出兵、講和条約_を締結。 保守派らが発砲し戦争再開&北京占領 →_の破壊&皇帝は逃亡、_の締結 |
アロー号戦争 アロー戦争(第二次アヘン戦争) フランス 天津条約(てんしん) 円明園(えんめいえん)、北京条約 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
アロー戦争の講和条約、北京条約では以下が認められました ・外国公使の北京駐在 →総理各国事務衙門(がもん, 外務省)の設置 ・キリスト教布教の自由 ・開港場の増加:天津など ・イギリスへ_の割譲 |
九竜半島南部 (⇔南京条約:香港島) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
アヘン戦争後、清には重税による窮乏化、王朝の統治への不安が広がりました。 キリスト教の影響を受けた秘密結社_の_は_を起こしました。 占領した南京を_と改称して首都と設定。 |
拝上帝会(はいじょうていかい) 洪秀全(こうしゅうぜん) 太平天国の乱 天京(てんけい) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
太平天国は「_」を掲げ、次の政策を主張 ・土地を均等に配分する_の導入 ・男女平等、纏足てんそくの廃止、辮髪べんぱつの廃止 |
滅満興漢(めつまんこうかん) 天朝田畝(てんちょうでんぽ)制度 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
地方官僚が義勇軍_を組織し、 太平天国の乱の鎮圧に活躍。 代表_ |
郷勇(きょうゆう) ・湘(しょう)軍 指導者:曾国藩そうこくはん ・淮(わい)軍 指導者:李鴻章りこうしょう 倉庫 黒斑 リ交渉 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
太平天国の乱にて 欧米諸国は_が鎮圧に協力 代表指揮官:_・_ |
常勝軍:欧米人が指揮した中国人の軍隊 ウォード(アメリカ人) ゴードン(イギリス人) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
19世紀、ロシアの東シベリア総督_は、 清への圧力を強化しアロー戦争を機会に次の条約を結びました。 ・_:_を国境とし、以北をロシアが領有 ・_:ウスリー江以東(_)を獲得 →太平洋進出の拠点として_を建設 |
ムラヴィヨフ アイグン条約:黒竜江(こくりゅうこう、アムール川) 北京条約:沿海州(えんかいしゅう) ウラジヴォストーク |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
日本とロシアが結んだ国境画定条約 | 樺太・千島交換条約 ロシアが樺太全島を領有、日本が千島列島全島を領有 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
清で起きたムスリムの反乱を機にロシアが出兵 ロシアが撤兵の条件として清と結んだ条約 |
イリ条約 ロシアと清でイリ地方の国境を画定 東トルキスタンの一部をロシアが獲得 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
清では_(時代)に、 _の立場をとった近代化の推進_が始まりました。 中心人物:_・_ |
同治の中興(どうちのちゅうこう) 中体西用 洋務運動 曾国藩(そうこくはん) 李鴻章(りこうしょう) →太平天国の乱の人達 同じ中学の中高 中退せえよ用務員 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
17世紀以降、朝鮮は清・江戸幕府とだけ外交関係をもちました。 1860年代、摂政_は鎖国体制を堅持し開国を拒みました。 朝鮮国王_の王妃一族である_が日本と手を組み、大院君に代わって朝鮮の政権を掌握 |
大院君(たいいんくん) 高宗 閔氏(びんし) |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
閔氏の独裁時、日本の軍艦雲揚が朝鮮半島沿岸の測量中に砲撃された_が起こりました。 その結果、不平等条約である_を結ばされました ・朝鮮の自主独立 ・3港の開港(釜山プサン・元山・仁川じんせん) ・日本の領事裁判権を承認 |
江華島(こうかとう)事件 日朝修好条規 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
_:大院君が、閔氏に反発して軍隊を動かした反乱 清は大院君を捕縛し、閔氏を支援。日本は朝鮮側へ多くの要求 →事件後に親清派として清に依存 |
壬午(じんご)軍乱 人語 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
_:朝鮮の独立を望む_派の_が、 清仏戦争での清敗北を機に、政権奪取を目指した事件 |
甲申(こうしん)政変 開化派 金玉均(きんぎょくきん) 金玉均は日本公使の援助を得たが、清軍の来援で計画失敗 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
朝鮮末期の新思想 _:ヨーロッパのキリスト教を中心とする宗教・思想 _:従来の民間信仰+儒・仏・道教 創始者:_ →_が勃発。指導者:_ |
西学 東学、崔済愚(さいせいぐ) 甲午農民戦争、全琫準(ぜんほうじゅん) →清と日本が同時に出兵。日清戦争へ 再生具 前方ジュン |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
_:日清戦争の講和条約 ・朝鮮の独立 ・_/澎湖(ほうこ)諸島/遼東(りょうとう)半島の割譲 ・開港場での企業の設立 |
下関条約 台湾 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
_:日本に遼東半島を清へ返還するように勧告した事件。国 →ロシアに近付いた閔妃殺害 |
三国干渉 ロシア・ドイツ・フランス →遼東半島を返還 |
28.中国と朝鮮の植民地化 |
1802年、_が、フランス人宣教師ピニョーの協力を得て 西山政権を倒し_ (_)を興しました。 _によってフランスに敗れ、サイゴンを割譲 |
阮 福暎(げんふくえい) 阮朝(げんちょう) 越南国(えつなんこく, 清の朝貢国) 仏越戦争 ゲン服A |
29.アジア諸地域の植民地化 |
ユエ条約により、フランスがベトナムを保護国化→清がベトナムの宗主権を主張し_がおこりました _条約によって清はベトナムの宗主権を放棄しました |
清仏戦争 天津条約(=アロー戦争) |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1887年、フランスは保護国化したベトナムと_を併せて_を成立させました。 成立後の1899年、_が編入されました。 |
カンボジア フランス領インドシナ連邦 ラオス |
29.アジア諸地域の植民地化 |
オランダの暴政に対して反乱ジャワ戦争が起こり鎮圧、財政窮乏を誘発しました。 ジャワ島の住民にコーヒーなどを生産させ、安価で買い上げる_を導入しました。 |
強制栽培制度 続いてアチェ戦争が起こり、オランダ領東インドが完成しました |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1826年イギリスはマレー半島沿岸のマラッカ・ペナン・シンガポールを拠点に_を形成しました。 1895年マレー半島内部の国々を保護国化し_を結成させました。 _の開発や_のプランテーションが行われました |
海峡植民地 マレー連合州 錫(すず):華僑が労働力 ゴム:印僑が労働力 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1824~86年、イギリスは現ミャンマーの_でコンバウン朝を滅ぼし、 インド帝国に併合しました |
ビルマ ビルマ戦争 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
イギリス東インド会社は、次のように政治的・軍事的にインド支配を強めました。 ・1765年、ベンガル地方の徴税権を獲得 ・_戦争で南インドの支配を確立 ・_戦争で中部インドを支配 ・_戦争で北部インドを支配 |
マイソール戦争(my soul マラーター戦争(マラ多 シク戦争(sick 下から上に |
29.アジア諸地域の植民地化 |
イギリス東インド会社は、 _経営で茶、アヘンなどを栽培し、 以下の方法で地税を徴収しました。 ・_:旧来の地主・領主から直接地税を徴収 ・_:耕作農民から直接知税を徴収 |
プランテーション経営 ザミンダーリー制(the ミン だりー ライヤットワーリー制(lie雇われぃ |
29.アジア諸地域の植民地化 |
_:インド人傭兵が、支給された新式銃の弾薬包に牛・豚の脂が塗られていたことに反発して起こした蜂起 →デリー城を占拠、ムガル皇帝を擁立 →イギリス本国軍がムガル帝国を滅ぼす イギリス東インド会社は解散となり、イギリス本国が直接統治を進めました |
シパーヒーの反乱(インド大反乱) →インド帝国 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1877年インド皇帝に_が即位し、 イギリス国王と兼ねました。 _:イギリスの直轄地と藩王国が並立 →保守的な藩王国を懐柔し、民族運動抑圧に利用 |
ヴィクトリア女王 分割統治 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
イスラームから神秘主義や聖者崇拝を取り除き「預言者の教えに戻れ」と主張する_派は、 アラビア半島の中央部に拠点をもつ_家と同盟を組んで王国を建国しました。 |
ワッハーブ サウード →ムハンマド=アリーの攻撃で滅亡 わっハーブ 左右ー土 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
スエズ運河:1869年フランス人技師_の指揮下、 フランスとエジプトの共同出資で開通 →イギリスが買収。支配に反発し_が起こりましたが 鎮圧されイギリスの保護国となりました |
レセップス ウラービーの反乱(ウラービー運動) →後のエジプト民族運動の原点となりました。 「エジプト人のためのエジプト」 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1839年、オスマン帝国スルタンの_が_を出し、行政・軍事の西欧化改革_を開始しました。 →クリミア戦争で勝利を収めるが、英・仏に従属。 |
アブデュル=メジト1世 ギュルハネ勅令 タンジマート 上からの改革、法的な平等課税 危でゅる 目じと 誕生マート |
29.アジア諸地域の植民地化 |
クリミア戦争後、オスマン帝国では立憲制への要求が高まりました。 1876年、宰相_が起草した_が制定されました。 |
ミドハト=パシャ ミドハト憲法(二院制議会、責任制内閣) →ロシア=トルコ戦争の勃発を口実に皇帝が停止 →サン=ステファノ条約 mid鳩 pasha |
29.アジア諸地域の植民地化 |
18世紀末、_朝ペルシアがイランに興りました。 ロシアとの間で_を結びました。 シーア派の一派が_を起こしましたが、鎮圧されました |
カージャール朝 トルコマンチャーイ条約(不平等条約) バーブ教徒の乱 |
29.アジア諸地域の植民地化 |
イギリスは、ロシアやカージャールの勢力がインドに及ぶことを恐れ、 _を起こしアフガニスタンを保護国化しました |
アフガン戦争 (1度目は失敗。ベルリン会議でロシアの南下政策を止めたくなって2回目) |
29.アジア諸地域の植民地化 |
イギリスの保守党内閣の植民相_は、 南アフリカ戦争など帝国主義政策を推進しました。 |
ジョゼフ=チェンバレン ヨゼフ チャンバラ バレンタイン |
29.アジア諸地域の植民地化 |
1905年成立のイギリスの自由党内閣は、労働党の協力を得て次の法律を成立させました。 ・国民保険法:失業中の労働者への補助 ・_:下院優位の原則 ・アイルランド自治法 →第一次世界大戦で延期 |
議会法 | 30.帝国主義の時代 |
1900年、イギリスでは社会主義団体_などが_を結成しました。 1906年、_が結成され、議会を通した社会改革を主張しました。 |
フェビアン協会 労働代表委員会:その他の団体を合体 労働党:暴力でなく、議会を使う |
30.帝国主義の時代 |
第三共和政下のフランスは、次の事件で大きく揺さぶられました。 ・_:元陸相が国民の対ドイツ感情を利用し、政権獲得を目指した事件 ・_:ユダヤ系将校がスパイ容疑で逮捕されるが、冤罪 |
ブーランジェ事件 ドレフュス事件 →ゾラ「私は弾劾する」 Booランジェリー 奴隷フス |
30.帝国主義の時代 |
フランスの労働運動 議会や政党を否定し、労働者の直接行動を重視する考え方:_ _:社会主義諸派が結成 |
サンディカリズム フランス社会党 sandy 仮リズム |
30.帝国主義の時代 |
ドイツ皇帝_は、即位後に社会主義者鎮圧法に反対し、 1890年、ビスマルクを退任させました。 ・海軍の大拡張:_と対立 ・パン=ゲルマン主義, バルカン半島を巡りロシアとの関係悪化, 再保障条約破棄 ・_政策で中東への進出 |
ヴィルヘルム2世 イギリス 3B政策:ベルリン、ビザンティウム、バグダード |
30.帝国主義の時代 |
ビスマルクの失脚後の1890年、ヴィルヘルム2世は社会主義者鎮圧法を廃止 →_が勢力を伸ばし、マルクス主義に基づく革命による資本主義の打倒を主張 →後に議会主義的改革を重視する_へ |
ドイツ社会民主党 修正主義 (⇔フランス社会党) |
30.帝国主義の時代 |
ロシアは露仏同盟でフランス資本を導入し産業革命を進めました。 シベリア鉄道を建設し、中国へのアクセスを強めました。 →首都_で戦争中止を請願した民衆が宮殿の警備隊に発砲される_が発生 →第1次ロシア革命。労働者の自治組織_が成立し、各地で暴動・ストライキが発生 →_で日露戦争を終結 |
