コスメティック田中

人に誕生日を祝われることに気味悪さを感じてしまう

こんにちは田中です。

先月26歳となり、アラサー男性に一歩近づきました。

この年齢では少しおっさん感が出るかもしれないのですが、現在のYouTube市場環境を見るとまだ26歳は戦えそうだと思っています。こちらについてはまた後日記述します。

ところで私はYouTuberになってしまったため、誕生日になると顔を知らない人間から「誕生日おめでとう!」みたいなダイレクトメッセージが届きます。

こういうものが届くようになって、私は無条件に人に祝われるのが苦手なのだということに気づきました。

「えっ?あぁ、うん。誕生日だけど・・・で?」

といった思考に至ってしまいます。

なぜ自分が祝われているのかよく分からないのですよね。

例えば、自分が何かの病気になったときに、お医者さんや看護師さんが自分に優しくしてくれるのは、問題なく受け入れられます。
相手にとってそれは仕事だし、対価として給料も受け取っているからです。

しかし無条件で人に祝われるのは、やはり何か論理破綻しているというか、何かしらの利害があって祝われたほうが関係性がクリアで私は心地よいのですよね。

人の優しさを受け入れたくないし誰かに頼ったりしたくないという、ある意味中二病的な思考かもしれません。

こういう思考は珍しいものでもなく、男性には多いような気がしています。

「とりあえず誕生日という口実を利用してメッセージを送ることによって、相手とのつながりを深める」 というのは女性的な馴れ合いコミュニケーションな気がしており、私はこれまで生きてきてこういう文化にあまり触れてきませんでした。

@_pyaro_ みんなはクラス替えある? #ネタ #あるある ♬ オリジナル楽曲 - ぴゃろ✌️

こうした馴れ合いの意味も、社会的に必要なのは理解しようと思えば理解できるのですが、やはり気色悪さが残ってしまい、素直に受け入れることができません。。。

というか、 そうした文化背景を持ってメッセージを送ってくる私の視聴者って何者?どういう目で自分を見ているの? と感じます。

去年もこんなことをTwitterで言っていた気がします。

ところで、誕生日をネタにできたのはYouTube開始1年目だけでした。
それは、その頃YouTubeがほぼ誰にも見られていなかったからです。

「誰かに祝われるんじゃないか」「変な匂わせじゃないか」「自己愛がにじみ出るのではないか」といった思考もなく単純に投稿ができていたのですよね。

そういった「人に見られている」といった思考の変化もここ数年ではあったかと思います。