ペテルブルク 血の日曜日事件 ソヴィエト(評議会, 情報交換の場) ポーツマス条約 |
30.帝国主義の時代 |
日露戦争後、ロシア皇帝_が勅令_を出し 立法権をもつ国会(_)の開設、 憲法の制定を約束し_が組織されました |
ニコライ2世 十月宣言(起草者:ウィッテ) ドゥーマ 立憲民主党 |
30.帝国主義の時代 |
日露戦争後のロシアで_が自由主義的改革を推進したところ、革命は収束しました。 1906年、新たに登用された首相_は、 ドゥーマを解散、_を解体し富農育成を目指しました。 |
ウィッテ ストルイピン ミール(農村共同体)→失敗 言って ストローィ📌 |
30.帝国主義の時代 |
ロシアの知識人・社会主義者は専制体制の転換を求め、次の組織を組織しました ・_:創設直後に、 レーニンら_と、プレハーノフら_に分裂 ・_:農民的なナロードニキの流れをくむ組織 |
ロシア社会民主労働党 ボリシェヴィキ:少数の革命家による武装革命 メンシェヴィキ:民主主義革命を経て社会主義革命 社会革命党:テロリズムによる専制政治の打破 |
30.帝国主義の時代 |
20世紀アメリカ合衆国では、 企業の独占規制/労働条件の改善を図る_と呼ばれる諸改革が実施されました。 |
革新主義 大統領:セオドア・ローズヴェルト |
30.帝国主義の時代 |
_:アメリカが外の国々に市場を求めた政策 ・_会議 ・フロンティアの消滅 |
カリブ海政策 第1回パン=アメリカ会議(中南米) |
30.帝国主義の時代 |
_:キューバでの独立運動とハバナ湾でのアメリカ軍艦の爆沈事件を口実に起こった戦争 (アメリカ共和党の大統領_) →勝利したアメリカは_を獲得 &_を保護国化 |
アメリカ=スペイン戦争(米西戦争) マッキンリー プエルトリコ・フィリピン・グアム キューバ セルバンテスが負傷した |
30.帝国主義の時代 |
1899年、国務長官_は、 進出に遅れた中国市場へ割り込むために、 _を出しました。 |
ジョン=ヘイ 門戸開放宣言 |
30.帝国主義の時代 |
1901年に大統領になった共和党の_は、 軍事力を背景にした外交政策「_」を行い、カリブ海地域の支配を目指しました。 →_を建設し、軍事的に役立てました。 |
セオドア=ローズヴェルト 棍棒外交 パナマ運河→太平洋に出られる 日露戦争の仲介 |
30.帝国主義の時代 |
ドレフュス事件を通して、ユダヤ人国家を設立しようとする運動_が強まりました。 | シオニズム | 30.帝国主義の時代 |
1864年、国際的な労働者組織として第1インターナショナルが_で結成。 マルクスが創立宣言を起草。 第一次世界大戦前、新たな国際的組織として第2インターナショナルが_で結成。 |
ロンドン パリ 第3:コミンテルン |
30.帝国主義の時代 |
_はイギリスがフランスとの抗争後に植民地とし、 1867年に最初の自治領として許可されました。 第一次世界大戦後、イギリス連邦の一部へ |
カナダ 帝国主義の時代 |
30.帝国主義の時代 |
_:琉球王国の漂流民の殺害事件を理由に、1871年、明治政府が軍を出兵した出来事 | 台湾出兵 →琉球王国を沖縄県として編入 帝国主義の一部 |
30.帝国主義の時代 |
大西洋三角貿易とは | 西ヨーロッパ(日用品、武器) →西アフリカ(戦争で負けた国:奴隷) →アメリカ(サトウキビ、タバコ) |
31.世界分割と列強の対立 |
19世紀後半、_・_がアフリカ大陸の内陸部を探検しました。 探検を支援したベルギーは、報告を受けコンゴの領有を宣言しました。 西欧諸国は宣言に反発し、対立が生じました。 |
リヴィングストン:ナイル水源探査で一時消息不明 スタンリー:コンゴ探検 |
31.世界分割と列強の対立 |
ベルギーのコンゴ領有宣言への反発を調停するために、 ドイツの_の提唱で開催した、欧米諸国によるアフリカ分割の会議:_ ・先占権を確認 ・今後をベルギー領と確定(コンゴ自由国) |
ビスマルク ベルリン会議 (⇔ロシア=トルコ戦争とは異なる) |
31.世界分割と列強の対立 |
エジプトの保護国化後、イギリスは南方のスーダンに侵入しました。 救世主を名乗る指導者に率いられた住民がイギリスに対して抵抗した_が起こりました。 |
マフディーの反乱 マフディー(救世主) →長い間続いたあと鎮圧 マフラーday |
31.世界分割と列強の対立 |
縦断政策をとるイギリスと横断政策をとるフランスが、アフリカ大陸のスーダンで衝突した事件:_ フランスが譲歩したのを契機に英仏関係が改善され 、後に_として結実 |
ファショダ事件(地名) 英仏協商 (英のエジプト、仏のモロッコ優越権を相互に承認) 私達のファッションだ |
31.世界分割と列強の対立 |
19世紀末以降、イギリスは次の3都市を結ぶ三角地帯を勢力下に置こうとしました。 イギリスのこの政策は、3都市の頭文字をとり_と呼ばれています。 |
3C政策 ケープタウン:アフリカ南部 カイロ:エジプト カルカッタ:インドの都市 |
31.世界分割と列強の対立 |
ケープ植民地首相_は、金・ダイアモンドの原産地を発見を報告 イギリスは領有を目的に周辺国に侵攻し_が起こりました (対:_人。_・_を建国) |
セシル=ローズ 南アフリカ戦争 ブール人(オランダ人子孫) トランスヴァール共和国 オレンジ自由国 イギリス植民相ジョゼフ=チェンバレンが活躍 →南アフリカ連邦の成立 |
31.世界分割と列強の対立 |
フランスは、1830年に植民地化した_、1881年に保護国化した_を拠点に、アフリカでの植民地の拡大を進めました。 ジブチに港を建設 マダガスカル・サハラ砂漠の領有 |
アルジェリア チュニジア |
31.世界分割と列強の対立 |
1880年代、ドイツは_・_・南西アフリカなどの植民地を得ました。 →これら植民地は経済的価値に乏しく、新たな植民地獲得を急ぎました。 _:ドイツがフランスと衝突した事件 イギリスが英仏協商でフランスを支持したため、ドイツの計画は失敗 |
カメルーン、東アフリカ モロッコ事件(タンジール事件・アガディール事件) →仏がモロッコ保護国化 |
31.世界分割と列強の対立 |
イタリアが_に侵入し、敗退・植民地化に失敗した戦い:_ イタリアがオスマン帝国の_を獲得した侵略戦争:_ その他_を獲得 |
×アドワの戦い、エチオピア 〇イタリア=トルコ戦争、リビア 〇ソマリランド 染まり |
31.世界分割と列強の対立 |
20世紀初頭、アフリカでは _と_が独立を保持しました |
エチオピア帝国(アドワの戦い) リベリア共和国(アフリカ最初の共和国) →アメリカで解放された奴隷が建国, リベラル |
31.世界分割と列強の対立 |
_:17世紀オセアニアを探検した人物 _:18世紀オセアニアを探検した人物 |
タスマン(オランダ人):タスマニア・二―ジーランド・オーストラリア クック(イギリス人):タヒチ・ニュージーランド・オーストラリア・ハワイ →ハワイで殺害される |
31.世界分割と列強の対立 |
オセアニアでの植民地拡大:オーストラリアの先住民_ 1850年代には金鉱の発見→移民が殺到 1901年オーストラリアは自治領として認められ 、_が成立しました。 |
アボリジニ オーストラリア連邦 |
31.世界分割と列強の対立 |
ニュージーランドの先住民_ →イギリス帝国内の自治領となる |
マオリ人 マリオ |
31.世界分割と列強の対立 |
南洋諸島、_付近の勢力圏 | ニューギニア |
31.世界分割と列強の対立 |
アメリカ=メキシコ戦争後、メキシコでは自由党のフアレス政権が 教会の土地所有の禁止などの改革をおこないました。 →_:保守党の反乱に乗じてフランスのナポレオン3世が干渉 |
メキシコ内乱 アメリカ合衆国などの反対で失敗 |
31.世界分割と列強の対立 |
メキシコ内乱後、_大統領が英・米からお金を借りて独裁体制を敷きました ラテンアメリカ最初の民主主義革命_が起こりました。 _大統領が就任、土地の改革を求め_・_が蜂起しました →憲法の制定で革命収束 |
ディアス:独裁→メキシコ革命 マデロ:自由主義 サパタ・ビリャ(農民) パスタ |
31.世界分割と列強の対立 |
1890年、ドイツは積極的な海外膨張策を採りました。 ロシアは再保障条約を破棄されフランスと_を結びました。 イギリスは_を結んだ後に_協商・_協商が結ばれました。 |
露仏同盟 →ロシアの工業は大量のフランス資本を導入 日英同盟 英仏協商、英露協商 →英仏露の三国協商 |
31.世界分割と列強の対立 |
イギリスは南アフリカ戦争の後、ケープ植民地・トランスヴぁ―ル共和国・オレンジ自由国を合併し、自治領_を成立させました・ 白人優位の人種差別を行い、イギリス本国への恨みをそらした |
南アフリカ連邦 | 31.世界分割と列強の対立 |
日清戦争に敗れた中国は、列強から借款を行い、担保として鉄道敷設権や鉱山採掘権を奪われ各地を租借されました。 山東半島の膠州(こうしゅう)湾:_ 遼東半島の旅順・大連:_ 山東半島の威海衛、九竜半島:_ 広州湾:_ |
ドイツ ロシア→日露戦争後は日本へ (+東清鉄道) イギリス フランス |
32.帝国主義と東アジア |
日清戦争の敗北を受け止め、 清では_(人)の時代に 日本の明治維新をモデルとした改革_を _・_らが進めました。 |
光緒帝(こうしょてい) 変法運動(戊戌の変法) 康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう, 官僚) →立憲君主制を目指した こうしよ、こういう量刑🦋 |
32.帝国主義と東アジア |
清の変法運動は_にて _を中心とする保守派に弾圧されました |
戊戌の政変(ぼじゅつの-) 西太后(せいたいこう) |
32.帝国主義と東アジア |
北京条約で宣教師が増え、各地で反キリスト教運動_を招きました。 最も強く反発した秘密結社_は「_」を唱えました →西太后ら保守派が諸外国に宣戦布告。8ヵ国の連合軍に敗北 _によって、巨額の賠償金支払い・北京駐兵権を承認 |
仇教運動(きゅうきょう-) 義和団(義和団事件) 扶清滅洋(ふしんめつよう) 北京議定書→清の植民地化 |
32.帝国主義と東アジア |
1895年の下関条約で、朝鮮は清から独立しました。三国干渉で日本を弱体と見た朝鮮では、親露派が台頭し独立国と示すために、国号を_と改めました。 →義和団事件で駐在し続けたロシアと日露戦争 |
大韓帝国 |
32.帝国主義と東アジア |
_:日露戦争の講和条約、_の仲介 ・日本は韓国の指導・監督権を獲得 ・遼東半島南部の租借権、南樺太 ・南満州鉄道、その沿線の利権を獲得 |
ポーツマス条約 セオドア=ルーズベルト 棍棒外交 |
32.帝国主義と東アジア |
_:日本の韓国に対する保護権確立のため、日本と韓国との間で締結された協約 →韓国の保護国化、初代統監:_ |
日韓協約 伊藤博文 →反日義兵闘争の激化 |
32.帝国主義と東アジア |
_:オランダで開催された万国平和会議に、韓国の皇帝高宗が密使を派遣した事件 →_による伊藤博文の暗殺 →韓国併合、_の設置 |
ハーグ密使事件→第三次日韓協約にて内政権を喪失 安重根(あんじゅうこん) 朝鮮総督府:軍事・行政のすべてを統括 |
32.帝国主義と東アジア |
1900~01年の義和団事件後、清は次の改革をおこないました。 ・_の整備、西洋式軍隊 ・科挙の廃止→官僚用に北京大学 ・_の発表 ・国会開設の公約 |
新軍 憲法大綱(-たいこう, 明治憲法を模範) →国会があっても皇帝の力が強い →孫文ら革命派 |
32.帝国主義と東アジア |
漢人の_は、華僑を中心とした政治的結社_を組織しました。 1905年,革命を目指す諸団体の結集を図り_を東京で組織しました。 次の3つを内容とする_を掲げました。 民族の独立/民権の伸長/民生の安定 |
孫文 興中会→中国同盟会 (機関紙「民報」) 三民主義 |
32.帝国主義と東アジア |
1911年清は民間鉄道を国有化し、この鉄道を西欧諸国からの借款の担保にしようとしました。 資本家や地方有力者は一方的な鉄道国有令に反対し_が発生しました。 四川の暴動の鎮圧を命じられた軍隊が、革命派側に立ち_で独立を宣言 中華民国を建国しました(_革命)。 |
四川暴動(しせん, 地名) 武昌蜂起(ぶしょう, 地名) 辛亥革命(しんがい) |
32.帝国主義と東アジア |
辛亥革命により、最初の共和国中華民国が建国されました。 首都_、臨時大総統_ 清の軍人_と取引し、 清の皇帝_を退位させ臨時大総統に就任 |
南京 孫文 袁世凱(えんせいがい) 宣統帝(せんとうてい, 溥儀) 遠征, 戦闘 |
32.帝国主義と東アジア |
中華民国では、臨時大総統の袁世凱が首都を北京に移動、独裁に反発する孫文らの_が対立しました。 →第二革命により解散、正式大総統に就任しました。 第三革命により袁世凱帝政vs国内の軍部、革命派 →袁世凱の死後、抑えられていた有力軍人_が、各地で抗争を始めました。 |
国民党:中国同盟会が中心 軍閥ぐんばつ |
32.帝国主義と東アジア |
1911年の辛亥革命の際に、外モンゴルは独立を宣言しました。 1924年、アジア最初の社会主義国_が成立しました。 |
モンゴル人民共和国 | 32.帝国主義と東アジア |
1885年、インド人の意見を諮問する会議_がボンベイで 開催され、不満をそらす場として利用されました。 →これを母体に、親英的な_が結成 |
インド国民会議(ヒンドゥー教徒中心) 国民会議派(政治組織) |
33.帝国主義とアジアの民族運動 |
イギリスはヒンドゥー教徒とイスラーム教徒を分割する_を発布しました。 ティラクらインド国民会議派はカルカッタ大会で次の4綱領を採択しました。 ・英貨排斥:イギリス商品の不買 ・_:国産品の愛用 ・_:インド人による自治・独立 ・_:自覚と誇りを促す教育 イギリスは_を結成し、イスラーム教徒を国民議会と対立させました |
ベンガル分割令 スワデーシ(吸わん弟子 スワラージ(large 民族教育 全インド=ムスリム連盟 ベンガル分割令によって多数派の州が誕生する利点を、イスラーム教徒に説いた |
34.帝国主義とアジアの民族運動 |
ベトナム民族運動 _らは_を結成し反フランス闘争を推進しました。 日露戦争での日本の勝利に刺激を受け、日本留学を促す_を起こしました。 日仏での取り締まりで挫折し、_で運動を引き継ぎました |
ファン=ボイ=チャウ 維新会 ドンズー(東遊)運動:日仏で弾圧 ベトナム光復会(中国を参考) トンZoo 幸福会 |
35.帝国主義とアジアの民族運動 |
インドネシア民族運動 オランダからの支配脱却を目指して_が結成、弾圧により崩壊しました |
イスラーム同盟 (サレカット=イスラーム) |
36.帝国主義とアジアの民族運動 |
フィリピン独立運動 スペイン支配からの脱却を目指し、_が小説で暴政を暴露、銃殺 _がフィリピン革命を指導 →アメリカ=スペイン戦争を期に帰国し_が成立 →フィリピン=アメリカ戦争で独立頓挫 |
ホセ=リサール(法政リハーサル アギナルド(秋なるど フィリピン共和国 |
37.帝国主義とアジアの民族運動 |
1878年、オスマン帝国のスルタン_は、 _が起こったことを口実にミドハト憲法を停止しました。 _(中心:_)が結成され _でミドハト憲法が復活しました |
アブデュル=ハミト2世 ロシア=トルコ戦争 青年トルコ人(中心:統一と進歩団) 青年トルコ革命 |
38.帝国主義とアジアの民族運動 |
イランの_は、帝国主義に対抗するためムスリムの連帯(_)を唱えました。 _運動に影響を与え、英露の侵略に反発。 _にて仮憲法の制定・国会の開設を目指しましたが、_によりペルシア分割が決定し失敗に終わりました |
アフガーニー パン=イスラーム主義 タバコ=ボイコット イラン立憲革命、英露協商 |
39.帝国主義とアジアの民族運動 |
青年トルコ革命でオーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合 ロシアはバルカン半島進出を防ぐための_結成を支援しました。 セルビア/ブルガリア/モンテネグロ/ギリシア _にて、敗北したオスマン帝国が領土のほとんどを喪失 ブルガリアの獲得領土が過大であるとして_が発生 |
バルカン同盟 第一次バルカン戦争(vs.オスマン) 第二次バルカン戦争(内部) ボスニア・ヘルツェゴヴィナの2州にはスラヴ人が多く、スラヴ人の国セルビアへの編入を望んでいた。 →イタリア=トルコ戦争でオーストリアが弱体化している隙に同盟 →トルコ・ブルガリアは三国同盟側へ接近 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
1914年6月、_の帝位継承者夫妻が、ボスニアの州都を訪問、セルビア人青年に暗殺される_が起こりました 1914年7月、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、_・_が参戦しました |
オーストリア サライェヴォ事件(都市) ドイツ→オーストリア(同盟国) ロシア→セルビア(協商国, 連合国) |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
・西部戦線:ドイツが中立国_に侵入 →イギリスの対ドイツ宣戦 フランス軍と戦い敗れました(_) ・東部戦線:_でロシア軍を破りました。 その後ロシアへ侵攻しましたが、決着がつきませんでした。 |
ベルギー マルヌの戦い タンネンベルクの戦い ○ヌ、単年、炭燃ベルク 海上戦:潜水艦でアメリカの観光船を撃沈 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
第一次世界大戦にて、日英同盟を理由に日本が参戦 ・ドイツ支配下の膠州湾と_を占領 ・中国に向け二十一か条の要求 ・ドイツ領南洋諸島占領 |
青島(チンタオ) ドイツ権益の継承を中国に要求 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
第一次世界大戦にて、 _が三国同盟を離脱し参戦 |
イタリア 未回収のイタリアの一部を代償 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
第一次世界大戦でのイギリスの秘密条約 ・_:アラブ人のオスマン帝国からの独立を約束 ・_:英・仏・露でオスマン帝国領を分割 ・_:パレスチナにおけるユダヤ人国家建国を支援 ・インド自治の約束 |
フセイン・マクマホン協定:暴れてもらう サイクス=ピコ協定 バルフォア宣言:お金貸して 伏せ!巻く魔法ン 細工す、ピコ太郎 balfor |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
1917年、ドイツが_を開始し、敵国に関係すると思われる船を無警告で撃沈しました。 →この作戦で被害を受けた_が協商国側としてドイツに宣戦しました。 1918年3月、ロシアが_をドイツと結び離脱 |
無制限潜水艦作戦 アメリカ ブレスト=リトフスク条約 リート、フリスク |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
1918年8月、協商国側が反撃を開始し同盟国側のブルガリアとオスマン帝国が降伏、オーストリアが休戦協定を結びました。 1918年11月、ドイツのキール軍港での水兵反乱をきっかけとした_が起こり、 各地に_が成立し共和国を樹立。 ヴィルヘルム2世が亡命し、ドイツ休戦協定を締結 |
ドイツ革命 レーテ(評議会,=ソヴィエト) |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
_:労働者が首都_で大規模な抗議を起こし、軍隊も合流し開始 労働者と兵士の代表によるソヴィエトが、_の退位を実現 |
ロシア二月革命(三月革命) ペトログラード ニコライ二世 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
三月革命で樹立した臨時政府(中心:_)は、第一次世界大戦を継続しました。 ソヴィエト(中心:_、_)は臨時政府に戦争の中止を求め、二重権力という状態が発生しました。 ボリシェヴィキの指導者_は、革命をさらに進める方針_を発表したが失敗 社会革命党の_が臨時政府の首相に就任しましたが、戦争継続の方針を崩しませんでした |
立憲民主党 社会革命党・メンシェヴィキ レーニン、四月テーゼ ケレンスキー(蹴れんスキー →ボリシェヴィキへの期待が高まっていく |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
ボリシェヴィキが武装蜂起を起こした_で臨時政府は消滅し、 _でソヴィエト政府樹立を宣言、次の2つの布告を出しました。 ・_:無併合・無償金・民族自決の和平を交戦国に発表 ・_:地主の所有する土地を没収 |
ロシア十月革命(十一月革命) 全ロシア=ソヴィエト会議 平和に関する布告 土地に関する布告 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
ボリシェヴィキは憲法制定のため選挙を実施→第1党が社会革命党に ・革命政権を防衛するために_(非常委員会)を設置しました ・憲法制定会議を開催したがすぐ解散 ・ブレスト=リトフスク条約を締結し大戦から離脱 ・正規軍_を組織 ・_と改称し、愛国心の高揚 ・_へ遷都 |
チェカ:ボリシェヴィキが嫌いな人が多い地域にスパイ 赤軍 ロシア共産党 モスクワ |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
対ソ干渉戦争 ・地主・貴族などソヴィエト政権に反対する勢力_が結成され内戦 ・チェコ軍団の反乱を理由に外国勢力が_を行う ・_戦争で敗北 など、混乱状態に陥りました |
反革命軍(白軍) シベリア出兵 ポーランド=ソヴィエト戦争 |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
1919年、ソヴィエト政府は 全世界での革命を目的に_ (第3インターナショナル)を結成 また、食料の強制徴収、労働義務制と食糧配給制などの_を実施しました。 →強い不満を呼び、_(_)を実施して、穀物徴発制の廃止・企業の私的営業を許可しました。 |
コミンテルン(小min tellん 戦時共産主義 新経済政策(ネップ) |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
各国のソ連承認 ・ドイツが_で承認 ・イギリス、イタリア、フランス、日本も承認 ・アメリカの承認→国際連盟加入 |
ラパロ条約 | 40.第一次世界大戦とロシア革命 |
第一次世界大戦では、_で開発された戦車(タンク)がソンムの戦いで始めて投入されました | イギリス | 40.第一次世界大戦とロシア革命 |
女性参政権が認められた時代 | 米英:第一次世界大戦後 仏:第二次世界大戦後 史上初の総力戦となったため、女性に対しても戦争協力が求められ、政治的発言権の拡大につながった |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
第一次世界大戦中、革命によるロシア帝国の崩壊で_・_が独立 | リトアニア フィンランド |
40.第一次世界大戦とロシア革命 |
_:敗戦国とソヴィエト=ロシア政府を除く連合国が、今後の国際秩序を議論した会議、会議の中心人物3人 | パリ講和会議 ・ウッドロー=ウィルソン(米) 「十四ヵ条の平和原則」に基づく理想主義的な主張 ・ロイド=ジョージ(英) 戦前の国際的地位への復帰を目指す ・クレマンソー(仏) 独に対する厳しい制裁と徹底的な弱体化を主張 |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
_:第一次世界大戦における協商国とドイツの講和条約 ・全ての植民地の没収 ・_をフランスに割譲 ・_の非武装化 ・軍備制限、賠償、国際連盟の発足 ・ザール地方、ダンツィヒ→国際連盟の管理下 |
ヴェルサイユ条約 アルザス・ロレーヌ ラインラント(ライン川流域一帯, 仏との国境線) |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦、敗戦国の講和条約 オーストリア/ハンガリー/ブルガリア/トルコ(オスマン帝国) |
サン=ジェルマン条約 トリアノン条約 ヌイイ条約 セーヴル条約 |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦後、旧オスマン帝国領_の独立。メッカの首長フセインが、ヒジャーズ王国を成立 →英が_に占領させ、_の王国の成立 |
アラビア イヴン=サウード サウジアラビア王国 フセイン=マクマホン協定が守られなかった |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦後、旧オスマン帝国領 ①イギリスが国際連盟の委任統治領としてイラク・_・トランスヨルダンを支配 ②フランスが国際連盟の委任統治領として_・レバノンを支配 |
パレスチナ シリア →民族を考慮していなかったので、今でも紛争に |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
1920年、史上初の国際平和機構として国際連盟が設立され、_に本部が置かれました。 アメリカ不参加、全会一致、制裁規定の欠落などの問題がありました |
ジュネーヴ | 41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦後、アメリカの提唱によって開かれた東アジアの秩序形成会議:_ ・_:太平洋諸島の現状維持を約束し、日英同盟を解消させた条約 ・_:中華民国の主権尊重、二十一ヵ条要求の実質失効 ・_:主力艦保有比率を制限 |
ワシントン会議 四ヵ国条約(米・英・日・仏共同) 九ヵ国条約 ワシントン海軍軍縮条約 →軍縮(米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67) |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦後の1924年以降、国際協調の気運が広まり次の条約・会議が実現しました。 ・_:西ヨーロッパの安全保障、ドイツの国際連盟加入 ・_:国際紛争解決に戦争という手段をとらないことを約束(フランスの外相_とアメリカの国務長官_の提唱) ・_:補助艦保有比率を制限 |
ロカルノ条約 不戦条約 ブリアン、ケロッグ ロンドン軍縮会議 |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
ドイツの賠償金支払い遅延を理由に、フランス・ベルギーがドイツの工業地帯を占領した事件:_ →ドイツは消極的抵抗、インフレーション激化 →アメリカの_を受け入れフランス撤退。_で賠償金を減額 →_:世界恐慌により1年支払いを停止 |
ルール占領 ドーズ案(お金借りて復興) ヤング案 フーヴァー=モラトリアム |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
第一次世界大戦後、アメリカ大統領ウッドロー=ウィルソンは 戦時中に発表した_に基づく理想主義的な主張を展開しました |
十四ヵ条の平和原則 | 41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
1919年9月、第一次世界大戦における協商国とオーストリアの講和条約_にて、オーストリア=ハンガリー帝国が解体され、 ポーランド・_・_・ハンガリーが独立 |
サン=ジェルマン条約 ユーゴスラヴィア チェコスロヴァキア |
41.ヴェルサイユ体制とワシントン体制 |
・第一次世界大戦中、アメリカの女性の活躍が追い風となり、 大戦後の1920年、大統領ウィルソンの時に女性参政権が認められました。 一方、次のような保守的な傾向もありました。 ・_:酒類の製造・販売・運搬を禁止した法律 ・ヴェルサイユ条約の批准拒否 |
禁酒法 →この後民主党よりも保守的な共和党が政権をとる |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後、アメリカは共和党政権で ・債権国に転じ_が国際金融の中心都市となりました。 ・_:東欧・南欧からの移民を制限し、日本人などアジア系の移民を禁止 |
ニューヨーク 移民法 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後のイギリス_朝 ・_挙国一致内閣の_にて女性参政権を付与 ・初の労働党内閣である_内閣が成立 |
ウィンザー朝(旧:ハノーヴァー朝) ロイド=ジョージ挙国一致内閣 第4回選挙法改正 マクドナルド内閣(自由党と連立) |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後のイギリスの改革 ・第5回選挙法改正:男女の参政権をどちらも21に ・自治領にイギリス本国と同等の地位を与える →_と改称。_で法的に規定 |
イギリス連邦 ウェストミンスター憲章 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後のフランス外交 ・対ドイツ教鞭外交:_挙国一致内閣 ・対ドイツ協調外交 ソ連の承認、ロカルノ条約・不戦条約の締結 |
クレマンソー挙国一致内閣 | 42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦中のドイツでは、 _を指導者とする_が結成され、反戦を主導しました。 大戦後の1919年、_も加わって蜂起を起こしましたが殺害されました。 |
ローザ=ルクセンブルク スパルタクス団 カール=リープクネヒト |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後のドイツで_の開催 ・社会民主党が主導、大統領:_ ・_の採択 |
ヴァイマル国民議会 エーベルト ヴァイマル憲法(当時世界で最も民主的な憲法) |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
ルール占領に対してのドイツの抵抗で、激しいインフレーションが起こりました 。 1923年、首相_は_を発行してインフレーションを収束させました。 |
シュトレーゼマン レンテンマルク |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
ヴァイマール共和国の_大統領の時代 シュトレーゼマン外相がロカルノ条約の締結を担当 |
ヒンデンブルク大統領 国際連盟加入、不戦条約の締結 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後のイタリア ・イタリア人が多い_がユーゴスラヴィア領になり、ヴェルサイユ体制に不満 ・不況、北イタリアのストライキを社会党が鎮圧 |
フィウメ →国際連盟の管理下へ |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
1919年イタリアに成立した_党(党首:_)は資本家・地主などに支持を広げました。 国家による経済統制を目指す独裁的な政治体制_を展開しました。 _を組織し、国王の支持を得て首相に就任しました。 |
ファシスト党(反社会主義的) ムッソリーニ ファシズム(下級階層からも支持) ローマ進軍 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
ムッソリーニの対外政策 ・_併合 ・_保護国化 ・_条約で教皇庁で和解、_の独立を承認 |
フィウメ アルバニア(後に併合) ラテラン条約、ヴァチカン市国 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後、民族自決の法則によりポーランドが独立、 ポーランド=ソヴィエト戦争に勝利し領土を獲得 →_の独裁体制 |
ピウスツキ 📌薄月 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
第一次世界大戦後、_を経て 社会党・共産党がハンガリーにソヴィエト政権を樹立 →ホルティが社会主義を阻止、独裁 |
ハンガリー革命 →ハンガリー共和国の独立 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
1924年のレーニンの死後、 ソ連で争点となった2つの考え方、提唱者 |
・世界革命論、トロツキー →西欧や世界に革命を広げ、政治的援助を必要とするべき ・一国社会主義、スターリン →ソ連1国だけで社会主義社会が樹立可能という考え |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
スターリン体制では、 ・反対派とされた人々を大量に粛清 ・_の制定:形式的な民主主義 |
スターリン憲法 | 42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
ソ連の経済政策。 スターリンは、新経済政策(ネップ)にかわって_を実施 重工業重視の工業化、農業の機械化が推し進められました。 集団農場:_、国営農場:_ |
第1次五ヵ年計画 コルホーズ、ソフホーズ →第2次五ヵ年計画で軽工業の発展に尽力:計画経済 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
_朝:エリザベス1世 _朝:ジェームズ、メアリ2世、アン女王 _朝:ジョージ1世 |
テューダー朝 ステュアート朝 ハノヴァー朝 |
42.第一次世界大戦後の欧米諸国 |
中国の文学革命の指導者 ・_:「民主主義と科学」をスローガンに儒教道徳を批判、『_』を創刊 後にマルクス主義研究会を創設した_と共産党を設立 ・_:白語(口語)による文学 (白話文学)を提唱 ・_:小説「_」「_」で国民を鼓舞 |
陳独秀(ちんどくしゅう)、新青年 李大釗(りたいしょう) 胡適(こてき) 魯迅「狂人日記」「阿Q正伝」 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
パリ講和会議で中華民国は、日本の二十一ヵ条の要求の取り消しが認められず、 北京大学の学生抗議デモから中国の民族運動_が始まりました →全国的な反帝国主義へ発展 →軍閥政府はヴェルサイユ条約調印拒否 |
五・四運動 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
1924年、中国国民党の孫文は_の働きかけを受けて、「_」の3方針を打ち出し、中国国民党と中国共産党の協力体制_が実現しました。 →国民革命の遂行(軍閥打倒)へ |
コミンテルン 連ソ・容共・扶助工農 第一次 国共 合作 ⇔レーテ |
43.戦間期のアジア諸地域 |
1925年、孫文が死亡、上海の日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけとする反帝国主義運動_が起こりました | 五・三〇運動 →全国的な反帝国主義運動へ発展 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
1926年、_は_ (国民政府軍)を指揮し、広州から北上して軍閥を打倒する_を開始しました。 中国共産党の協力を得て上海・南京を占領しましたが、_で弾圧を開始し第一次国共合作を崩しました。 _など上海の資本家がこれを支持しました。 |
蔣介石、国民革命軍 北伐(ほくばつ) 上海クーデタ 浙江せっこう財閥 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
上海クーデタで第一次国共合作が崩れたのち、蔣介石は_に_を樹立 | 南京 国民政府 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
北伐に際して日本は、中国における権益を守るため、 _への出兵や、中国東北部の軍閥_の支援をおこないました。 →本人逃亡、日本の関東軍による爆殺 跡を継いだ子_は国民政府の支配を認めました。 |
山東半島→失敗 張作霖ちょうさくりん 張学良ちょうがくりょう 咲くリン りょうがくちょう |
43.戦間期のアジア諸地域 |
1927年の国共分裂後、中国共産党は農村で共産党の政権をつくる方針を採りました。 中国共産党は軍隊_(共産党軍)を組織し、勢力を広げました。 1931年、中国共産党は江西省_で _を樹立し_が主席に就任しました。 |
紅軍 瑞金(ずいきん) 中華ソヴィエト共和国臨時政府 毛沢東⇔蒋介石との対立 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
日本統治下の朝鮮では東欧の民族自決に影響されて、独立への要求が高まりました。 1919年_が起こり、運動の鎮圧後、日本は武力的な_を廃止し_へ移行しました |
三・一独立運動 武断政治、文化政治(早く日本人にする) |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦後、ビルマ(ミャンマー)では、指導者アウン=サンとした_が独立運動を起こしました | タキン党 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦時 オランダ領東インド(インドネシア)では _や_(指導者_)が結成されました |
インドネシア共産党:アジア初 インドネシア国民党、スカルノ |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦時、フランス領インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)では、 独立を目指し_や_(指導者_)が結成されました |
ベトナム青年革命同志会 インドシナ共産党(ホー=チ=ミン) |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦後、フランクリン=ローズヴェルトがフィリピン独立の約束を行い_が発足されました | フィリピン独立準備政府 | 43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦中、インドでは国民会議派と全インド=ムスリム連盟が協力、イギリスは反英運動を鎮めるために、将来の自治を約束しましたが_を制定 令状なしの逮捕、裁判ぬきの東国などを認め、反対する人々に発砲したアムリットサール事件が起こりました |
ローラット法 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
ガンディーの抵抗運動では一貫して _(_)を掲げました。 1929年、インド国民会議派が _の下で_(完全独立)の要求を決議しました。1930年、民族運動の再燃の中、ガンディーは「_」をおこないました。 |
非暴力・不服従運動 サディヤーグラハ ネルー、プールナ=スワラージ 塩の行進:イギリスの塩専売に反対する抗議 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
イギリスはロンドンで_を開催しましたが、インドの懐柔に失敗 _でインド各州の自治制を導入しますが、完全なる独立を求めて民族運動は白熱しました |
英印円卓会議 新インド統治法 |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦後、オスマン帝国では連合国に支援されたギリシア軍が_に侵入・占領。_の締結で主権の制限、軍備制限、治外法権の復活 _がアンカラで臨時政府を樹立し、ギリシアを撤退させました |
イズミル セーヴル条約 ムスタファ=ケマル |
43.戦間期のアジア諸地域 |
ギリシアの撃退後、ムスタファ=ケマルの大国民議会は次のことを実施しました。 ・_の廃止 ・_の締結 ・_(首都_)の樹立 |
スルタン制→オスマン帝国の滅亡 ローザンヌ条約(セーヴル条約の改善) トルコ共和国、アンカラ |
43.戦間期のアジア諸地域 |
ムスタファ=ケマルは _を廃止して政教分離 女性参政権を実現(女性の地位向上 ) アラビア文字にかわってトルコ語の_表記を採用などの改革を行い_の称号を与えられました |
カリフ制、ローマ字 アタテュルク(トルコの父) |
43.戦間期のアジア諸地域 |
イギリスの保護国であったエジプトで、第一次世界大戦後に_が独立運動を始めました。 1922年、イギリスが保護権を放棄し_の条件付き独立を認めました。 エジプト=イギリス同盟条約にて主権を認めましたが_の駐屯のみ継続しました |
ワフド党 エジプト王国 スエズ運河地帯 ⇔タキン党:ビルマ |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦後_がカージャール朝を廃し、_を開きました。 国名「ペルシア」を「_」に改めました。 |
レザー=ハーン パフレヴィー朝(イギリスの不平等条約を撤廃) イラン |
43.戦間期のアジア諸地域 |
1919年第一次世界大戦後、第3次アフガン戦争にて、イギリスの保護国であった_が独立を果たしました | アフガニスタン インドで忙しかったから |
43.戦間期のアジア諸地域 |
第一次世界大戦前後、中国では_と呼ばれる動きが発生し、国民党や共産党が結成されました | 新文化運動(文学革命) | 43.戦間期のアジア諸地域 |
1929年10月24日、ニューヨーク(_)の株式市場で株価が暴落し、 アメリカで大不況(恐慌)が始まりました。 1931年、アメリカ大統領_は、ドイツの賠償金支払いと連合国の戦債支払いを1年間停止することを宣言しました。 |
ウォール街:暗黒の木曜日 フーヴァー ヨーロッパを安定させて恐慌の拡大を防ぎ、経済への干渉を極力避けて資本主義経済の自動調節機能に期待することが目的でしたが、効果がありませんでした |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1933年、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト は、ニューディール政策と呼ばれる次の恐慌対策を実施しました。 ・_(_):農業生産の制限、過剰生産物の政府買い上げ ・_(_):企業の救済、労働者の団結権・団体交渉権を承認 ・_(_):公共事業による失業者増加の吸収 ・_(_):労働者の団結権・団体交渉権を再承認 |
農業調整法(AAA, Agricultural Adjustment Act) 全国産業復興法(NIRA, National Industrial Recovery Act) テネシー川流域開発公社(TVA, Tennessee Valley Authority) ワグナー法:NIRAが違憲だったので |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトは、南北アメリカの経済の一体化を目指し、友好に努める_を始めました。 _の独立承認。_の承認 |
善隣外交(ぜんりん-)、キューバ ソ連:輸出できるのでは |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
イギリスの_内閣は、財政再建のため_を打ち出し、与党の労働党から除名に。 自由党・保守党の協力を受け手挙国一致内閣を組織し_を行いました。 |
第2次マクドナルド 失業保険金の削減 金本位制の停止 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
マクドナルド挙国一致内閣は、カナダで開かれたイギリス連邦経済会議_にて、連邦外の国に高い関税を課す政策_を開始することにしました | オタワ会議 スターリング=ブロック |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1930年代、フランスは世界恐慌への対応策として、植民地・友好国の関税を下げ、他国に対して高関税を課す_を形成しました。 小党分立・政局不安定の中、ファシズム勢力の動きが生じました。 1936年、社会党の_を首相とする_内閣が成立し、反ファシズムを掲げました。 |
フラン=ブロック ブルム、人民戦線(フランス社会党、急進社会党、フランス共産党 の集合) |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
満州事変:日本の_が満州の_で南満州鉄道を爆破した事件。爆破を中国の国民政府の犯行として扱い、軍事行動をおこして満州の大半を占領 日本人殺害事件を口実に_も行い、視線をそらしました |
関東軍 柳条湖(りゅうじょうこ) 上海事変 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1932年、関東軍は既成事実をつくるため、清朝最後の皇帝溥儀を_として満州国を建国しました。 日本の軍事行動は国際的に批判され、国際連盟によってリットン調査団 が派遣されました。 軍事行動を自衛のためとする日本の主張は認められず、1933年3月、国際連盟を脱退しました。 |
執政(しっせい) 五・一五事件(犬養毅首相)、二・二六事件(閣僚など)によって、軍国主義は進んでいきました |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1934年、共産党軍(紅軍)は、国民政府の包囲から逃れるために中国奥地を目指す_を実行しました。 1935年8月、中国共産党は抗日民族 統一戦線の結成を呼びかける_を出しました。 |
長征(ちょうせい, 大西遷 だいせいせん) 八・一宣言 本拠地を瑞金から延安へ |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
・1936年、_:八・一宣言に影響を受けた_が蔣介石を監禁し、内戦停止と抗日民族統一戦線を迫った事件。蒋介石は抗日への姿勢を示す ・1937年7月、北京に駐留する日本軍と国民政府軍が、郊外で軍事衝突した_が起こり、第2次国共合作を約束 以降も衝突は拡大を続け_と呼ばれる全面的交戦状態に入りました |
西安事件(せいあん, 地名) 張学良 盧溝橋事件(ろこうきょう-) 日中戦争 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
日中戦争にて、日本は_を占領し、停戦を呼びかけました。 国民政府は首都を_に移し、アメリカ・イギリスなどの支援を得て抗戦を続けました。 1940年、日本は交渉を断念し、南京に_の親日政府を樹立しました。 |
南京(南京事件) 重慶(重慶政府) 汪兆銘(おうちょうめい) オチョメ |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
第一次世界大戦後、ドイツでは_を指導者とする_(_)が、次のことを主張し、中間層や軍部から指示を受けました。 ・反ユダヤ主義、反共産主義 ・植民地の再分割 |
ヒトラー ナチ党 国民社会主義 ドイツ労働者党 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
ヒトラーが整備した組織 ・_:反対派を暴力で打倒 ・_:幹部の身辺警護組織 →のちに_を創設 |
突撃隊(SA) 親衛隊(SS) ゲシュタポ(秘密警察, スパイ) |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
ヒトラーはヴァイマル政府の打倒を掲げ_を起こしましたが、即座に鎮圧され、合法的な手段での政権獲得を目指しました。 | ミュンヘン一揆 | 44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1932年、ナチ党は選挙で第一党になり、 1933年、ヒトラーが大統領_から首相に任命されました。即座に国会解散を宣言したところ_が発生、事件を口実に_を弾圧しました。 |
ヒンデンブルク 国会議事堂放火事件 共産党 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
ヒトラーは国会の立法権を政府に委譲した_を発布しました。 ナチ党以外の政党を解散し、ナチ党の一党独裁体制を築きました。 1934年のヒンデンブルク大統領の死後、ヒトラーは大統領の権限をもあわせた_と称しました。 |
全権委任法(行政&立法) 総統(フューラー) |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
ナチス=ドイツは、_(自動車道路)の整備など公共事業や 四ヵ年計画のような画軍需生産によって、失業の解消を図りました。 国民団結のため_などにある強制収容所へユダヤ人排斥を行いました |
アウトバーン アウシュヴィッツ |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1933年、ナチス=ドイツは国際連盟から脱退し、 1935年、住民投票によって_地方を編入、_の復活と再軍備を宣言しました。 1936年、_:イギリスがドイツと締結し、その海軍力保有を認めた条約。また、フランスの仏ソ相互援助条約を理由に_を破棄し、非武装地帯の_に進軍しました |
ザール:フランスが炭鉱の権利を獲得していた 徴兵制 英独海軍協定(ソ連の影響を恐れた) ロカルノ条約、ラインラント |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1936年、スペイン=ブルボン朝が崩壊し、ファシズム政党が党勢を拡大 アサーニャが人民戦線内閣を成立させ、社会主義的な改革を実施しました。 軍人_が反乱_を起こし、イタリアとドイツがこれを援助 ⇔ソ連と国際義勇軍が人民戦線政府を援助 イギリス・フランスは不干渉政策を採用 |
フランコ スペイン内戦 義勇軍には米の作家ヘミングウェーも参加 →マドリードを陥落させて反乱軍勝利 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
イタリアは経済基盤が弱く、世界恐慌で行き詰まりました。 首相ムッソリーニは、対外侵略で苦境を脱しようとし_を侵略しました。 |
エチオピア 国際連盟はイタリアに経済制裁を実施 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
スペイン内戦を通じ、ナチス=ドイツとイタリアの協力体制_の成立 日本・ドイツ・イタリアが孤立を避けるため_を成立 イタリアは国際連盟を脱退 |
ベルリン=ローマ枢軸 日独伊防共協定 防共(反ソ連、反共産主義)を掲げ、資本主義国の米英仏からの好意を期待 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
画家の_は_を描いてドイツ空軍の無差別爆撃に抗議 | ピカソ ゲルニカ(スペインの村) |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1938年、ドイツは民族統合を名目に_を併合しました。さらにドイツ人系住民が多いチェコスロヴァキアの_の割譲を要求しました。 _でイギリスの_、フランスの_が譲歩し併合 |
オーストリア ズデーテン地方 ミュンヘン会談 ネヴィル=チェンバレン、ダラディエ 図出ーてん、ネイビー、だるい 翌年にチェコスロヴァキアを解体 |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
1939年、ドイツはミュンヘン会談の約束を破り、ポーランドに_・_の返還を要求 イギリス・フランスはポーランドの安全保障を約束。ドイツは条約_を結びポーランド侵攻。 →第二次世界大戦の開始 |
ダンツィヒ、ポーランド回廊:ヴェルサイユ条約でポーランドに割譲 独ソ不可侵条約 ライプツィヒ |
44.世界恐慌とファシズム諸国の侵略 |
第二次世界大戦は、ドイツの_により開始しました | ポーランド侵攻 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
ドイツは次の快進撃を達成しました。 1940年4月、_・_に侵攻 1940年5月、_・_に侵攻 1940年6月、フランスに侵攻してパリを占領(フランスの降伏) |
デンマーク、ノルウェー オランダ、ベルギー 海で待機することでイギリスがフランスを助けられない |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
1940年、イギリス首相に就任した_は、対独強硬論を主張し、ドイツとの戦争を指導しました。 | チャーチル | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
1940年の降伏後、フランス北部はドイツが占領し、フランス南部は_を国家主席として_につくられた政府が統治しました。 | ペタン ヴィシー 対独協力政権 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
フランス軍人_はイギリスに亡命して_を樹立し、レジスタンス(徹底抗戦)を呼びかけました。 | ド=ゴール 自由フランス政府 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
アメリカの国家防衛にとって重要な国に軍需援助をおこなうために制定された法律 | 武器貸与法 イギリス・中国・ソ連 に適用 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
1939年11月、ソ連は_を併合し、 _に侵攻しました(_の開始) |
バルト3国 フィンランド(ソ連=フィンランド戦争) →国際連盟、ソ連を除名 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
第二次世界大戦中 、ドイツは人種差別主義を強め、ユダヤ人を_のアウシュヴィッツ強制収容所などに送り、殺害しました。 | ポーランド | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
1941年、ドイツはバルカン半島を占領 _の_は、_と呼ばれる抵抗運動をおこないました。 |
ユーゴスラヴィア ティトー パルチザン(一般市民のふりをして戦うゲリラ戦) |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
ドイツのバルカン制圧に対し、ソ連は_を締結し、ドイツとの戦いに備えました | 日ソ中立条約 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
独ソ戦の開始後、アメリカの大統領_とイギリスの首相_は_を行い、_を発表しました。 これが行われている間にドイツとイタリアが対米宣戦 |
フランクリン=ローズヴェルト チャーチル 大西洋上会談(米英首脳会談) 大西洋憲章(戦後の目標) |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
イタリア、ドイツの対米宣戦後、連合軍が北アフリカに上陸 _にて、ドイツ軍がソ連軍に敗北 連合軍は_に上陸し、イタリア新政府は無条件降伏しました |
スターリングラードの戦い シチリア島 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
イタリアの降伏後、米英ソはイランで_を行い_へ上陸、パリ解放 ドイツ軍は撤退し、_にて戦後処理が協議されました |
テヘラン会談 ノルマンディー(北フランス) ヤルタ会談 →ベルリン陥落 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
日中戦争において、日本は東アジアの経済ブロック「_」を発表し、東南アジアへの進出を正当化しました。 →北部フランス領インドシナへ進駐 |
大東亜共栄圏 フランスが既に陥落していたため |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
_:日中戦争中、日本・ドイツ・イタリアの防共協定の結束を一段と強化した軍事的同盟 同時に日米交渉を行い、アメリカとの衝突を避けようとしました |
日独伊三国軍事同盟 →中国からの日本軍の撤退、三国同盟からの脱退が議題 →日ソ中立条約を結び、南部フランス領インドシナへ進駐 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
フランス領インドシナに進駐した日本に対して、4ヵ国共同でおこなった経済的包囲 | ABCDライン America、Britain、China、Dutch 石油の禁輸 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
真珠湾攻撃後、太平洋戦争が開始 日本は石油を求めてマレー半島・_を占領 →ジャワ・スマトラ占領→ビルマ占領 |
シンガポール | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
太平洋戦争中の日本の植民地支配では、以下のようなものが行われました ・_:神社参拝、日本語強制、創氏改名 ・朝鮮人の強制連行 |
皇民化政策 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
太平洋戦争中の日本支配への抵抗運動として中国・朝鮮では、共産党軍と国民党軍が合流 朝鮮共産党の_、ベトナム独立同盟の_など、抵抗運動などがありました |
金日成(キム・イルソン) ホーチミン |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
_:日本艦隊がアメリカ艦隊に敗北し、選挙区の主導権を喪失した海戦 →日本はガダルカナル島より撤退 |
ミッドウェー海戦 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
_:米・英・中で対日本戦の基本方針が決定された会談 _:米の_・英・ソで戦後のドイツと日本の処理を協議した会談 |
カイロ会談 ポツダム会談、トルーマン →ソ連の参戦で社会主義の影響が及ぶのを恐れ、原爆投下 →ソ連が対日宣戦 →長崎に原爆投下→降伏 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
第二次世界大戦の戦後処理として、ドイツでは_に国際軍事裁判所が設置され戦争裁判が世界史上初めて捌かれました。 また、ポツダム協定により、米英仏が西ドイツ、ソ連が東ドイツが分割占領することが決定されました |
ニュルンベルク →ベルリンも分割管理 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
第二次世界大戦後、オーストリアは4か国共同管理が行われ、_にて主権回復されました | オーストリア国家条約 →永世中立国へ |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
第二次世界大戦後、イタリア等の国では_で領土変更や賠償金が規定されました | パリ講和条約 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
_:第二次世界大戦後の日本の軍事裁判 GHQによる軍隊の解散、農地改革、財閥解体 日本国憲法の発布 |
東京裁判 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
日本と連合国との戦後会議、条約 | サンフランシスコ講和会議 サンフランシスコ平和条約 →主権を回復 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
・_:第二次世界大戦中に、米・英・ソ・中の代表により、「国際連合憲章の原案」が作成された会議 ・_:常任理事国に拒否権を付与することが決定された会議 ・_:国際連合憲章が発表された会議 |
ダンバートン=オークス会議 ヤルタ会談 サンフランシスコ会議 段バード |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
国際連合の本部は_ 加盟各国1票の多数決制である総会を採用 _:常任理事国が拒否権を有する機関 |
ニューヨーク 安全保障理事会 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
教育・科学・文化を通じて世界平和を促進する機関 | ユネスコ(国際連合教育科学文化機関、UNESCO) | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
各国の労働問題解決のために勧告や調停をおこなう機関 | 国際労働機関(ILO) | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
国際的な保健衛生の事業の指導・調整をおこなう機関 | 世界保健機関(WHO) | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
国際的な為替の安定を目指して設立された、国際連合の専門機関 | 国際通貨基金(IMF) | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
・国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行, IBRD)の創設 ・固定為替相場にて、米ドルと各国通貨の交換比率を固定 が決定した会議 |
ブレトン=ウッズ会議 | 45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
_(_):関税やその他の貿易障壁を取り除き、自由貿易を促進する目的で結ばれた協定 →世界貿易機関(WTO)へと発展、解消 |
関税と貿易に関する一般協定(GATT) →自由貿易拡大のためのルール作り 経済のグローバル化を促進する |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
第一次世界大戦の年:_ 第二次世界大戦の年:_ |
1914~1918 1939~1945 |
45.第二次世界大戦と戦後秩序の形成 |
1945年7月、保守党のチャーチルにかわり、選挙で勝利した_党の_ が首相に就任しました。 重要産業の国有化と社会福祉制度の充実が進められました。 |
労働 アトリー |
46.米ソ冷戦の時代 |
1949年、_がイギリス連邦から完全独立し、国号を_に変更しました。 | エール アイルランド |
46.米ソ冷戦の時代 |
第二次世界大戦後の東ヨーロッパの国々は人民民主主義を掲げましたが、ソ連の衛星国となりました _のティトーはソ連を追い出し距離を置きました |
ユーゴスラヴィア | 46.米ソ冷戦の時代 |
1946年、イギリス前首相チャーチルは、親ソ政権がバルト海からアドリア海まで列をなす状況を、ソ連の「_」と表現して批判 | 鉄のカーテン | 46.米ソ冷戦の時代 |
1947年、アメリカ大統領がギリシアとトルコへの援助をおこない政策_(_)を宣言 1947年、アメリカ国務長官がヨーロッパの共産主義化を防止するために、経済復興援助計画_を発表 |
トルーマン=ドクトリン(封じ込め政策) マーシャル=プラン |
46.米ソ冷戦の時代 |
ソ連や東欧諸国はアメリカのマーシャルプラン受入れを拒否、対抗情報組織として_を組織した | コミンフォルム →途中、ユーゴスラヴィアを除名 ⇔コメコン:経済 |
46.米ソ冷戦の時代 |
第二次世界大戦後、_は西欧のような議会制民主主義を維持しましたが、 1948年共産党がクーデタを起こし、実権を握りました。 これに対抗してイギリス・フランス・ベネルクス3国が_(_)を結びました 1949年、アメリカ・カナダ・西欧諸国によって発足した反ソの軍事同盟:_ ⇔対抗して生まれた軍事同盟:_ |
チェコスロバキア ・ブリュッセル条約(西ヨーロッパ連合条約) ・北大西洋条約機構(NATO) 西ドイツ再軍備→NATO加盟 ・ワルシャワ条約機構 |
46.米ソ冷戦の時代 |
1948年、米・英・仏のドイツ西側通貨改革に反発し、ソ連は_を実行しました。 | ベルリン封鎖 →ソ連の占領地区内にあった西ベルリンは、物資が断たれて孤立、米・英・仏は生活必需品を空輸しました。 |
46.米ソ冷戦の時代 |
1949年、ベルリン封鎖が解かれてから誕生した国 経済復興を行った首相 |
・ドイツ連邦共和国(西ドイツ) 首相:アデナウアー ・ドイツ民主共和国(東ドイツ) ade イナバウアー |
46.米ソ冷戦の時代 |
1949年、マーシャル=プランの受け入れ機関として発足したヨーロッパ経済協力機構(OEEC)に対抗してできた機構が_(_) | コメコン(経済相互援助会議、COMECON) | 46.米ソ冷戦の時代 |
_:北朝鮮の軍がソウル占拠をして始まった戦争 ・_が武力制裁を決め、アメリカ軍を主体とする国連軍が出動し、北朝鮮軍を中国国境まで追い込む ・中華人民共和国が北朝鮮を支援して_を派遣 ・_で休戦協定調印 |
朝鮮戦争 安全保障理事会(ソ連は欠席) 人民義勇軍 板門店(はんもんてん) |
47.冷戦の激化と西欧 |
1953年、アメリカ大統領_は、軍事同盟を結び積極的にソ連反撃に出る「巻き返し政策」を掲げました。 さらに、_が流行するなどの緊張関係がありました |
アイゼンハワー マッカーシズム(社会主義鎮圧) 改善hour |
47.冷戦の激化と西欧 |
朝鮮戦争中 、アメリカは次のように日本の同盟化と独立を急ぎました。 ・_:アメリカが事実上日本の防衛を引き受け ・_:南太平洋における反共産主義同盟 ・_:東南アジア ・_:中東における反共産主義同盟 ・_:米州 |
日米安全保障条約 太平洋安全保障条約(A NZ US, アンザス) 東南アジア条約機構(SEATO) 中東条約機構(バグダード条約機構, METO) アメリカ州機構(OAS) |
47.冷戦の激化と西欧 |
・アメリカが行った核実験_により、「死の灰」で周辺住民が被ばく ・日本のマグロ漁船第五福竜丸も被ばく →東京都杉並区の主婦から_が始まり世界的運動に発展 |
ビキニ水爆実験 原水爆禁止運動 |
47.冷戦の激化と西欧 |
・ラッセル・アインシュタイン宣言 核兵器、核戦争の危険性を訴えた宣言 ・カナダにて科学者による核兵器禁止運動_が開かれる |
パグウオッシュ会議 | 47.冷戦の激化と西欧 |
1950年、フランス外相シューマンがシューマン=プランを提案し、地域統合を具体化させました。 フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国による_が発足 |
ヨーロッパ共同体(EC) ・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC) ・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM) ・ヨーロッパ経済共同体(EEC) |
47.冷戦の激化と西欧 |
イギリスが当初ヨーロッパ共同体に対抗し、発足した工業製品の共同市場 | ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA) →後に加盟して拡大ECとなる |
47.冷戦の激化と西欧 |
1950年代、フランスの植民地アルジェリアで、独立運動が激しくなり民族解放戦線(FLN) が武力衝突を続けました。 この問題に対応するため、ド=ゴールを大統領とする_が成立。 ・核保有 ・アルジェリア独立を承認 ・中華人民共和国の承認 ・_からの脱退 →五月危機(反ド=ゴール運動)が起こるが当選 |
第五共和政 北大西洋条約機構 (NATO) |
47.冷戦の激化と西欧 |
1953年のスターリン死去後、ソ連の書記長_は「_」と呼ばれる平和共存の提唱をおこないました。 ・スターリン批判(_で行った) ・_:アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの首脳が平和共存を確認 ・コミンフォルムの解散、訪米 |
フルシチョフ 雪どけ ソ連共産党第20回大会 ジュネーヴ4巨頭会談 |
47.冷戦の激化と西欧 |
フルシチョフの反スターリン運動に対して発生した民主化運動 ・_:指導者_が自主路線を約束して事態収束 ・_:_が首相に復帰 →ソ連の軍事介入により失敗 |
・ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動) ゴムウカ ・ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件) ナジ=イムレ 豪華な爺群れ |
47.冷戦の激化と西欧 |
日本は_にてソ連との国交を回復し、国際連合への加盟を実現しました | 日ソ共同宣言 特需、高度経済成長期→もはや戦後ではない |
47.冷戦の激化と西欧 |
第三勢力 ・ネルー・周恩来会談:_をまとめた会談 ・_:アジア・アフリカなどの29ヵ国の代表が_の_に集まって開催した会議 平和共存・反植民地主義をうたった_を採択 ・1961年、第1回_:アジア・アフリカなどの25ヵ国の代表が_ の_に集まって開催した会議 |
平和五原則 アジア=アフリカ会議(バンドン会議) インドネシア:バンドン 平和十原則 非同盟諸国首脳会議 ユーゴスラヴィア:ベオグラード 平和五原則 ①領土と主権の尊重 ②内政不干渉 ③平等互恵 ④不侵略⑤平和共存 核兵器の禁止は盛り込まれていない |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1952年、エジプト革命 自由将校団(改革派グループ)が国王を追放→_の成立・大統領_の就任 積極的中立政策を唱え、_の建設を目指しました。 資金の確保を目的に、スエズ運河国有化を宣言しました 。 |
エジプト共和国 ナセル アスワン=ハイダム →米英からの融資が白紙撤回される |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
_:エジプトによるスエズ運河国有化宣言をきっかけに、_・_・イスラエルが起こした戦争 | スエズ戦争(第2次中東戦争) イギリス、フランス 国際世論の批判、アメリカ・ソ連の警告を受け、イギリス・フランス・イスラエルが撤退 →アラブ民族主義の中心的存在となる |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
アラブ=アフリカの独立 ・大統領ド=ゴールの時代のフランスから_が独立 |
アルジェリア(アルジェリア戦争, 石油が取れるから独立しづらかった) その他もいろいろ |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
ブラック=アフリカの独立 ・イギリスから_が独立、大統領_ 特にアフリカで多くの国々が独立した_年は「_」と呼ばれました。 |
ガーナ エンクルマ 1960、アフリカの年 |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1963年、_(_)結成 アフリカ諸国の連帯や旧宗主国の干渉克服を目指す組織 |
アフリカ統一機構(OAU, Organization of African Unity) | 48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
アフリカにて独立直後の_では、 重要な鉱物資源を狙って、動乱に旧宗主国ベルギーが介入した |
コンゴ | 48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1964年、_(_)設立 発展途上国71ヵ国が南北問題の解決を目指して設けた会議 |
国連貿易開発会議(UNCTAD) United Nations Conference on Trade and Development |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1948年、_(_)結成 アメリカとラテンアメリカ諸国で構成した反共協力組織 |
米州機構(OAS) | 48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
アメリカが影響力を強めるなかで、干渉に反発するラテンアメリカ諸国も現れました。 ・_:外国資本の国有化、初等教育拡大 ・_:資源の国有化、労働者の保護 |
アルゼンチン ブラジル |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
ラテンアメリカの_では、選挙による社会主義政権(大統領_)が誕生しましたが、アメリカが干渉し軍部クーデタを起こさせました | チリ アジェンデ大統領 →ピノチェト政権成立(親米軍事政権) |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
アメリカ合衆国と結んだ親米独裁政権の_が倒された出来事 _:(指導者:_・ゲバラ) →アメリカはキューバとの国交断絶、ソ連に接近し_が起こりました |
バティスタ政権 キューバ革命:カストロ→首相に就任 キューバ危機 |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1961年、アメリカでは民主党の_が、初のカトリック教徒の大統領として就任しました。 ・「_」というスローガンを掲げ、積極的な国内改革を推進しました ・キューバ危機が発生、地下実験を除き、核兵器実験を禁止した条約_を結びました ・黒人解放運動(指導者:_) |
ケネディ ニューフロンティア 部分的核実験禁止条約 キング牧師:差別をなくす |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1963年、ケネディが暗殺され、後継として_が大統領に就任しました。 ・アメリカから差別と貧困をなくす「_」計画を提唱しました。 ・_成立:人種・宗教・性・出身国などによる差別を禁止する法 ・北_への爆撃、戦争の開戦 →反戦運動の高揚、黒人解放運動とも合流 |
ジョンソン 偉大な社会 公民権法 ベトナム |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
1964年、ソ連の首相兼第一書記フルシチョフが解任されました。 コスイギンがソ連首相/_が第一書記に就任し、国内の自由化の進展を抑えました。 ・_(NPT):核兵器保有国の限定 ・_:アメリカ大統領ニクソンと行った、戦略ミサイルの数量の制限を目指した交渉 ・_へ軍事介入 |
ブレジネフ 核拡散防止条約 第1次戦略兵器制限交渉(SALT1) アフガニスタン→SALT2が流れる |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
ソ連のブレジネフ書記長に対して、 ・アルバニア(ホジャ政権)は対ソ断交 ・_(_政権)は対ソ独自外交 ・_は民主化運動(_)を行い_政権が誕生→ソ連の軍事介入 がありました |
ルーマニア チャウシェスク政権 チェコスロヴァキア、プラハの春 ドプチェク政権 |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
西ドイツの首相_(_党)は、社会主義諸国との和解を促進する_を行いました。 ・西ドイツとポーランドの国交を正常化 ・東西ドイツ基本条約:双方の主権を承認 →国連の同時加入 |
ブラント(ドイツ社会民主党) 東方外交 |
48.第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り |
日中戦争後、中華民国内では国民党と共産党の内戦が再開しました。 中国共産党が民衆の支持を獲得し、北京を首都とする_の成立を宣言しました。国家主席_、首相_ 中国国民党の蒋介石は_に逃れ、中華民国を維持しました。 |
中華人民共和国 毛沢東、周恩来(しゅうおんらい) 台湾 ライオン |
49.自立を強める東アジア |
_:1950年、中華人民共和国とソ連が、 アメリカと日本を敵国と見なして結んだ軍事同盟 |
中ソ友好同盟 相互援助条約 | 49.自立を強める東アジア |
社会主義国やインド・イギリスなどは、中華人民共和国を「中国」として承認しました。 中華人民共和国の改革 ・_:大地主から土地を没収 ・_:重工業の優先、農業の集団化 |
土地改革 第1次五ヵ年計画(ソ連の援助を受けて実行) |
49.自立を強める東アジア |
1953年、朝鮮は北緯_度線を境界に、ソ連とアメリカに分割占領されました。 大統領/首相 |
38 ・大韓民国:李承晩(りしょうばん) 首都:ソウル ・朝鮮民主主義人民共和国:金日成 首都:ピョンヤン 血小板 |
49.自立を強める東アジア |
ソ連の平和共存政策によるアメリカとの接近に、中国が反発し_が起こりました →キューバ危機以降は公開論争へと発展 |
中ソ論争(中ソ対立) | 49.自立を強める東アジア |
毛沢東のチベット併合に対して反乱が起こったが、人民解放軍により鎮圧 _はインドへ亡命。中国とインドは_で対立しました |
ダライ=ラマ14世 中印国境紛争 |
49.自立を強める東アジア |
1950年代後半、毛沢東は工業・農業の急激な発展を目指すスローガン「_」を掲げました ・工業、農業の急速な発展を目指す_を設立 ソ連による_の破棄+大規模な自然災害で、失敗に終わりました |
大躍進(第2次五ヵ年計画) 人民公社 中ソ技術協定(技術者がいなくなる) |
49.自立を強める東アジア |
1959年、毛沢東にかわって_が国家主席、_が補佐となり、 計画経済を見直し資本主義経済の仕組みを導入しました。 |
劉少奇(りゅうしょうき) 鄧小平(とうしょうへい) |
49.自立を強める東アジア |
1966年、毛沢東は、劉少奇・鄧小平らを資本主義の復活を図る「_」と批判し、権力闘争_を展開 学生が中心となって組織した_を動員して大衆運動を盛り上げました。 毛沢東の権威を背景に「_」が権力を握りました。 |
実権派(走資派) プロレタリア文化大革命 紅衛兵(こうえいへい) 四人組 |
49.自立を強める東アジア |
プロレタリア文化大革命の時期、 ・ウスリー川の中ソ国境での軍事衝突_ ・国連代表権交替 ・_の訪中 ・日中国交正常化の発表(_内閣) が起こりました |
中ソ国境紛争 ニクソン大統領 田中角栄 |
49.自立を強める東アジア |
10年間のプロレタリア文化大革命は、社会的な混乱と共産党内の対立をもたらしました。1981年、復権した_は農業・工業・国防・科学技術の「_」を推進しました。 1978年移行、改革・解放政策 |
鄧小平(とうしょうへい) 四つの現代化 |
49.自立を強める東アジア |
1977年の文化大革命終了の宣言後、鄧小平は次のような経済の「改革開放」を進めました。 ・人民公社の解体(_経済の導入) ・生産責任制(余った分自由にしていい) ・経済特区の指定(外国資本・技術導入) →より広い自由化を求める民主化要求運動_が_で発生 |
社会主義市場経済 天安門事件、北京 |
49.自立を強める東アジア |
鄧小平の死後_が中国の主席となり、 _・_などの領土の返還を受けました |
江沢民(こうたくみん) 香港(イギリス, 1997) マカオ(ポルトガル, 1999) |
49.自立を強める東アジア |
蒋介石の死後、台湾では_が総統となり、台湾の民主化が進展 中国本土との対立が深まりました |
李登輝(りとうき) | 49.自立を強める東アジア |
1963年、韓国では_が韓国軍部クーデタで実権を掌握し大統領に就任 ・_と呼ばれる政治 ・_:日本と韓国の国交正常化 を行いました |
朴正熙(ぼくせいき) 開発独裁(親米派・反共) 日韓基本条約(ベトナム戦争で米のお金が足りなかったので) |
49.自立を強める東アジア |
1979年、韓国の朴正熙が暗殺され、 _が民主化宣言 1991年、南北朝鮮の国連同時加盟を果たしました |
盧泰愚(ろたいぐ) | 49.自立を強める東アジア |
韓国の_は_と呼ばれる対北朝鮮友好政策を展開し、 2000年に南北両朝鮮首脳会談(書記:_)を開きました |
金大中(きんだいちゅう) 太陽政策 金日正(きむじょんいる) |
49.自立を強める東アジア |
第二次世界大戦中、日本に占領されたフランス領インドシナでは、_が_(ベトミン)を組織し、抗日運動をおこないました。 大戦後、フランスへの抵抗運動をおこない、_の独立を宣言しました。 |
ホー=チ=ミン ベトナム独立同盟 ベトナム民主共和国 |
50.アジア諸地域の紛争 |
_:フランスとベトナム民主共和国の戦争 フランスは_(首相_)を成立させたが、_で大敗 _で休戦協定が結ばれ、北緯_度線を軍事境界線とした |
インドシナ戦争 ベトナム国、バオダイ(bao台) ディエンビエンフー ジュネーヴ会議、17 denピエンwho |
50.アジア諸地域の紛争 |
1954年締結のジュネーヴ休戦協定は、東南アジアにおける共産主義の拡大に繋がる可能性があり、アメリカは休戦協定を認めませんでした。 共産主義の拡大を阻止するため、アメリカ・イギリス・フランス・東南アジア諸国などが軍事同盟_を結成 |
東南アジア条約機構(SEATO) | 50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後、インドネシアは_となり独立し、 _が首相を務めました |
インドネシア共和国 スカルノ(インドネシア国民党) |
50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後のインドで独立した国3つ 首相、総督 |
・インド共和国:ネルー ・パキスタン共和国 ジンナー(全インド=ムスリム連盟) ・スリランカ(セイロン) |
50.アジア諸地域の紛争 |
インド独立後、_の帰属をめぐって_が起こりました ガンディーはヒンドゥー教の過激派に暗殺されました |
カシミール 第1次インド=パキスタン戦争 |
50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後、イランではイギリス資本が支配する石油の国有化を求める声が強まりました。 1951年、政権を握った_は、外国資本の石油の国有化を決定しました 。 国王_は、イギリスとの関係悪化を恐れ、クーデタによってこれを追放 |
モサデグ(猛者、ぐで パフレヴィー2世 |
50.アジア諸地域の紛争 |
1945年、エジプトなどアラブ7ヵ国は_を結成 パレスチナ分割案が国連総会で可決され、ユダヤ人が_を建国 アラブ人はこれを承認せず_が勃発 |
アラブ諸国連盟 イスラエル パレスチナ戦争(第1次中東戦争) →イスラエルがパレスチナの8割を獲得 100万人のパレスチナ難民が発生 |
50.アジア諸地域の紛争 |
インドシナ戦争後、ベトナムでは_(首相:_)が成立しました | ベトナム共和国 ゴ=ディン=ジエム大統領 →南北統一選挙を拒否、親米反共独裁政治 ⇔ベトナム民主共和国 |
50.アジア諸地域の紛争 |
1960年、_が結成され、ベトナム民主共和国 (北ベトナム)と連携して、ゲリラ戦を展開しました。 ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領ゴ=ディン=ジエムが、軍部クーデタによって殺害されました。 |
南ベトナム解放民族戦線 →米国の北ベトナム爆撃 |
50.アジア諸地域の紛争 |
ベトナム戦争中にて、ベトナム反戦運動の高揚 アメリカ国内を始め、欧州・日本でも展開 →アメリカ大統領_が中国を訪問、_を調印 _が陥落し、南ベトナム政府陥落 1976年、南北ベトナムが統一され_が成立しました。 |
ニクソン ベトナム和平協定(パリ和平協定) サイゴン ベトナム社会主義共和国 |
50.アジア諸地域の紛争 |
ベトナム社会主義共和国では、1980年代に_(刷新)と呼ばれる経済システムを導入、改革・解放路線で新しい経済成長を見せました | ドイモイ | 50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後、カンボジアは国王シハヌークの元で独立、社会主義へ傾倒し親中派となっていました。 アメリカ軍による侵攻を受け、親米派の_政権が発足しました |
ロン=ノル政権 | 50.アジア諸地域の紛争 |
アメリカ軍による侵攻を受け、国王がいなくなったカンボジアを_と呼びます。 アメリカのパリ和平協定締結後、_政権が成立しました。 親中派の外交で、_と呼ばれる極端な共産主義社会を建設しました。 |
民主カンプチア ポル=ポト 赤色クメール |
50.アジア諸地域の紛争 |
ポル=ポト政権に対し_がベトナムの支援を受けカンボジアに侵攻、新政権を誕生させました。 中国はこれを批判し1978年、_が勃発しました |
ヘン=サムリン 中越戦争(ベトナムの勝利) |
50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後のフィリピンでは、_大統領が_と言われる政治を行ったが、経済は上向かず反政府運動が高まりました | マルコス 開発独裁(親米派・反共) |
50.アジア諸地域の紛争 |
1965年、インドネシアの_大統領は軍部クーデタの_をきっかけに勢力を失い_大統領が就任しました 1967年、反共親米路線で_の結成 インドネシア内部での独立を求める声/アジア通貨危機などの混乱で退陣しました |
スカルノ大統領 九・三〇事件 スハルト大統領 東南アジア諸国連合(ASEAN) |
50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後、マレーシアは_というイギリス連邦の自治領として成立しました。 元イギリス領のシンガポールなどを含めマレーシア連邦が成立しました。 |
マラヤ連邦 | 50.アジア諸地域の紛争 |
マレーシア連邦では、貧富の差を解消することを目的に現地のマレー人を優遇する経済政策が行われました 華僑の反発で_が分離・独立、急速な工業化に成功し_の一員へとなりました |
シンガポール 新興工業経済地域(NIES) Newly industrializing economies 韓国, 台湾, 香港 |
50.アジア諸地域の紛争 |
1998年、インドは第二次世界大戦後にパキスタンとの戦闘に備え、核保有国となりました。 東パキスタンの独立を支援し、_が独立し再度インド=パキスタン戦争、パキスタンの核保有が行われました |
バングラデシュ | 50.アジア諸地域の紛争 |
第1次中東戦争:パレスチナ分割案、イスラエル建国 第2次中東戦争:スエズ戦争 第3次中東戦争:_(議長_)vsイスラエルの奇襲、シナイ半島などを占領 第4次中東戦争:アラブ人が_を結成、産油国が_を発動した結果、_が発生 |
パレスチナ解放機構(PLO, アラブ人難民を助ける組織) アラファト議長 アラブ石油輸出国機構(OAPEC) 石油戦略、第1次石油危機(オイル=ショック) OAPEC:親イスラエル諸国への石油輸出停止 OPEC:原油価格を値上げ |
50.アジア諸地域の紛争 |
イランの国王パフレヴィー2世は上からの近代化を推進しましたが貧富の差が拡大、 1979年_が起こりました(シーア派の_が指導) 国王を追放し_共和国が成立 産油量を削減し_が到来しました |
イラン=イスラーム革命 ホメイニ イラン=イスラーム共和国(反 米英) 第2次石油危機(オイル=ショック) |
50.アジア諸地域の紛争 |
第二次世界大戦後のイラクでは、イラク革命で王政を廃止 多数宗派を_大統領の独裁によりまとめていましたが、イラン革命のシーア派の台頭により_が起こりました |
サダム=フセイン大統領 イラン=イラク戦争(親米) |
50.アジア諸地域の紛争 |
1991年、イラン=イラク戦争の後の財政難にて、サダム=フセイン大統領は_を侵攻し_を起こしました | クウェート 湾岸戦争(多国籍軍がイラクを空爆) |
50.アジア諸地域の紛争 |
1970年代、アメリカはベトナム戦争で経済的に困窮 金とドルの交換を停止し_が起きました。 第1次石油危機も発生し_が開かれました |
ドル危機 →ブレトン=ウッズ国際経済体制の崩壊 サミット(先進国首脳会談) →欧米諸国が協力して世界の経済問題に対処 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
アメリカのニクソン大統領は、民主党の事務所に盗聴器の設置を指示したことの発覚(_)で辞任に追い込まれ、ドル危機の対応に失敗しました。 後の_大統領は「人権外交」で米中国交正常化 ソ連のアフガニスタン介入、第2次石油危機の到来などに見舞われました |
ウォーターゲート事件 カーター →ソ連と対決したいが、お金がない |
51.経済危機と冷戦の終結 |
アメリカの_大統領は「小さな政府」を目指し、国内改革と財政の再建を行う新自由主義を提唱しました。 日米間の貿易問題である_に対して「双子の赤字(財政&貿易)」を抱え_を結びました。 |
レーガン 貿易摩擦 プラザ合意 →中央銀行を集めてドル安へ |
51.経済危機と冷戦の終結 |
1985年、ソ連書記長に_が就任し、行き詰まった社会主義体制を次の政策で建て直そうとしました。 ・_:ソ連全体の自由化・民主化を進めること ・_:秘密主義を廃止し、情報公開を進めること →_(出来事)をもとに開始 |
ゴルバチョフ ペレストロイカ グラスノスチ チェルノブイリ原子力発電所事故 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
ソ連のゴルバチョフ書記長は_という外交を行い 1987年_に調印 1989年アフガニスタン撤退、中ソ国交正常化を行いました |
「新思考外交」(歩み寄っていく) 中距離核戦力(INF)全廃条約 Intermediate-range Nuclear Forces |
51.経済危機と冷戦の終結 |
1989年_にて、アメリカ大統領_とソ連書記長ゴルバチョフが冷戦の終結を宣言、_などを結びました | マルタ会談 ブッシュ 第1次戦略兵器削減条約(START1, 制限→削減) |
51.経済危機と冷戦の終結 |
冷戦の終結後、ゴルバチョフ書記長はコメコンやワルシャワ条約機構を解消。 保守党のクーデタなどもありましたが失敗に終わり、_が解散されました。この過程で_が独立を回復しました。 旧ソ連各国の協力体制を目指す_(_)が結成され、1991年にソ連が解体しました。 |
ソ連共産党 バルト三国 独立国家共同体(CIS, ロシア共和国, ウクライナ, ベラルーシ) |
51.経済危機と冷戦の終結 |
ソ連の解体後、ロシア連邦の初代大統領に_が就任しました。 ロシア資本主義化を進めましたが、不安な情勢が続き_が勃発しました |
エリツィン チェチェン紛争 ロシア連邦からの独立を求める北カフカスのチェチェン人に対し、連邦政府が武力鎮圧を試みて始まった民族紛争(イスラーム系) |
51.経済危機と冷戦の終結 |
ロシア連邦の大統領 | エリツィン→プーチン →メドヴェージェフ→プーチン |
51.経済危機と冷戦の終結 |
1980年、ポーランドで_を指導者とする自主管理労働組合「_」が組織され、 共産党の一党独裁政権を終わらせました。 |
ワレサ:後に大統領へ 連帯 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
1989年、ルーマニアでは_が処刑され、独裁体制が崩壊しました。 | チャウシェスク | 51.経済危機と冷戦の終結 |
1989年10月、東ドイツでは西側へ脱出する者が増加し、書記長の_が解任されました。11月、ベルリンの壁が開放され、東西ドイツ間の自由な往来が可能になり、1990年、ドイツが統一されました | ホネカー ソ連の解体前 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
東欧諸国の民主化において、ユーゴスラヴィアでは、 1991年_・_が独立を宣言 1992年_が独立宣言 セルビア・モンテネグロは_を成立させましたが、ボスニア内戦に発展しました |
クロアティア・スロヴェニア両共和国 →続いてマケドニア ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 新ユーゴスラヴィア連邦 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
1999年、東欧諸国の民主化の過程で、セルビア内の_で独立要求の弾圧が起きました →NATO軍、国連の承認を得ることなくセルビア空爆 |
コソヴォ 新ユーゴスラヴィア連邦が独立認めなかったから |
51.経済危機と冷戦の終結 |
冷戦の終結後もアメリカの経済は停滞し、_大統領はアメリカ・カナダ・メキシコで_を結びました。 また、インターネットを民間へ開放し、IT革命を迎えました |
クリントン 北米自由貿易協定(NAFTA) |
51.経済危機と冷戦の終結 |
アメリカでは_大統領の時代に同時多発テロを迎え_を宣言、主犯_のいる_(_政権)を攻撃しました。 | ブッシュ(子) 「対テロ戦争」 アル=カーイダ アフガニスタン ターリバーン政権 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
ブッシュ大統領はアフガニスタン攻撃後、_を攻撃、_政権が崩壊しました。 日本がイラク復興支援特別措置法を可決、自衛隊の海外派遣 |
イラク サダム=フセイン |
51.経済危機と冷戦の終結 |
2008年に国際金融危機が訪れ_が開かれました | G20(サミット+3ヵ国) | 51.経済危機と冷戦の終結 |
オバマ大統領は_(首都プラハ)にて核兵器廃絶演説を行い、ノーベル平和賞を受賞 国連平和維持活動(PKO)や非政府組織(NGO)の活動が活発になりました |
チェコ | 51.経済危機と冷戦の終結 |
イギリス初の女性首相_(_党)は、当時慢性的に発生していた不況「イギリス病」の克服を目指し_を掲げました。 フォークランド紛争にて、アルゼンチンに圧勝しました。 |
サッチャー(保守党) 新自由主義(「小さな政府」) →社会福祉の削減、国有企業の民営化、自由競争奨励 |
51.経済危機と冷戦の終結 |
西ドイツの首相_のときにベルリンの壁が解放され、東西の経済格差を埋め合わせるためにトルコ人など外国人労働者を雇い、ドイツ人失業者が増加 →ネオ=ナチの登場 |
コール | 51.経済危機と冷戦の終結 |
ヨーロッパ共同体(EC)は1990年代に_が締結され、ヨーロッパ連合(EU)となりました。本部_ →かつての東欧社会主義諸国も参加 |
マーストリヒト条約 ブリュッセル(ベルギーの首都) (経済的な統合のみ。政治は統合されない) |
51.経済危機と冷戦の終結 |
ポーランドの歴史の流れ ・ポーランド分割:_の抵抗 ・対ソ干渉戦争:_の独裁 ・反ソ運動:_の指導 ・一党独裁の終了:_の「連帯」 |
コシューシコ ピウスツキ ゴムウカ ワレサ |
51.経済危機と冷戦の終結 |
冷戦終結後の1990年に_は大統領制を導入して自ら就任したが、翌91年に辞任しソ連は消滅した | ゴルバチョフ | 51.経済危機と冷戦の終結 |
南アフリカの国_はローデシアとしてイギリスから独立していましたが、白人政府によるアパルトヘイト政策が実施されていました。 →黒人が解放戦線を結成し改名 |
ジンバブエ |
52.現代文明と各地の紛争 |
南アフリカ共和国はイギリス連邦より離脱後、アパルトヘイト問題で国連総会が経済制裁を決議、アフリカ民族会議(ANC)の抗議活動なども行われましたが撤廃は行われませんでした。 アパルトヘイト諸法撤廃後、全人種による大統領選挙が行われ_大統領が就任しました |
マンデラ | 52.現代文明と各地の紛争 |
1970年代、ポルトガルから ギニアビサウ・_・_などが独立 →独立後に、政府派vs反政府派の内戦が勃発 |
アンゴラ、モザンピーク ルワンダ内戦 |
52.現代文明と各地の紛争 |
エジプト大統領_はアメリカのカーター大統領の仲介でイスラエル首相ベギンと中東和平合意を結び、アラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に承認しました。 | サダト 戦争に巻き込まれたくない→暗殺された |
52.現代文明と各地の紛争 |
1982年、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還 レバノンへ軍事侵攻・パレスチナ解放機構(PLO)本部を攻撃 大衆的抵抗運動_が開始されました。 1993年、_が_の仲介で結ばれました。イスラエル首相:_・PLO議長:_ |
インティファーダ パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意) クリントン/ラビン/アラファト →ガザ地区などでアラブ人自治が始まる →ラビン首相暗殺:和平へ消極的に |
52.現代文明と各地の紛争 |
20世紀の文化 夢での精神分析学を行った人 |
フロイト 風呂で夢をみる |
52.現代文明と各地の紛争 |
20世紀の文化 哲学のプラグマティズム(実用主義)を考えた人 |
デューイ | 52.現代文明と各地の紛争 |
20世紀の文化 経済学:カルヴァン派が資本主義に直結しているといった人 |
マックス=ヴェーバー(ドイツ) | 52.現代文明と各地の紛争 |
科学の進歩による環境問題において、 リオデジャネイロにて_、日本にて_が開催され、持続可能な開発について議論されました |
地球サミット 京都会議(地球温暖化防止会議):アメリカ・中国が批准拒否 →2005年ロシアが批准:議定書の発効 |
52.現代文明と各地の紛争 |
アフリカ各地での紛争 ・_:東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建国 ・_:無政府状態となり国連PKOが実行されたが鎮圧できず ・_:フツ族がツチ族を虐殺。20世紀最大ともいわれる紛争 |
ナイジェリア(ポルトガル) ソマリア(フランス) ルワンダ(ドイツ) |
52.現代文明と各地の紛争 |